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61 王子の寂しさ

【2章】




 ルイスとクラウディアのお見合いは、全部で十日間の日程を用意されていた。


 転移魔法があるのだから、本当ならばクリンゲイト国の城に宿泊しなくとも、毎日夜になったら帰ればいい。

 しかし、やはり名目がお見合いということで、クラウディアは十日間クリンゲイト城に滞在することになっている。


 今日は、その二日目だ。

 髪をツインテールに括ってもらい、それぞれに大きなリボンをつけたクラウディアは、午後の庭をとことこと歩いていた。


「ルイスさま、見てえ!」


 満面の笑顔で振り返ると、ルイスは優しげな微笑みで首をかしげる。


「どうしたの? クラウディア」

「ほら、ここにてんとう虫さん! 小さくて、とってもかわいい」


 クラウディアが指さすのを見て、ルイスは穏やかに同意してくれる。


「本当だ、可愛いね。この小ささは、きっとオスだな」

「この子、男の子なの? どうして分かるの?」

「てんとう虫はオスの方が小さいんだよ。ほら、きっとこっちにいるのがメスだ」

「わあ……」


 クラウディアはきらきらと目を輝かせ、ルイスを見上げた。


「ルイスさま、てんとう虫博士!」

「はは。そんなことはないよ、たまたま時間が空いたときに、手あたり次第に図鑑を読んだことがあるだけ」

「ご本が好き? クラウディアのにーさまも読書が大好きだから、お友達になれる!」


 そんなクラウディアとルイスのやりとりを、周囲のメイドたちが微笑ましそうに見守っている。もう少し近い場所では、護衛としてのノアが静かに待機していた。


 庭の入り口では、国王とカールハインツが、外交的な会話を交わしながらこちらを眺めている。


「クラウディア姫は、ルイスに随分と懐いてくれたようだ。実に天真爛漫で、子供らしい姫君だな」

「………………そのようで」


 カールハインツの無表情を、国王は生来の性格によるものだと思ったらしい。さして気にする素振りもなく、カールハインツにこう語っている。


「子供たちのことは、あとはメイドとあの少年護衛に任せるのが良かろう。どうだ、アビノアイア国の魔法技術がこのところ飛躍的な発展を遂げている件について、あちらで是非聞かせてはくれないか」

「……私にお答え出来ることでしたら」


 カールハインツは静かにそう答えると、クラウディアの方を一瞥した。

 そして、ふたりで庭を去ってゆく。


(予定通り、カールハインツが国王を引き離してくれたわ。メイドたちも難なく誤魔化せそうね)


 蝶々を追い掛けるふりをしながら、クラウディアはルイスを呼んだ。


「ルイスさま、こっち来て! ひみつの場所を作るの」

「ひみつの場所? うん、いいよ」

「メイドさんたちは、大人だから来ちゃダメ! ひみつの場所は子供だけよ。ノアもこっち!」


 クラウディアが取り仕切る言葉に、メイドたちはくすくすと笑いながら頷いた。

 城の中は、子供たちが安全に過ごせるような各種の魔法が掛けられている。だからこそ、大人たちはそれほど神経を尖らせず、自国の王子と他国の王女を遊ばせているのだ。


 クラウディアにとって、それは好都合だった。

(スチュアートの情報を集めるなら、ルイスからが最も効率的だわ)


