81 王子の動機
ノアがスチュアートに向けるまなざしが、ほんの少しだけ変わる。ノアは先ほどまでよりも険しさの取れた声で、スチュアートに尋ねた。
「そんなお前が、どうしてわざわざ部屋を出て、あの塔に出入りしていた?」
「……ルイスが現れて半年くらいしてから、父上の妹が倒れて目覚めなくなったって聞いたんだよ」
スチュアートは小さな声で、俺にとっては姉みたいな人だった、と呟いた。
「世間から隠されるように塔で眠るあの人と、部屋から出られない俺自身が重なった。だけど俺はあの人と違って、自分の意志で動くことは出来るだろ? どうせ閉じ籠って絵を描くなら、あの人が元気に笑っていた頃を描こうと思ったんだ」
「……」
「塔の住人は、毎年ひとりずつ増えていく。だから俺が描く人物も増えた。……誰も出入りできない庭に大きなキャンバスを作って、そこにあの人たちの絵を描いて、綺麗なもので囲んであげられれば。眠っている彼女たちも、絵と同じ美しい景色の夢を見れるんじゃないかって」
スチュアートは、自らの右手を虚ろに見下ろす。
「『弟』を恐れてなんにも出来ない、そんな役立たずでグズの俺には、それが唯一の意味ある行動に思えたんだ。美しいものを描きたくて練習して……そんな中、アーデルハイトさまが俺の前に」
そこで、スチュアートのダイヤモンドのような銀色の瞳が、クラウディアに向けられた。
「この国の子供たちはみんな、魔女アーデルハイトの伝説をおとぎ話に聞いて育ちます。あなたさまは、俺が想像していた魔女アーデルハイトさまによく似た、理想のお姿でした」
「……ふふ。そう」
苦しそうな声が、彼の胸中を静かに語ってゆく。
「魔女アーデルハイトさまが今、この時代に存在して下さっていたら? 得体の知れない『ルイス』の正体を、魔法で見抜いて下さるかもしれない。眠っていて目覚めないみんなを、すぐさま起こしてくださるかもしれない。……アーデルハイトさまの絵を完璧に描き上げれば、みんな目覚めてルイスも消えて俺も外に出られる。そんな気がして」
ノアは、眉根を寄せてクラウディアを振り返った。
「……アーデルハイトさま」
クラウディアは、ノアの寝台に腰を下ろす。
いつもなら、大人姿でノアの寝台に上がった瞬間、大慌てでノアに止められるところだ。しかしノアは、いまは何も言わないことにしたらしい。
「スチュアート。姫君たちのシーツを替えて、寝台を整えてあげていたのはあなた?」
「シーツ……?」
クラウディアが問い掛けると、スチュアートは不思議そうに首を傾げた。
「い、いいえ。俺は本当に気が利かなくて、そこまで考えが回らず」
「そう。教えてくれてありがとう」
スチュアートは、幸福を噛み締めるように目を細めた。
そのとき、窓からふわりと光で出来た文字が舞い込んでくる。
「あら、ちょうどいいタイミングだわ」
魔法によってクラウディアの元に届いた文字は、『競争』に乗ってくれたエーレンフリートからの手紙だ。
クラウディアは、手のひらに映し出された魔法の文字を読み上げる。
「『クリンゲイト国の初代国王は、名をカルロス』」
クラウディアはスチュアートを見遣り、にこりと尋ねた。
「正解?」
「っ、そ、そうです……!! 俺たちの祖先の名はカルロス・クレイグ・クリンゲイト。何故あなたがそれを……」
スチュアートを無視し、ノアが口元を押さえる。
「……シーウェルでは、ない」
「カルロスは、シーウェルと同じく結界魔法を得意としていたアーデルハイトの弟子ね。シーウェルとは、魔法の性質も似ていたわ」
ふたりはあまり会話がなかったものの、魔法の精度についてお互いを目標にしていた。
クラウディアは、スチュアートの庭がシーウェルの魔法に似ていたと感じたが、それはすなわちカルロスの魔法にも似ていたことになる。
『シーウェルに似ていた』と意識が引っ張られてしまったのは、あの弟子に関する夢を見たからだ。
「これで納得したわ。塔でスチュアートに触れた際、スチュアートの魔力には、シーウェルの子孫たりえる要素が見当たらなかったの」
「……」
ノアが静かに眉根を寄せる。
スチュアートは困惑した顔のまま、クラウディアたちを交互に見た。
「ですが、女性たちの纏う魔力には……」
「シーウェルの魔力が感じられた。……恐らくそれを帯びていたのは、姫君に流れる魔力では無かったのね」
ノアはもう分かっているようで、クラウディアの言葉を待っている。
「――シーウェルの魔力が含まれているのは、彼女たちを眠らせた『呪い』の方よ」
「…………」
ノアが大きな溜め息をついた。スチュアートは縋るような表情で、クラウディアへと必死に尋ねてくる。
「あっ、あの、アーデルハイトさま!! ルイスの正体が、あいつが何者なのか分かったということですか!?」
「……スチュアート」
「シーウェル。アーデルハイトの弟子、シーウェル……。俺には初めて聞く名前です。だけどルイスは『そのシーウェルとかいう弟子の血を引いている』、そういうことなのですね!?」
五百年前、アーデルハイトとしての命を終えたあとの出来事について、クラウディアはすべてを知ることが出来ない。
だから可愛い弟子たちが、それからどんな人生を送ったのかも分からない。
たとえばどこかの国の建国神話に、文献の一ページに、彼らの片鱗を見付けては想像をするほかにないのだ。
(けれど、シーウェルについて言い切れるのは……)




