79 王子の怯え
「姫殿下。ノアの推測は……」
カールハインツは、クラウディアを見て溜め息をつく。
「……当たっているようですね」
「あくまで私の意見よ。私がそんな風に考えたからといって、この世の理となるわけではないわ」
「いいえ、姫さま。俺にとっては、姫さまの仰ることがすべての理です」
ノアは一切の迷いもなく、クラウディアを見据えて答える。
「ほかの正しいものなんて、ひとつも要らない」
「――――……」
迷いのない言葉だ。
ノアがクラウディアに捧げようとするものは、いつも純真で淀みない。
痛ましいほどに真っ直ぐで、そんなところが危うく感じるのに、クラウディアにとっては何よりも眩しいものだった。
「……可愛いノア」
クラウディアは、ノアを見つめて目を細める。
「そんなに頑なにならなくても、大丈夫よ」
「いいえ。俺は――」
「だって、お前だけはどうあっても私のものだから」
「!」
とんっと椅子から降り、ノアの傍に立って手を伸ばす。
「たとえ私が間違っていても、私自身に過ちの自覚があったとしても。……ノアだけは私の傍に置いて、私の願いを一緒に叶えてもらうから。だから、私を常に信じたりしなくていいの」
「……姫さま」
背伸びをして頭を撫でると、ノアが口を噤んで跪いた。
大人の姿では拒絶されるが、子供の姿では比較的素直に撫でさせてくれる。撫でやすくなったのを良いことに、クラウディアはよしよしと両手でノアを撫で回した。
カールハインツはというと、少し呆れた顔で溜め息をついている。
「……私にスチュアート殿下の人物像を話させたのは、これが理由ですか」
「そう。ノアは一切の私をすべて信じてくれるから、カールハインツからの客観的な意見が欲しかったの」
「姫殿下の絶対的な味方であるという点においては、私の意見もあまり鵜呑みにはしないでいただきたいのですが」
「大人として、中立な意見を持つように努めてくれると信頼しているわ。カールハインツ」
クラウディアはにこっと言い切った。立ち上がったノアが抱っこして、再び椅子に座らせてくれたので、両方の肘掛けに手を置いて口を開く。
「呪いとは、強い願い。呪いの主たるものは、必ずそれを持ち合わせているわ」
「……であれば、姫さまがお考えの人物は……」
そのとき、ノアが嫌そうに眉根を寄せた。
「俺の部屋に仕掛けておいた魔法に、反応が。スチュアートが目を覚ましたようです」
「では行きましょうか。カールハインツの姿は見せたくないから、別行動を取ってもらうわ」
「……承知しました。ですがくれぐれも、あまりご無理はなさいませんように」
「ふふ」
クラウディアは微笑むと、カールハインツにいくつかの指示をして、カールハインツを先に転移させる。
「さて。カールハインツも転移したことだし……」
ノアに触れ、ぽんっと音を立てて、互いに大人の姿に変身した。
「……カールハインツさまに、大人の姿になれることは明かさないのですか?」
「ちょっと特異すぎる、五百年前の魔法技術だもの。どうせ、私たちが本当の大人になるまでの魔法だし」
クラウディアはミルクティー色の髪を指で梳き、ノアに笑い掛ける。
「では、行きましょうか。氷のお庭と、ゴーレムの主の元へ」
「…………」
***
「うう、なんだよこれ……!」
転移した先のノアの部屋では、まだこちらに気が付いていないスチュアートが必死に扉を開けようとして、どんどんと叩き続けていた。
「扉がびくともしない上に、防音魔法……!? ああああっ、ここ何処だ……!! 早く逃げないと、またあのめちゃくちゃ顔が良い黒髪の男が俺を殺しに……っ」
「おい」
「うわああああああっ!?」
ノアが声を掛けた瞬間、スチュアートは盛大に肩を跳ねさせる。弾かれたように振り返ったあと、ノアではなく後ろのクラウディアを見付けて目を丸くした。
「っ、アーデルハイトさま……!!」
「動くな」
「!!」
ノアは静かに低い声で、スチュアートを威圧するようにゆっくりと話す。
「次にまたアーデルハイトさまに何かしようとすれば、お前の命は無いと思え」
「ひ……っ」
「いいな?」
スチュアートはこくこくと頷いたあと、扉を背に付けてずるずると座り込んだ。
「は……。ああもう、なんなんだよ……」
その両手で顔を覆い、くぐもった声で呟く。
「俺はただ、アーデルハイトさまの絵が描ければそれでよかったのに……。いや、報いを受けて当然なんだ。俺なんかがアーデルハイトさまを描くなんて、そんなおこがましい真似が許されるはずないよな……。だからこんな目に遭う、仕方ない……」
「ねえ、スチュアート」
「あああああっ、またしても聖女が俺の名前を……!!」
ノアは心底嫌そうだが、クラウディアはノアの背中に触れて前に出る。
「あなたに助けてもらいたいことがあるの。協力してくれる?」
