62 街は賑やか
「クラウディア。どうして……」
「えへん。私のノアは、転移魔法が使えてすっごいの!」
クラウディアがぎゅっとノアの腕に抱き付いて言うと、ノアは物言いたげな視線を向けてきた。
ノアに転移魔法を教えた張本人であるクラウディアは、素知らぬ顔でルイスに微笑む。
「――お外の世界がほんとうは怖くないことを、ルイスさまは知っているでしょう?」
「……!」
クラウディアの言葉に、ルイスが僅かに息を呑んだ。
だから、クラウディアはまるでダンスに誘うかのように、向かい合ったルイスと両手を繋ぐ。
「だから一緒に遊びましょ。大丈夫、大人はだあれも気付かないわ」
「……クラウディア……」
「ノア、お願い」
「はい。姫さま」
ノアは短い呪文を唱え、ルイスに触れた。
ぽんと軽やかな音を立てて、ルイスの服装が街に溶け込むような庶民服に変わる。ルイスが驚いている間に、ノアはクラウディアのドレスも変化させた。
うさぎの耳のついた帽子も作ってもらう。ノアにそれを深く被せてもらいながら、クラウディアはルイスに笑いかけた。
「ね。ルイスさま」
「……っ」
赤から瑠璃色に移り変わる、朝焼けのような色をしたルイスの瞳が、未知への期待に揺れて輝いた。
「……うん……」
ルイスがクラウディアの手を握り返す。
そして三人は、街への『探検』を始めたのだった。
***
最初は戸惑いがちに見えていたルイスは、けれども思いのほかすぐに、王都の人混みに溶け込んだ。
屋台の果物に目を輝かせたり、軒先に吊るされたハーブなどの薬草を興味深そうに眺めたりと、あちこちに興味を巡らせている。
特に、クラウディアと同じ年齢くらいの子供たちが道端で遊んでいるのを見掛けると、どんな様子なのかを覗き込んでみたりしているのだった。
「ルイスさま、見て見て。これはふわふわでもちもちのお菓子なの!」
「本当だ……。すごいな、異国からやってきたものなんだろうか」
「それとね、こっちのキラキラも素敵! クラウディアの帽子とおんなじ、ウサちゃんの形をしている飴なんだって!」
「すごく洗練された技術だ。小さな飴細工だけど、もっと大きなものも作れるのかな?」
クラウディアは珍しがるふりをして、ルイスを安全に連れ回す。
けれど、この通りを訪れたのは二回目だ。『姫君が眠ったまま目覚めない』呪いの話を聞き、最初の調査に訪れた際、この辺りは一通り観光を済ませている。
「クラウディア。あっちには何があるのかな……」
「想像するよりも実際に行ってみましょ、ルイスさま!」
少しずつ行動が積極的になってきたルイスに対し、クラウディアは微笑んだ。数歩後ろを歩いているノアが、演技なのか本気なのか分からない表情で言う。
「姫さま。あまりはしゃぐと転びますよ」
「ふふ、大丈夫だよノアくん。僕がクラウディアと手を繋いで行こう」
「……はい。恐れ入ります、ルイス殿下」
「ルイスさま、早く!」
そしてクラウディアは、ノアにさりげなく一瞥を送った。
(スチュアートのことも調べたいけれど。あんな話をされては、ルイスも放っては置けないもの。優先事項はこちらね)
ノアとこんな会話を交わしたのは、昨日の晩餐後のことである。
『――ルイス殿下のあの瞳は、どのような性質を持つのですか?』
お風呂上がりのナイトドレスに着替えたクラウディアは、ノアの膝に座って髪を梳かさせていた。
魔法による温風を浴びながら、ふさふさのブラシで手入れをしてもらう。その心地よさに目を細めつつ、もう眠たい声音でこう答えた。
『二色の瞳を持つ魔術師には、左右で色の違うオッドアイと、ルイスのようにグラデーションになっている場合があるわ。どちらも大まかにいえば、得意な魔法が二種類あるという区分になるけれど……』
クラウディアがゆらゆらと足を揺らすと、椅子にされているノアはやりにくそうにする。
