59 その絵のあるじ
男性はますます身を丸め、ぶつぶつと独り言を繰り返し始めた。
「俺の結界なんて、他人から見たら紙同然だよな……。城の連中も本当に近付けないんじゃなくて、俺に気を使って入れないふりしてくれているだけだったんだ……。それなのに俺は、自分の魔法で侵入者を防げるって本気で思ってたってことか……? 恥ずかしい……。俺の存在がすべて恥ずかしい……」
「…………」
ノアが僅かに後ずさる。
「やっぱり今朝、起きた瞬間に不吉な予感がしたのは正しかった。朝からパレットを絨毯に落とすし、慌てて拭こうとしたらサイドテーブルの花瓶にぶつかってこなごなに割れるし、ぶちまけられた花粉でくしゃみが止まらなくなったし。これはきっと、自分がいかに恥知らずな人間かに気付かされる出来事があるという前触れだったんだ……」
聞いているだけで不運の連続だ。男性は自分で話しながらも、どんどん落ち込みが加速していくようだった。
「俺なんかいますぐ消えた方が良い、そうだ穴を掘ってそこに家を建てよう……。陽が当たらない環境こそ俺にお似合い、人間の住む部屋を与えられてること自体がおこがまし……」
「――『レオンハルト』。このお方を起こして」
「アーデルハイトさまのお命じになるままに」
「ひいいいい……っ」
ノアが男性を引き起こした瞬間、力のない悲鳴が上がった。
「は、離してくれ離してくれ……! こんな明るい場所で人に顔を見られるとか有り得ない、うわあああ……」
「いかがなさいますか? あなたも恐らくは、この方の正体にお気付きでしょうが」
「なんのことだか分からないわ。そのまま羽交締めにしておいて」
「はい」
「たたた、助けて……助けて……」
この国の王太子ルイスと同じ銀色の髪を持つ青年は、咄嗟に両手で目を覆ったため、顔面の下半分しか窺えない。
顔立ちが整っているようにも見えるのだが、口元の雰囲気で判断するしかなかった。
体はひどく震えている。それは、雪の中で蹲っていたことだけが理由でもないらしい。
クラウディアは、ノアが抱えているその男性に近付いていき、彼のことを見上げた。
「お庭のあるじさま、驚かせてしまってごめんなさい。私たち迷子なの、許して下さる?」
「いやいやいや、本当に勘弁してほしい……!! 俺が人前に出るのがどれくらいぶりだと思ってるんだ、しかもその声女の子だろ!? 無理です無理!」
「それでは『レオンハルト』に話させようかしら。ねえ」
「男も同じくらい無理なんで!!」
ノアは大きく溜め息をつき、クラウディアのことを見た。
「どうなさいますか。『アーデルハイトさま』」
「ううん、そうねえ……」
前世の名前アーデルハイトは、クラウディアが大人姿のときに使っている偽名のひとつだ。男性はそれに反応してか、ぴくりと肩を跳ねさせた。
「……アーデルハイトだって……?」
彼は、恐る恐ると目を開ける。
クラウディアはそこで初めて、彼の瞳の色を確かめた。
(ダイヤモンドのような、銀色の瞳)
これもまた、珍しい性質の魔力である。
男性は、クラウディアを見た瞬間に、これまで頑なに瞑っていた目を見開いた。
「うわ」
そして、一番大きな声でこう叫ぶ。
「……氷の聖女……!?」
「………………」
ノアがじとりと目を細めた。
男性は一気に興奮した様子で、クラウディアに畳み掛ける。
「透き通るように白い肌、白銀のマント!! 流水を思わせる滑らかで繊細な髪の流れ、目も眩むような美しいかんばせ!! この芸術的な体の曲線……! 本物の人間とは思えない、神がこの庭に遣わせた聖女……!!」
「あららら?」
「おい。『アーデルハイトさま』に気安く近付くな」
男性はクラウディアの前に跪き、祈りを捧げながら叫んだ。
「スチュアート・ヘンリー・クリンゲイトと申しま……あっいや、お忘れ下さい!! 聖女に俺なんかの名前を名乗るなんて有り得ませんでした……!!」
「……スチュアート」
「せ、聖女が俺の名前を……!!」
目元に前髪の掛かったスチュアートの顔は、感涙で大変なことになっている。ノアが黙って睨み付けているが、これで推測は確信に変わった。
(この青年がルイスの兄にして、この国の第一王子スチュアート)
どうやら、この庭は彼の遊び場らしい。
「聖女さま……あの、よよよ、よろしければ少しこの庭で休んで行かれませんか……!? いえっ、こんな提案差し出がましいと分かってはいるんですが……!! 少しでもそのお姿を目に焼き付けたく、その……!」
「……アーデルハイトさま」
ノアはクラウディアを庇う位置に立ちながら、小さな声でこう言った。
「一度、お時間を改められた方が」
(私の魔力残量が十分でないことを、きちんと把握しているわね)
クラウディアはくすっと微笑んだ。
今日の『お見合い』の時間を作るため、昨日までたくさんの魔法を使っている。先ほど眠りに落ちてから、それほどしっかり眠った訳ではないため、その分が回復していないのだ。
「そうしようかしら。……スチュアートさま、ごめんなさい。帰り道が分かったから、迷子はそろそろお暇するわ」
「え……!?」
(とはいえ、また調査に来る必要があるかもしれないもの。次の約束を取り付けておいた方が、都合も良いわね)
クラウディアはそう考え、スチュアートに告げた。
「よければまた、お庭に遊びに来たいのだけれど……」
「――っ、あと少しだけ!!」
「!!」
これまでで一番大きな声が、雪原の庭に響き渡った。
「どうかあと少しだけそのお姿を、俺の目に映させていただけませんか! 五分だけ、いいや十分、一秒でもいいから……!!」
「――――!」
スチュアートの手が、クラウディアに伸びてきた。
その指先は、分厚い氷に覆われている。
ぱきぱきと大気を凍らせながら、スチュアートはその手でクラウディアの指に触れようとした。
「どうかあなたを、俺の絵の一員に……っ」
「――アーデルハイトさま!」