「いやっ、無理です!! こんな俺なんかが聖女の役に立てるはずがない、恐れ多いので辞退させてください!! もう本当に、『完璧な絵』さえ完成させたなら、もう二度とあなたに直接視線を向けないと誓うので……!」
「手伝ってくれたら、あなたの絵のモデルになってあげると約束するわ」
「!?」
「……アーデルハイトさま」
あからさまに賛成しかねる声音でノアに呼ばれたものの、クラウディアは交渉を続けた。
「スチュアートのお話が聞きたいだけなの。私のお願いを聞いてくれないかしら」
「アーデルハイトさまが、俺なんかに聞きたいこと……?」
クラウディアは柔らかく微笑んで、その人物の名前を口にした。
「あなたの弟、ルイスのことよ」
「――――……」
その瞬間、スチュアートが目を見開く。
***
アビノアイア国の筆頭魔術師カールハインツは、仕えている王女クラウディアの指示に従い、その場所を目指していた。
その部屋がどこにあるのかは、聞き込みをしたので知っている。
カールハインツが少しだけ驚いたのは、無人であることを想定していた扉の前に、ひとりの少年が立っていたからだ。
「……ルイス殿下」
「カールハインツ殿」
扉をノックしていたルイスは、カールハインツを見て首を傾げた。
「お客さまがこの辺りにいらっしゃるなんて。どうかなさいましたか?」
「実は、姫殿下がかくれんぼと称してお姿を消されてしまいまして。国王陛下のお許しをいただき、メイドの方々とノアと共に姫さまを探しておりました」
「クラウディアが? 大変だ、僕も一緒に……」
「いえ、ノアより『見付かった』との伝言が。それで戻ろうとしたところに、こちらを通り掛かったのです」
クラウディアと擦り合わせていた通りの説明をすれば、ルイスはほっと胸を撫で下ろす。
「クラウディアに何事もなくてよかった。僕も遊んであげたかったのですが、この曜日のこの時間は、どうしても魔法講座の授業があるので……」
「姫殿下はいまも十分、ルイスさまとの交流を楽しんでおいでです」
「そうかな。……それなら、とても嬉しいのですが」
はにかんで笑ったルイスを前に、カールハインツは扉を見遣った。
「失礼ですが、こちらのお部屋は?」
「兄の部屋です。一日に何度かこうして訪ねているのですが、まだ起きていないようなので、心配になって――……」
***
「ルイスの話……?」
「ええ、スチュアート」
クラウディアは、座り込んで項垂れたスチュアートに促した。
「噂には聞いているの、あなたの弟のことを。けれどあなたの目から見たルイスのお話を、聞かせてもらえないかしら?」
なるべく穏やかにやさしい声音を使い、あやすようにしてスチュアートに尋ねる。
けれどもスチュアートは、先ほどまでとは打って変わった様子で、クラウディアに対してもぼそぼそと紡いだ。
「…………では、ありません」
「スチュアート?」
尋ね返すと、今度はもう少しはっきりと返事が返ってくる。
「あんなやつ、弟ではありません」
「……」
口を噤んだクラウディアの代わりに、ノアがスチュアートへと声を掛けた。
「兄弟だとは思えないほどに、ルイスを嫌っているということか?」
「違う。……そうじゃない、そんな問題ですらない……!!」
両手で顔を覆い、ぐしゃりと自分の前髪を握り締めたスチュアートは、絞り出すようにこう話す。
「――――俺に弟なんか居たことは、一度も無いんだ」
「……なに?」
ノアが眉根を寄せるのと同時に、クラウディアは静かに目を伏せる。
「あいつはいつのまにか、この城に『王子』として存在していた。本当は、見知らぬ他人なのに」
「……いつのまにか……?」
スチュアートは、自らの髪をますます強く握り締めた。
「俺には弟なんて生まれていない。一度も存在していない。――それなのにある日突然、得体の知れない子供が、何年も家族だったかのように混ざり込んでいたんだ」
クラウディアは、静かにスチュアートを見下ろした。
「父上も母上も、偽の記憶を植え付けられている。俺が『あいつは他人だ』って訴えても、『ルイスなんて人間はいままで存在してなかっただろう』って説得しても、聞き入れてすらくれなかった……!!」
「……それは……」
「見知らぬ子供を指さして、『何を言っている、お前の弟だ』と、『昨日まであんなに可愛がっていただろう』と俺を叱るんだ。くそ、なんなんだよ……」
途方に暮れたような表情で、スチュアートが口にする。
「おかしいのは、俺の方なのか……?」
***
「やっぱり今日も、兄上はお話をしてくれないみたいです」
ルイスは残念そうな顔で、彼の兄の部屋に背を向ける。
そして、カールハインツに寂しそうな笑みを見せた。
「一緒に主城の方に戻りましょうか、カールハインツ殿」
「ルイス殿下」
ルイスの声音は、あくまで柔らかい。
「勉強の時間は終わったことだし、僕もクラウディアに早く会いたい」
***
第2部・最終章に続く