『オッドアイの魔術師は、二種類の魔法を完全に使い分けるの。一方でグラデーションは、上手に混ぜることが出来る。制御は難しいけれど、使いこなせば強力な上に、思わぬ複合的な効果が出せることもあるわ』
『……ルイス王子の瞳は、苛烈な赤色と冷静沈着な青でした。魔法の性質としては、相反するものですが』
『それを上手く使いこなしているからこそ、ルイスの評価は高いということでしょうね』
ふわあっとあくびをし、クラウディアは呟く。
『二色の瞳を持つ魔術師は、五百年前の時代にも滅多にいなかったわ。私は身近に観察したことがあるけれど、たまたま弟子のひとりがそうだったからというだけよ』
『…………』
かつての弟子たちの話をすると、ノアは少しだけ複雑そうな、それでいて僅かに拗ねるような顔をする。
『ふふ。どうしたの?』
『……かつての弟子たちとあなたの間には、どうあっても入り込めない雰囲気を感じるので』
『お前だって、私の従僕であり可愛い弟子だわ』
当たり前のように答えてみたが、ノアはますます複雑そうな顔になるのだった。これもまたひとつの可愛らしさであることを、ノアはきっと自覚していないだろう。
『七歳歳下のルイスに対して、兄であるスチュアートが劣等感を抱くのも無理はないけれど……』
『……それでもスチュアートのあの様子は、少し行き過ぎているのでは』
ノアが言っているのは、スチュアートの自信の無さに対してだろうか。
それともクラウディアを聖女と崇め、あの庭に引き留めようとしたからだろうか。
あるいは、その両方なのかもしれない。
『たとえ弟より魔法が劣っているとしても、それだけが要因では無いように見えるわ』
クラウディアは、つやつやに手入れされた自分の髪をひとふさ摘んで呟いた。
『……ひとつだけ、明確に引っ掛かっている点があるの』
『それはどのような?』
『あのね、ノア』
クラウディアはノアを振り返ると、そっとこんな言葉を告げた。
それが、昨晩の出来事である。
***
「じゃあ、ここできゅーけい!」
川辺のベンチに駆け寄って、クラウディアはうんしょとそこに座った。
三人掛けの真ん中だ。右と左、それぞれの座面を手で叩き、ふたりの少年を呼ぶ。
「ルイスさま、ノア、はやく!」
「俺はあちらの店で、おふたりの飲み物を買ってきます」
「じゃあ、ルイスさまがここ!」
クラウディアが呼ぶと、ルイスは小さく微笑んでからクラウディアの左隣に座った。
「いっぱい歩いたね。お昼寝は平気?」
「えへん。クラウディア、まだねむくないよ」
誇らしい顔でそう言ったあと、ルイスを見上げて笑う。
「ルイスさま、さっきの『ボールあて』、クラウディアのために頑張ってくれてありがとう! ぬいぐるみ、あとちょっとだったね」
「ははは……。ついつい何度も挑戦してしまって、思い返すと少し恥ずかしいな」
「ルイスさまとノア、『もう一回だけ』を何回もしてた」
「…………だいぶ恥ずかしいな…………」
大人びているルイスの頬が、今だけは赤く染まっている。
台に並べられた景品にボールを当て、上手く落とすと景品がもらえる遊戯だったのだが、つい熱中してしまったことが不覚だったようだ。
けれど、そんな様子を見せていたのはノアも同様である。
なかなか落とすことが出来ず、ルイスと一緒に悔しそうにするノアの顔を思い出して、クラウディアはくすくすと肩を揺らした。
「ルイスさま、ノアと一緒に遊んでくれてありがとう」
「……クラウディア?」
遠くには、屋台で飲み物を買ってくれているノアの姿がある。
クラウディアは、まだまだ小さなその背中を眺めながら微笑んだ。
「ノアはいつも頑張ってるの。まだ子供なのに、クラウディアを守るために、毎日お勉強や練習や訓練をしてるのよ」
「……そうだね。僕の目からも、そんな風に見える」
「でも、クラウディアはノアにもいっぱい遊んでほしい」
そして、今度は隣のルイスを見上げる。
「ノアだけじゃなくて、ルイスさまにも!」
「――!」
にっこりと笑うと、ルイスは驚いたように目を丸くした。




