78 王子の願い
思案していると、クリンゲイト国の従者が歩み出て、国王に告げた。
「陛下。そろそろご公務のお時間が近付いております」
「うむ、では行くか。……それではルイス、今日もクラウディア姫をしっかりおもてなしするのだぞ」
「はい、父上」
「クラウディア姫も、ゆるりと過ごしてくれ。ではな」
そして国王が退室したあと、ルイスは苦笑してクラウディアに声を掛けた。
「ごめんね、クラウディア。悲しい気持ちにさせてしまったかな?」
「……ん-ん。クラウディア、大丈夫だよ!」
「……僕のことを、気遣ってくれてありがとう」
ルイスは目を瞑り、自分に言い聞かせるようにこう話す。
「父上はあのように仰るけれど、僕はやっぱり、兄上が心に傷を負ったのは僕の所為だと思うんだ。まだ十歳だった兄上にとって、僕が生死の境を彷徨ったことや、母上によるお叱りはどれほどの恐怖だっただろう」
続いて彼は、ティーカップを両手で不安げに包んだ。
「どうにか兄上の目を見て、ごめんなさいと伝えたいんだ。願わくは、お部屋の外に出てきてほしい。兄上が得意とする魔法を、僕に教えてほしい。だから毎日兄上のお部屋の前に行って、扉に話し掛けてみているのだけれど……」
ルイスが浮かべた笑みは、やっぱり悲しげで寂しそうだ。
「やっぱり僕は、兄上に嫌われている。……怖がられていると言った方が、近いのかな」
「ルイスさま……」
クラウディアは、ルイスと同じように悲しげな表情を作った。
「君がそんな顔をしないで。クラウディア」
「だって……」
「そうだ。今日もたくさんのお菓子を用意したんだよ? 君に喜んでもらえるといいのだけれど」
ルイスは、お茶のおかわりの支度をして控えている使用人に声を掛けた。
「用意してもらえるかな?」
「はい、ルイス殿下」
「ノア君。もしよければ、彼らを手伝ってあげてほしいのだけれど……」
申し訳なさそうに頼むルイスに、ノアが目を伏せて頭を下げる。
「承知いたしました。では、姫さま」
「いってらっしゃい、ノア」
ノアとこの城の使用人が出ていくと、食堂はクラウディアとルイスのふたりだけになった。
ルイスは困ったように微笑んで、クラウディアに告げる。
「ごめん、クラウディア。僕はいま、君とふたりっきりになるために、少しずるい手段を使ったかもしれない」
「ふたりっきり?」
「君に伝えておきたいと思って。……お見合い期間はまだまだあるけれど、僕の答えはもう決まっているから」
ラピスラズリ色からルビー色へ、そんなグラデーションを描くルイスの瞳がクラウディアを見据える。
「クラウディア、君と一緒に居たい。僕の知らない世界を見せてくれて、思いもよらない言葉で未来に連れ出してくれるクラウディアを、心から大切にしたいと思っているよ」
「……ルイスさま」
クラウディアは、ぱちりと瞬きをしてみせた。
「君は間違いなく、僕の運命を変えてくれた、たったひとりの人なんだ」
そう言って、ルイスはやはり愛おしそうに目を細める。
「……いまはまだ、伝えておきたいだけ。君はなにも返事なんかしなくていいよ、クラウディア」
「だけど……」
「残りの期間は六日もあるしね。それまでにノア君よりも……ううん、せめてノア君と同じくらい頼りがいがあるって思ってもらえるように、頑張るから」
少し照れたようにはにかんだあと、ルイスはそんな感情を誤魔化すように咳払いをした。
「君にこれを伝えるために、ノア君に席を外してもらう口実を押し付けて、申し訳ないことをしたな」
「ルイスさま。クラウディアね」
「君はここに座っていて。僕もたまには使用人たちを手伝って、世間のことを勉強しておかないと」
ルイスは慌てて立ち上がると、急いで食堂を出て行く。
「…………」
ひとりで残されたクラウディアは、まったく幼さを感じさせない所作で紅茶を飲み、思案をしながら俯くのだった。
***
「カールハインツは、スチュアートがどんな人物だと想像する?」
クラウディアが賓客室の椅子にゆったりと腰掛け、ルイスにもらったお菓子を食べながら尋ねると、向かいのカールハインツは少し考えるような顔をしてから答えた。
「内向的かつ自虐的で、自己肯定感が低い王子殿下であるとの印象を受けます」
カールハインツには、クラウディアたちが見聞きしたものを話し終えている。
塔に転移したことや、そこでスチュアートとの戦闘が発生したこと、最終的にスチュアートを眠らせて連れ出したことまでを説明していた。
カールハインツはたっぷり三十秒以上口を閉ざしたあと、『一度その件について思考するのはやめておきます』と回答したのだった。
そしていまは、クリンゲイト城に用意されたクラウディアの部屋で、こうして作戦会議に参加している。
「ルイス殿下の高熱の件で叱責されたことや、弟君を自分の所為で死なせてしまうのではないかという恐怖心から、自尊心が損なわれてしまったのでは」
「いくら年の離れたお兄ちゃんといえど、弟をよく見ていなかったというお叱りを十歳の子供が受け止めるのは酷よね。それをきっかけに家族や弟との関係がぎこちなくなったとしても、不自然ではないわ」
「古くからいる使用人たちにそれとなく聞き込んでみたところ、ルイス殿下は高熱から回復したあと、魔術の才能を開花させたというお話です」
カールハインツはノアの淹れたお茶を飲みながら、淡々と答える。
「スチュアート殿下が恐怖心から閉じ籠っているうちに、弟君の方が次期国王にふさわしいという評価が生まれた。王位継承権第一位はルイス殿下のものとなった結果、スチュアート殿下がますますご自身の世界に閉じこもってしまったのだとしたら……」
ルビー色をしたカールハインツの瞳が、クラウディアを見据えた。
「姫殿下たちが氷の庭でご覧になった、女性たちの絵は。――スチュアート殿下が呪いの主であることを示唆するには、十分な代物ではないかと考えます」
「…………」
クラウディアは、紅茶の水面に移り込んだ自分の顔をじっと見つめる。
「ノアはどう思う?」
「あの男は変態で、信用できない危険な人物だと思っています」
「ふふ。辛辣ねえ」
「ですが」
ノアは顔を顰めたまま、こう口にした。
「俺が考える人物像と、あの男が罪を犯しているかどうかは別で考える必要があります。……そして俺は、あんな男の考えていることは読めませんが、姫さまのお考えならば少しは分かる」
黒曜石の瞳は、本当にクラウディアのすべてを見透かすかのようだ。
「姫さまは、スチュアートは呪いの主では無いと、そうお考えですよね?」
「――――……」
尋ねられて、クラウディアは答える代わりに微笑んだ。




