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57 探検の準備

***




「姫さま。……姫さま」

「んん……」


 とんとんと優しく背中を撫でられて、クラウディアはぐずぐずと額をノアに擦り付けた。


「寝台の用意が整ったそうです。……姫さま、こちらでゆっくりとお休みを」

「……嫌ぁ……」


 聞き分けのない我が儘を言うのは、前世で想像していた以上に楽しいものだ。クラウディアはぎゅうっとノアにしがみつき、わざと従僕を困らせる。


「ノアの抱っこで寝るの。……お布団には、ノアが寝なさい……」

「姫さまの寝台を、俺が使うわけには参りません」

「…………」


 クラウディアはノアの胸元に顔を埋めたまま、無言で呪文を詠唱した。

 その魔法は至って単純で、『ノアを寝台の方にぐいぐい押す』という物理魔法だ。


「く……」


 ノアは当然抗えず、ぐらっと後ろによろめいて、クラウディアごとシーツの海に沈んだ。


「っ、姫さま!」

「ここはノアのお布団。私のお布団はノアなの」

「くそ……。極度に眠いと、訳の分からない我が儘を言う……!」


 その癖をなんとかしてください、と苦い声音で抗議される。クラウディアはノアの上で、むにゃむにゃと言った。


「子供っぽい子供のふりをするのも、あんがい疲れるもの……あふ」

「普通に振る舞えばよろしいのでは?」


 ノアはそう言うが、あれはれっきとした処世術だ。


 極端に子供らしく振る舞うことで、相手がこちらを侮ってくれる。

 か弱くて、取るに足らない存在だと考えてもらえるのは、クラウディアにとって都合が良いのだった。


 以前にそう説明したとき、ノアは胡乱げな表情で、「本当は『子供ごっこ』を楽しんでいらっしゃるだけでしょう」と言っていたのを思い出す。


(ノアは良い子で優秀だから、主人のことをとてもよく理解しているわ)


 ノアはやがて、観念したように息をつき、起き上がろうとしていた体の力を抜いた。


「ルイス殿下は、兄君がいらっしゃるようですね」


 先ほどの会話を聞いていて、ノアも疑問に感じたのだろう。


「以前クリンゲイト国の調査に来たとき、国民はみんなルイス殿下を讃えていました。兄王子の存在は、誰も口にしていません」

「んん……」

「王位継承者の中でも、より優秀な王子に王太子の座が与えられた、ということでしょうか」


 ノアはなんとなく、思うところがあるような素振りだった。ひょっとしたら、彼の父親とその兄弟について思い出したのかもしれない。

 ノアの上で微睡むクラウディアは、小さな口であくびをしながら尋ねる。


「カールハインツは……?」

「ちょうどいま、伝言が」


 賓客室の窓から入ってきたのは、ふわふわと光る文字だ。ノアはそれを手で捕まえると、手のひらに映し出された文字を読み上げる。


「調査結果です。――兄王子の名はスチュアート、八年ほど前から部屋に篭りがちで、いまや滅多に外には出てこないと。年齢は、御年十八」


 この国で最初に姫君が目覚めなくなってしまったのは、八年前だ。この兄王子が十八歳ならば、十分に当時のことを覚えている年齢だろう。


「どうなさいますか? 姫さま」

「んむむ……」


 クラウディアは目を開き、緩慢に瞬きを繰り返す。


「っ、ふわあ……」


 そしてむくりと身を起こすと、ノアのお腹の上に座り、目元を擦りながら言った。


「……やっと目が覚めてきたわ」

「それは何よりです。恐れながら、そろそろ俺の上から降りていただければと――……」

「うんしょ、っと……」

「!!」


 ぽんっ、と軽やかな音が弾ける。


 高度な魔力の爆ぜた煙が、ノアとクラウディアの姿を覆い隠した。それはすぐさま晴れたものの、ノアの表情は硬直していた。


「な……っ」


 恐らくは、クラウディアが大人の姿に変身していたからだろう。


 十六歳ほどの外見で、手足はすらりと伸びている。

 胸元は豊かなラインを描き、腰の辺りで一度くびれていて、そこから下は再び柔らかい曲線を描いた体型だ。


 ミルクティー色の髪は艶やかに伸び、腰の辺りで揺れる。二重の目はぱっちりと大きく、小さなくちびるは薔薇色だ。纏っているドレスは、大人びたレース調の黒色である。


 そんなクラウディア自身の姿が、黒曜石の色をしたノアの瞳に映り込んでいた。


「……姫さま……」


 思いっきり渋面を作ったノアは、こちらも十八歳くらいの大人姿だ。


 青年の姿になったノアは、顔立ちの精悍さが更に増している。身長はとても高く、肩幅も体つきもしっかりしていた。

 クラウディアがこうしてノアのお腹に座っていても、まったく苦しそうな様子はない。その代わりに物凄く苦々しい顔をして、こう口を開く。


「また、よからぬことをお考えなのでは」

「あら。心外だわ」


 ノアの顔の横に右手を突き、上から見下ろしたクラウディアは、左手で横髪を耳に掛けながら笑った。


「私は伝説の魔女の生まれ変わりよ? 考えていることなんて、常によからぬことに決まっているでしょう。子供の姿だと不都合だわ、見付かると正体がすぐに気付かれてしまうもの」


 そう言うと、ノアは手の甲を目元に押し当てて溜め息をつく。


「……あなたは、本当に……」

「ふふふっ」


 クラウディアはノアの手首を掴み、その手のひらに浮かび上がった文字を見遣る。

 カールハインツの伝言の下には、彼が調べたらしきこの城の見取り図が描かれていた。


「さあノア、行きましょう」

「――……」

「!」


 どことなくむすっとした表情のノアは、そこから腹筋の力だけで起き上がると、クラウディアの手首をぐっと掴んだ。


「姫さまのお命じになるままに」


 そして、転移魔法が発動する。



 次の瞬間、転移先で肌が感じ取ったその感覚に、クラウディアは瞬きをした。



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