 カールハインツによる情報収集は、使用人や官僚相手が中心だろう。だが、自身の領域から滅多に出てこない王子について話を聞くなら、弟王子からの方が多くを得られる。


 メイドたちが安心してお喋りを始めたため、クラウディアはぐんぐんと庭園の中を進み、大人の目が届かない場所にルイスを誘導した。


「ねえねえ、ルイスさま」


 一方で、懐に入るための会話は欠かさない。


「ルイスさまは、どうしてたくさん本を読んでいるの?」


 すると、クラウディアよりもノアに近い場所を歩いていたルイスが、はにかむように微笑んでこう言った。


「憧れている人がいるんだ」

「あこがれ!」

「そう。その人はとても博識で、探求心があって、自分の持つ知識を使いこなす天才で。僕のずっと先を行く、素晴らしい人なんだよ」


 そしてルイスは、小さな声でこう続ける。


「ちゃんと話しが出来るうちに、もっと色んなことを教わっておきたかったけれど」

「……あこがれの人、もうお話しできないの?」

「はは。いいや、絶対にそんなことは無いって信じている。……でも、なかなかその機会に恵まれなくて、ちょっと落ち込むこともあるかな」

「……」


 カールハインツの調査では、部屋に籠りがちなスチュアートに対し、ルイスだけが諦めずに毎日声を掛けに行っているのだそうだ。

 そろそろ会話の頃合いだろうか。ノアに視線で合図を送ったあと、クラウディアは芝生の上をトトトッと駆けた。


「クラウディア、むずかしいお話わかんない!」

「姫さま。そのように走っては、先日の兄君のように転んでしまいますよ」


 これは、事前にノアと決めていた台詞である。同じく予定通りの台詞を、クラウディアは迷わずにするすると答えた。


「にーさまは、ご本を読みながら歩いていたから転んだんだもん。ね、ルイスさま! そんなことしてたら、コロンッてなっちゃうわよね?」

「うん、そうだね。それは危ないな」

「だからクラウディア、にーさまにメッてしたのよ。クラウディアの方が、心はずっとお姉さんだから」

「心が? ふふっ、面白いことを言うな」


 ルイスは本当におかしそうに笑った。

 美少年そのものの、どこか甘やかな微笑みだ。ここに同じ年代の少女たちが居たとしたら、みんなルイスの虜になっていただろう。


「でもクラウディア、にーさまたち大好き!」

「そうか。それは良いことだね」

「ルイスさまのにーさまは、どんな人?」


 クラウディアがそう尋ねると、ルイスは少し考えるような仕草で口元に手を遣った。


「――とても才能があるのに、自分でまだ気が付いていない人、かな」

「ふうん」


 敢えて興味のなさそうな返事をすると、ルイスにとっては却って話しやすくなったらしい。彼は苦笑して、更に言葉を続けた。


「こんな言い方だと、弟なのに生意気かもしれないけれど。僕が三歳くらいになると、あまり部屋から出てきてもらえなくなったから、兄の性格のようなものは語れることがなくて」

「にーさまのこと、好き?」

「……もっとたくさん話してみたい。兄上の魔法を、見せてもらいたい」


 ルイスは、これまで浮かべていたそつのない笑みを今だけは消して、ほとんど独白のように口にする。


「同じ年代の友達候補も、魔法を教えに来る教師たちも、僕の想像の域を出ることは無かった。図書館の本をすべて読んでしまったあとは、どんな学術書にも似たようなことが書いてあるばかり」

「ルイスさま……」

「前だってそうだ。城の外に出てみたいと思ったけれど、『外で病に掛かってしまって、目覚めなくなったらどうするの』と、母がひどく恐ろしがって。……兄の魔法は、僕にとってとても久し振りの『美しいもの』だったけれど、それでも」


 そう話すルイスは、十一歳という年齢よりもずっと大人びている。

 何よりも、あらゆる物事を諦めたような、さびしげな顔なのだった。


「僕はいつも、待ち続けるだけで退屈だ」

「…………」


 ルイスの口から、初めて本音のようなものが聞こえた。

 だからクラウディアは、忠実な従僕の名前を呼ぶ。


「――ノア」

「ご命令ですか? 姫さま」


 ノアは素直に返事をしたあと、クラウディアのにこっと笑った表情を見て、思いっきり眉根を寄せた。


「……まさかとは思いますが。俺に、魔法を使えと仰るおつもりでは」

「ふふ、ノアはいい子! クラウディアのことはなんでも分かるものね?」


 その言葉ですべてを察したらしく、ノアが額を押さえて溜め息をつく。その仕草がカールハインツと似ていることを指摘したら、ノアはどんな顔をするだろうか。


「ルイスさま。ノアと手を繋いで」

「……クラウディア?」

「はやくはやく! ほら、ぎゅって!」

「申し訳ございません。ルイス殿下」

「え……」


 クラウディアと手を繋いだノアは、顰めっ面のままルイスの手も取った。


「わ……!!」


 発動した魔法は、転移魔法だ。

 無事に転移先へと着地して、クラウディアはにこにことはしゃいで見せる。


「わあ。ノア、魔法が上手!」

「…………」

「っ、ここは……」


 辺りに広がる景色を見て、ルイスがごくりと息を呑んだ。


「もしかして、城下の街……?」


 ルイスの言う通りだ。

 クラウディアたちの眼前には、たくさんの笑顔と活気ある声で賑わう、明るい王都の景色が広がっている。





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