73 塔の内側
転移魔法のために手袋を外し、素手の指先をノアと絡める。
クラウディアと向かい合ったノアは、なんだか気まずそうな表情だ。クラウディアに問い掛けをしながらも、ふいっとそっぽを向いている。
「それにしても。いつのまに、どのような手段で被害者たちが隠された場所を突き止められたのですか?」
「ふふ。さあ、どうやったのかしらね?」
ノアを見上げてくすくすと笑い、ぎゅっと手を繋いだ。
「あとで理論を教えてあげる。……それじゃあ、お出掛けしましょ」
発動させた転移魔法で、ふわりと体が浮き上がる。
次の瞬間クラウディアたちは、とある結界の中に転移していた。
「ここは……」
目の前の建物を、ノアが見上げる。
夜の中に佇むその塔は、石造りの頑丈なものだった。
こうして真下から観察しても、塔の頂は遥かに上だ。ノアは下から窓を数え、顔を顰めた。
「十九階建てですね。随分と高い」
「あら、私たちのおうちの塔は二十階建てよ。こちらの勝ちだわ」
「何と勝ち負けを張り合っていらっしゃるのですか……」
それからノアは、その大きな手で塔の石壁に触れる。
「魔法で作ったものではないようです。これは、人の手で建てられた塔だ」
「ノアは本当に優秀だわ。もうそこまで分かるようになったのね」
「あなたに教わっている以上、恥じないように学ぶのが当然なので」
当たり前のことのように言い切るが、ノアがクラウディアの従僕になったのはほんの二年前だ。短期間でこれだけの成長を遂げるのは、並大抵の努力と才能ではない。
「灯りを作って? 中に入りましょう」
「……分かりました」
ノアが溜め息をついたのは、クラウディアを中に入れたくないからだ。
けれどもこの従僕は、クラウディアの願いに忠実だった。
「俺が先に参ります。姫さまはくれぐれも、魔力の温存を」
「頼りにしているわ。――行きましょう」
ノアが作り出したランタンのうち、ひとつを受け取る。
魔法で解錠した扉から、そっと中に足を踏み入れた。
塔の中は冷たくて、とても暗い。
クラウディアの前に立つノアが、手元のランタンを掲げる。
それによって照らし出されたのは、赤い絨毯が敷かれた他には何もない、がらんとした光景だった。
「……この階には何もないようね」
声が微かに反響している。クラウディアもノアも平気だが、人によってはとても不気味に感じるだろう。
「あちらに階段が。お手を失礼いたします」
「ええ」
ノアに差し出された手を取り、奥に見える螺旋階段へと向かう。
「足元にお気を付けください。……ゆっくりと」
「ふふ。ありがとう」
心配性な従僕に笑いながらも、二階にはすぐに辿り着いた。だが、目の前のノアがぴたりと立ち止まったので、クラウディアは先に進むことが出来ない。
「ノア?」
「……」
広い背中の後ろから、向こう側を覗き込む。
「――まあ」
そこには一階と同様に、大きな絨毯が敷かれていた。
違うのは他にも家具があり、人がいることだ。とはいえその『人』は、こちらに気付いて驚いたり、声を掛けてくるようなこともない。
天蓋付きの寝台に、ひとりの女性が眠っている。
「ノア」
「……」
そこを通すようにと言外に命じれば、ノアは小さく息をつき、クラウディアの手を彼から握った。
その繋ぎ方は、何があってもクラウディアを離さないという意志を感じる。それを微笑ましく思いつつ、ふたりで一緒に寝台へ近付いた。
「……綺麗なお姫さまだわ」
その女性は、十八歳くらいの外見をしていて、豊かな銀色の髪を持っていた。
長い睫毛に、通った鼻筋。小さなくちびると、滑らかなラインを描く輪郭。
目を閉じて眠っていても、彼女がとても美しいことは窺い知れる。
精巧に作られた人形のようで、けれども決定的に違うのは、緩やかな呼吸を続けていることだ。
「八年前、最初に眠りについたと言われている姫君かしら」
クラウディアは彼女を見つめ、静かに目を伏せた。
「……深い呪いね」
どこかあどけないその寝顔が、いっそ痛ましく感じられるほどだ。
彼女たちは、せめて幸せな夢を見ることが出来ているのだろうか。
「――……」
ノアは眉根を寄せたままだったが、右手のランタンを宙に浮かせたあと、寝台に触れた。
「……シーツが乾いていて、湿気を感じられません。クリンゲイト国はこの季節、アビノアイア国よりも湿度が高いようです。閉め切った石造りの塔でこの状態なら、塔には定期的に立ち入る者があり、シーツなどを替えている」
「ノアはじめじめしている時期に限らず、私がお昼寝のたびにシーツを替えてくれるわ」
「俺は魔法を使うので、それほどの労力ではありません。それに、姫さまに快適な状況でお眠りいただくのは当然のこと」
ノアは言い、再びランタンを手に取った。
「この寝台が整えられている意図も、同様のものかと」
「メイドが出入りしているとは、あまり思えないのよね。この国の王室にとっては、あまり外に漏らしたくない一件のはずよ。私がこの呪いについての噂を聞いたのも、王族しか参加できない夜会でのことだし」
大人の姿に変身したクラウディアは、そこで噂を聞き出したのだ。
「私たちがこの呪いを察知できた以上、噂を完全に遮断することは難しかったのでしょうけれど、その割には広く知られているというほどではないもの」
そしてクラウディアは、寝台の隣に膝をつく。
「ごめんなさい。……少しだけ、触れるわね」
眠った女性にそう声を掛け、彼女の頬を包み込んだ。
「シーウェルの魔力の気配がする」
呟いた言葉に、ノアが溜め息をついた。
「では、やはりこの国の初代国王は」
「……呪いを強制的に解除するのは、原則として、呪いの魔法道具か具現化した呪いそのものを壊さなくてはならない。けれど、シーウェルの魔力を利用して上手く私と繋げられれば、目覚めさせることが出来るかもしれないわ」
クラウディアは目を瞑り、魔力の緒を探すことに集中した。
『シーウェル』
脳裏には彼の姿が浮かぶ。それを呼び、手招くように手を伸ばす。
銀髪の青年が振り返り、同じくこちらに手を伸ばす光景が見えた、そのときだった。
「――――!」
ぱちん、と何かに弾かれる。
クラウディアは反射的に手を引いて、瞬きを繰り返した。咄嗟にクラウディアを引き寄せていたノアが、クラウディアを見遣る。
「姫さま。今のは」
「――拒絶されたわ」
呟いて、自らの指先を見下ろした。




