75 鉄壁の結界
スチュアートは体を丸めたまま、震える声で紡いだ。
「その声、あの時の侵入者……!? なんで俺の名前を……っ」
「……」
ノアの警戒心が、ゴーレムが現れた際よりも色濃くなる。
「ここは俺が対応します。あなたは転移を」
「いいえ。残るわ」
クラウディアが声を発した瞬間、スチュアートの肩がぴくりと跳ねた。
「……! その、麗しき声は……」
「――……」
ノアが眉根を寄せると同時に、スチュアートがばっと顔を上げる。
クラウディアのことはノアが背に隠していて、スチュアートからは見えないはずだ。するとスチュアートは、クラウディアたちの足元に目をやったらしい。
「そのおみ足……!! 細い足首、肌の白さ。間違いない、あなたは……」
「ち……っ」
ノアが再び剣を構え、一気に駆け出した。
ランタンの弱い灯りの中で、高揚したスチュアートの顔がはっきりと見える。スチュアートはその整ったかんばせに、歓喜の色を浮かべていた。
「……俺の聖女、アーデルハイトさま……!!」
「――――……」
振るわれた剣が、スチュアートの近くの石壁にぶち当たる。
「ひっ!」
大きな音を立てて壁が砕け、スチュアートが身を竦ませた。
恐らくは威嚇のため、わざと攻撃を外したノアは、その剣尖をスチュアートに突き付ける。
「気色の悪い目で、俺の主を見るな」
「お前……。庭に侵入して、この塔にも入り込んだばかりか、何度もしつこく俺とアーデルハイトさまを引き裂こうと……!」
スチュアートはぶつぶつと呟きながら、忌々しそうに親指の爪を噛んだ。
クラウディアは、眠っている少女に挨拶をしてから寝台の端っこにぽすんと腰を下ろすと、ノアの背中に向かって声を掛ける。
「『レオンハルト』。傷付けずに捕らえて」
「そのような配慮が必要ですか?」
「いい子は主君の命令を聞くの。分かった?」
あやすように言い聞かせると、ノアは低い声で返事をした。
「……アーデルハイトさまの、お命じになるままに」
「邪魔を! するなよ!!」
スチュアートは、両手をノアに向けて翳す。
「『鋼鉄よ、我を守れ』!」
きんっと短い音を立てて、光の壁がスチュアートの前に現れる。その魔力密度の高さを見て、クラウディアは感心した。
(短い詠唱。なのに頑丈な結界だわ)
その精度は、かつての弟子だったシーウェルを思い起こさせる。
ノアの振り下ろした剣先が、その結界に弾かれた。ばちりと弾けて雷撃を纏い、ノアが目を眇める。
「ははっ、当たってない!! 俺ごときの結界に弾かれて、ざまあ見ろだ……!」
「……」
後ろに跳んで姿勢を直したノアは、何かを考えるように沈黙した。攻めあぐねているのを見透かして、スチュアートがほっとしたように息をつく。
そして、クラウディアを見遣った。
「アーデルハイトさま!! 俺ごときがあなたのお目に掛かってしまうご無礼、どうかお許し下さい。……いいえ、許して下さいなどと請うのもおこがましいですよね。それどころか、あなたに罰していただくことを望むのすら罪深いのに……!!」
興奮気味に声を上げるスチュアートを、ノアが静かに睨み付ける。
「……お前が、このお方に話し掛けるな」
「俺にそんな資格がないなんてこと、自分が一番分かってるさ……!! 嗚呼、だけど幸運に見捨てられてる俺にはどうせ、こんな機会に恵まれることは二度と無い。だったらたとえ嫌われても、これを逃す訳には……!!」
そしてスチュアートは、クラウディアとノアに向けて両手を翳す。
「『鋼鉄よ。遮断しろ』……!!」
「!!」
ノアが息を呑んだ、その瞬間。
クラウディアの目の前に、結界の光る壁が現れた。
「あら」
結界によって、ノアとクラウディアが分断されたのだ。
寝台に腰掛けたままのクラウディアは、その足をすっと前に伸ばす。爪先で結界に触れてみると、こつんと硬い感覚があった。
クラウディアは、この結界の中に閉じ込められてしまったらしい。
「――……」
それを察知したノアが、剣を握ったまま静かに目を細めた。
スチュアートは自らの胸を押さえ、幸福を噛み締めているらしき様態で口にする。
「これで、誰にも邪魔されません。ようやくあなたの美しさを、間近に観察することができる……」
スチュアートは一歩前に踏み出して、神に祈りを捧げるように呟いた。
「待っていて下さい。いま、転移でお傍に行きますから……」
「ううん……」
クラウディアは人差し指をくちびるに当て、幼い仕草で首を傾げた。
「大変なことをしてしまったわね。スチュアート」
「っ、俺の名前……!!」
スチュアートが、衣服の胸元を握り締めた。
「しかも呼び捨てていただけるなんて……! ありがとうございます。俺なんかに過ぎた名誉ですが、もっとそのお声を……」
スチュアートが踏み出そうとした、次の瞬間だ。
「へ……?」
完全に瞳孔の開いたノアが、剣を手に一歩踏み出した。
その剣に込められた禍々しい魔力を、スチュアートは察知したのだろう。未知のものを見る恐ろしさに、その顔がさっと青褪める。
「この子がさっき、あなたの結界を破れなかったのはね。私に『スチュアートに怪我をさせないで』と命じられて、それを守ろうとしていたからなの」
「な、なんだ……? この迫力、この雰囲気。怖くない、この結界は万全なんだ。うちの王家に伝わる最高傑作の魔法だと言われてるんだぞ、それなのに……」
ぶつぶつと小声で呟くスチュアートの前で、ノアが立ち止まる。
「…………出て来い」
獲物を殺す目をしたノアは、低い声音でそうつぶやいた。
日頃カールハインツに習っている巧みな剣技も、クラウディアが教えている細やかな魔力の扱いも、関係ない。
ただただ単純で圧倒的な、何かを破壊するための魔力が、ノアの剣に大量に注ぎ込まれている。
「私に危害を及ぼす可能性を、たとえ片鱗でもこの子に見せては駄目」
「ひ……」
ノアは一切の迷いを見せず、その剣を結界に向けて、振り翳した。
「――私の従僕が、悪い子になっちゃう」
「うわあっ!!」
次の瞬間、分厚い硝子が粉々に砕かれたような音を立てて、スチュアートの結界が破壊される。




