63 尊ばれた魔女
「ルイスさま、しょんぼりしてさみしそうだったから。いっぱい遊んで、自由にのんびり過ごしてくれればいいなって思ったの」
「……ありがとう」
ルイスは大人びた苦笑を浮かべ、そっと俯く。
「だけど、僕には成すべきことがある。時間は有限だ、惜しんでいられないよ。あの人への誓いを果たすためにも――……」
そのとき、通りすがりの小さな女の子が声を上げた。
「ねえ、見て見てお姉ちゃん!」
女の子は街路樹を指さして、きらきらと目を輝かせている。
「他のお花は白いのに、あのお花だけピンク色」
「わあ、本当だ」
声を掛けられた姉の方は、妹に向けて笑いながら言った。
「――ひょっとして、アーデルハイトさまの魔法かも!」
「…………」
幼い姉妹は歓声を上げながら、通りを無邪気に駆けてゆく。クラウディアは首を傾げ、ルイスに尋ねた。
「ルイスさま。『アーデルハイトさま』って、ずっと昔に死んだ魔女のこと?」
「そうだね。この国では何か良いことが起こると、魔女アーデルハイトさまが魔法で守って下さったのかも、と考えることがあるんだよ」
クラウディアは、気付かれないようにふうっと溜め息をついた。
(……ここは、アーデルハイト信仰を持つ国だったのね)
五百年前、クラウディアがまだ『アーデルハイト』だった頃から、その魔女を崇め奉ろうとしていた人々はそれなりに居た。
アーデルハイトは魔法の天才で、当時の魔法理論を根本から組み換え、現在にいたる基礎を作った人間だ。
新しい魔法を次々と生み出した結果、神さまのように扱われたこともある。
それから五百年が経った結果、一部の国や人々の中には、アーデルハイトを神聖視する者も存在するのだ。
この二年であちこちの国を訪れて、クラウディアはそれを知っていた。
「初代国王は、魔女アーデルハイトさまの弟子だったんだって」
「ふうん。なんてお名前のひと?」
「はは、覚えてないや。なにせ五百年も前の王さまだから」
「そっかあ」
ゆらゆらと足を動かしながらも、ひとつ納得したことがある。
(スチュアートが私に反応したのは、アーデルハイトの偽名を使ったからだわ)
ノアがクラウディアをそう呼んだ途端、スチュアートが顔を上げてこちらを見た。あのとき、名前に反応したように感じてはいたのだが、それは思い過ごしではないようだ。
あの反応は思わぬ誤算だったが、その前提で戦略を組めばいいと分かれば容易い。
そう思っていると、ルイスがぽつりと呟いた。
「……伝説に縋ったって、なんの意味もないのにね」
「ルイスさま?」
それは、先ほど彼が『退屈』を口にしたときと同じ表情だ。
「花の色が他と違っていたからって、そんなものがアーデルハイトさまの魔法なわけがないんだよ。アーデルハイトさまは偉大な魔女だけれど、五百年前に亡くなった人の幻影を求めても仕方がない。……大事なのは、いまこの時代に生きている人だ」
そのあと、はっとしたように彼自身の口を手で塞いだ。
「ごめん、クラウディア。いまの話は聞かなかったことにして」
「どうして?」
くすっと笑い、ドレスの裾を脚でゆらゆらと翻しながらクラウディアは続ける。
「だって、クラウディアもそう思うのに」
「……クラウディア……」
「楽しいことや素晴らしいことは、いまその時代に生きている人たちのものだもん。ひとつだけ色の違う花のように、日常に違う奇跡を見付けて楽しめるのだって、すべては見付けた人のまなざしが豊かだったから。……そうでしょ?」
そしてベンチからぴょんと降りると、ルイスのことを振り返って笑った。
「ルイスさまは、なんにも間違ってない」
「――――……っ」
その瞬間、ルイスがぐっと泣きそうに顔を歪めた。
片手で目元を覆ったルイスの銀髪が、さらりと風に揺れる。
「――ずっと前にも、僕に『間違っていない』と言ってくれた人が、たったひとりだけ傍にいたんだ」
「じゃあ、クラウディアとその人はおそろい?」
「そうだね。……少しも似ていないはずなのに、不思議だな」
「ふふ」
クラウディアがふと右手を見遣ると、飲み物を持ったノアが歩いてくる。
「たいへん。ノアったら、やっぱり自分の飲み物を買っていないわ」
クラウディアがおやつを勧めても、ノアはそれを固辞することが多いのだ。
「ごめんなさいルイスさま、クラウディアはノアを叱ってこなくっちゃ。――ノア! もう、メでしょ!」
「…………」
とととっと駆け出したクラウディアの後ろ姿を、ルイスは眩しそうに見つめていた。
「……本当に不思議だな。似ていないはずなのに、どうしてこんなにも思い出すんだろう?」
それは、誰にも届かないほどのささやかな声だ。
両手で口元を押さえ、もごもごと独り言を呟くルイスの頬は、少し赤く染まっている。
「クラウディア。……僕の、お見合い相手の女の子……」
***
それから数時間後、城に戻ったあとのこと。
「――――姫さまはそこにお座りください。ノアも後ろへ立つように」
「はあい、カールハインツ」
「…………」
お小言態勢な筆頭魔術師の前で、クラウディアはちょこんと椅子に座り、小さな手を素直に挙げていた。




