69 従僕と王子
王子の御前でも不敬のないよう、着替えを含めたいくらかの支度を済ませたあとで、ノアは手合わせの場に立っていた。
クリンゲイト国城内の一角にある訓練場は、生垣に囲まれた芝生の空間だ。
ノアは息をつき、ぎゅっと手袋を嵌め直す。その傍らで、犬のぬいぐるみを抱いたクラウディアが、わくわくとはしゃいだふりをしていた。
「ルイスさまも剣、使えるの?」
「それなりに鍛錬はしてきたけれど、どうかな。魔法の方が使い慣れているかも」
「あ! 危ないから、体に結界魔法をしなきゃだめよ? ルイスさまと、それからノアにもしてあげて!」
ルイスはくすっと微笑ましそうに笑い、クラウディアに頷いた。
「ああ、分かった。結界魔法もまだまだ修行中の身だけれど……ノア君」
「!」
ふわっと光が舞ったかと思えば、ノアの周囲を取り巻いた。それは光の壁となり、すぐに消える。
「物理攻撃を遮断する、結界魔法だ。僕にも同じ魔法を使っている、これで遠慮は無しだよ?」
「……お気遣い、痛み入ります」
ルイスやクラウディアがどう言おうとも、手合わせで他国の王子を傷付けるのは問題外だ。
ルイス自身によってお互いに結界を張らせれば、怪我があったとき、魔法の天才と名高いルイスの結界が不出来だったからだということになる。
これで不測の事態があった際も、公に騒がれることはなくなるだろう。
(……ルイスがどういった意図を持って、手合わせを提案してきたのかは分からないが……)
瞑目したノアは、深く息を吸い込む。
そうしてゆっくりと吐き出すと、その目を開いてルイスを見据えた。
(姫さまのご命令だ。……存分に)
短い詠唱と共に、一振りの剣を出現させる。それを見て、ルイスが目を丸くした。
「すごいな。それほど短い詠唱で、無から物体を生み出せるのか」
(本当は、呪文など必要はないが……)
わざと呪文を唱えるのは、無詠唱だと『やりすぎ』になるからだ。
五百年前のアーデルハイトの時代以降、この世界には詠唱なしで魔法を唱えられる人間は、ひとりもいないということになっている。
ノアはカールハインツに教えられた通りの礼を尽くし、ルイスに向かって一礼した。
「お手合わせ、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく」
臣下に差し出された剣を手に取ったルイスが、ノア同様に礼をする。
屋外用の椅子に腰掛けたクラウディアは、白いパラソルによって出来た木陰の中で、膝にぬいぐるみを抱いたまま言った。
「頑張ってね、ノア!」
(……あなたに命じられた以上、そんなものは当然だ)
ルイスは細身の剣を構え、ノアに微笑む。
「どこからでも……と言いたい所だけれど、僕から仕掛けないとやりにくいよね? 行くよ」
直後、ルイスが軽やかに踏み込んで来た。
「!」
一瞬で詰められた間合いに、ノアは微かに息を呑む。
(速い)
びゅっと風を切る音と共に、剣尖がいきなり眼前に迫った。
背中を反らすようにして躱し、下からルイスの剣を払う。きんっと金属音がして、ルイスがすぐさま後ろに引いた。
すかさず体勢を直したノアは、その勢いのまま剣を翳す。ルイスが上段に構えたので、そこに迷わず振り下ろした。
「く……っ!」
がきん! と剣同士がぶつかり合う。
「…………」
互いに子供の腕力なので、そう激しくは衝撃が来ない。代わりにどちらも体重が軽い分、動きが身軽だ。
ノアはそのまま重心をずらし、手早く刃を引いた。そのまま剣を翻すと、一撃、もう一撃とルイスに打ち込んでゆく。
それを受け止めるルイスは、微笑みながらも僅かに眉根を寄せていた。
「っ、なんて的確な一撃だ……」
(そっちこそ)
様子見で振るった剣だったが、ルイスは難なく受け止めてみせた。剣術の手合わせを申し出てくるだけはあって、得意なのは魔法だけではないようだ。
(剣捌きが小手先のものじゃない。技巧があるし、反応も一瞬だ)
ノアが日常的に剣術の手合わせをするのは、師であるカールハインツである。
時折クラウディアの長兄に捕まり、彼が納得するまで撃ち合いに付き合わされることがあるが、基本的には常に同じ顔ぶれと剣を交わしていた。
呪いでもなく、決まった相手でもないルイスとの手合わせは新鮮に感じられる。
ルイスの重心が崩れたのを見計らい、突きに近い一撃を繰り出した。
(こう動くと、どう出る?)
「……っ」
「!」
ルイスは寸前で身をかわすと、そのままノアの手首を掴んだ。そのまま手首に剣を振り下ろされそうになるも、ノアは手首を捻じって抜け出す。
抑えられないと分かった途端、ルイスはすぐに作戦を変えた。ぱっと身を離して間合いを取るが、その切り替えの早さは興味深い。
(……上手いな)
これがクラウディアの兄王子なら、『一度だけでも自分の策を試したい』という思いから、勝ちを捨ててでも実験的な戦略を取ってくることがある。
一方カールハインツは大人であるが故か、そういった執着はない。
いまのルイスが見せた判断力は、同じ年齢であるノアやクラウディアの兄よりも、カールハインツの冷静さに近いようにも見えるのだった。
(もう少し手合わせをしてみたい。が……)
ノアは短く息を吐くと、初めて自分から間合いを詰めた。
「!!」
(姫さまが、退屈なさる前に――……)
これまで踏み込まなかった懐に、一気に入り込んで剣を構える。剣の柄をルイスの鳩尾に畳み込むと、結界魔法の白い光が壁を作り、寸前で留めた。
「う……っ」
それでも体には衝撃が伝わる。ルイスが顔を顰めた隙に、ノアは半歩だけ後ろに下がった。
「しま……っ」
そしてそのまま、ルイスの首筋に剣を叩き込む。
「そこまで」
「――……」
カールハインツの掛け声と共に、ノアはぴたりと剣を止めた。




