77 その人物の経緯
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クリンゲイト国では、高貴な身分の人々であっても朝食を共に取る習慣があるらしい。
この国に滞在中のクラウディアも、朝になると王族の使う豪奢な食堂に向かい、そこで王族の面々と一緒に朝ご飯を食べることになっている。
その日の朝もテーブルにつき、ルイスの向かいの席に座った。最後に国王が入室して来ると、クラウディアたちはそれぞれに朝の挨拶をする。
「おはようございます、父上」
「おはよーございます、国王さま!」
「ああ、おはようクラウディア姫。ルイス」
微笑んだ国王は、従者の引いた椅子に座りながらも、まずはクラウディアに声を掛けた。
「どうだ、クラウディア姫よ。昨日もぐっすり眠れたかな?」
「うん! クラウディア、ご飯食べたあとはすぐに眠くなっちゃっていーっぱい寝たの! ね、ノア」
「はい。姫さまはとてもよくお休みになられていました」
クラウディアの傍らに控えたノアが、静かに同意する。本当は深夜まで起きていて、あれこれと秘密裏に動いていたのだが、それは内緒だ。
けれどもクリンゲイト国王は、クラウディアたちの説明を当然疑わない。
「それはよかった。ルイスも、朝から剣術並びに魔法の鍛錬に励んでいたようだな。偉いぞ」
微笑んだ国王の表情は、良き父親の顔だ。ルイスもくすぐったそうに、けれども決して慢心することのない様子で答えている。
「このくらいは日課の範疇です。それに、昨日はノア君に負けてしまったので、今度こそ勝つための努力を怠る訳には参りません」
「ははは! クラウディア姫の従者がそれほど優秀とは、つくづく昨日の手合わせとやらを見学しておきたかった。なあ、ノアとやらよ」
「勿体無いお言葉を賜り、ありがとうございます」
国王はうんうんと頷いたあとに、使用人に告げた。
「さあ、朝食を始めよう。……ふう」
寂しそうな視線が注がれるのは、ルイスの隣に出来ている空席だ。
「スチュアートはやはり今日も、部屋から出て来てはくれないようだな」
「…………」
その瞬間、何も分かっていないふりをしてにこにこしているクラウディアの方に、ノアがちらりと視線を向けた。
「ルイス。今朝のスチュアートの様子はどうだった?」
「いつもと変わらず、朝はお返事がありません。兄上は深夜まで起きていらっしゃることが多いので、この時間はまだお休み中かと」
(もちろん、お返事なんかないに決まっているわよね)
クラウディアは食前のお祈りをしながらも、心の中で考えた。
(今日のスチュアートは自分のお部屋でなく、ノアのお部屋にいるんだもの)
その上に、昨晩からずっと眠り続けているのだ。
昨日の夜、ノアによって気絶させられたスチュアートに対し、クラウディアは『誘拐』を決行した。
『さて、スチュアートをこの塔から運び出して隠さないと。それにしてもひどい隈ね』
スチュアートの顔を覗き込み、ふむふむと観察する。不健康な印象を受けるのは、彼がいつも俯きがちで猫背なことだけが理由ではないようだ。
『随分と長い間眠れていなかったような雰囲気だわ。治癒魔法でも掛けてあげようかしら?』
『そのようなご慈悲など不要では。眠れていないだけならば、このまま眠らせておけばいいでしょう』
『それもそうね。では、ちょっと睡眠魔法でも掛けておきましょう。えい』
『姫さま。この男を何処に運びますか?』
ノアはそれなりに嫌そうな顔をしている。クラウディアはそうねえと考えて、ノアを見上げた。
『スチュアートがいくら部屋から出ない性質を持っていても、この王城から遠くに連れ出すのはやめておいた方がいいわね。私のお部屋に連れて行って、そこでしばらく眠ってもらうことにするわ』
すると、ノアはますます渋面を作った。
『……クリンゲイト王城には、俺にも部屋をいただいています。スチュアートは姫さまのお部屋ではなく、そこに』
『でも、ノアのお部屋は従者用でしょう? そんなに広さが無いのだから、スチュアートが邪魔ではないの?』
『邪魔ですが、それはまったく、なにも、一切問題ありません。何がなんでも姫さまのお部屋ではなく、俺の部屋に連れて行きます』
そう言ってスチュアートの首根っこを掴むので、クラウディアはノアに任せることにしたのだ。
(朝方ノアにスチュアートの様子を見に行ってもらったけれど、まだまだぐっすり眠っていたようだし。目覚めたら色々お話を聞くことにしましょう)
カールハインツに諸々を伝えたところ、基本的に無表情の彼は、そのまま淡々と顔色を悪くして額を押さえていた。
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「ねえねえ国王さま。ルイスさま」
朝食の皿が下げられたあと、食後のお茶をふうふうと冷ましながら、クラウディアは無垢に尋ねる。
「ルイスさまのおにーさまは、どうしてお部屋から出て来ないの?」
その言葉に、国王は少し困った顔をする。事前に決めていた通り、ノアがクラウディアを窘めるふりをして声を掛けた。
「姫さま。そのようなご質問は失礼にあたります」
「構わない。見合いが上手くいけば、クラウディア姫はこの王室の一員となるのだ。家族のことが気に掛かるのは当然だな?」
「クラウディア、自分のにーさまたちが大好きだから、スチュアートさまがにーさまになるなら仲良くしたい!」
その言葉を聞いて、クリンゲイト国王は満足そうに頷いた。
「……とはいえ実は、スチュアート本人から理由を説明されたことは無いのだ。しかし何も聞いていなくとも、心当たりならば大いにある」
「こころあたり?」
「あれは、スチュアートが十歳だった頃かな。まだ三歳だったルイスが、ひどい熱を出したことがあったのだよ」
クラウディアがルイスを見遣ると、彼はクラウディアを愛おしむような、それでいて困ったような微笑を浮かべた。
「実のところ、僕はあまり覚えていないのですが……」
「大変な熱で、魔術師たちの治癒魔法もなかなか効かなかった。一時は命が危ないと言われ、当時はまだ存命だったお前たちの母――私の妃もひどく取り乱してな」
国王はお茶を飲みながら、当時を思い出すように目を伏せる。
「この当時、十歳のスチュアートは良き兄としてルイスの面倒をよく見ていた。実はルイスの発熱前日、スチュアートがルイスと庭で遊んでいたときに、ひどい土砂降りにやられていたのだ。ルイスの病状に取り乱した妃は、スチュアートがルイスを雨に濡らした所為だと、兄としての失態だとひどく責めた」
クラウディアは、十歳のスチュアートが叱られる光景を想像してみる。
「自分の所為で弟を失いかねなかったことと、母の叱責がよほど辛かったのだろう。……回復したルイスと一度朝食の席で顔を合わせてからは、滅多に自室から出て来なくなってしまったのだ」
「兄上……」
ルイスは悲しそうに呟いて、ティーカップをソーサーに置いた。
「僕の所為で、兄上が」
「以前も話しただろう? ルイスにはなんの責任も無いと」
(……なるほど)
クラウディアは、紅茶にふうっと最後の一息を吹きかけて、心の中で考える。
(確かに、その時期がきっかけなのだわ)




