56 暁と夕暮れの瞳
「ルイス・ヘンリー・クリンゲイトと申します。……遠いところを、お疲れではありませんか?」
魔力の性質は、瞳の色に現れる。
炎魔法を得意とする赤色の瞳。光魔法を得意とする金色の瞳。
クラウディアは魔法で金色に偽装しているものの、本当はすべての魔力を統べる、七色の瞳を持っていた。
(この子も随分と、珍しい瞳をしているのね)
彼の瞳の下半分は、燃えるようなルビーの赤色だ。
けれどもその上半分は、深い水底のようなラピスラズリの青だった。上から下に、青から赤のグラデーションを描くような、そんな瞳の色をしている。
(ふたつの魔法の性質を、この年齢で使いこなすことが出来ているのなら――……魔法の天才と呼ばれるのも、確かに頷けるわ)
そんなことを考えながら、クラウディアはにこっと笑った。
「王子さま。クラウディア、疲れていません。とっても元気です!」
「それは安心しました。アビノアイア国から我が国までは、転移魔法を使っても遠いですから」
「ううん、あのね。ノアの魔法で、ふわって飛んで来たの!」
そう言ったあと、クラウディアは大袈裟にはっとして、両手で口を塞ぐ。
それを見て、ルイスは不思議そうにした。
「どうかなさいましたか?」
「ごめんなさい。クラウディア、ちゃんとお姉さんらしくお話ししないといけないのに、間違えちゃいました」
「ああ。なるほど……」
ルイスは合点がいったように、彼の父を振り返った。
「父上。婚約のための顔合わせともなれば、お互いに寛いだ状態で臨むのがよろしいかと思うのですが」
「そうだな、息子よ。お前の言う通りだ」
「ではこれより、堅苦しいやりとりは不要と致しましょう」
ルイスはそう言って、クラウディアに再び目線を合わせる。
「姫。今からは、『お姉さんらしく』話さなくとも構いませんよ」
「ほんとう?」
「僕ももう少し砕けた話し方をしようか。……だから、先ほどのように謝ったりしないで。ね?」
クラウディアはほっとしたように息をつき、満面の笑顔でお礼を言った。
「ありがとう、王子さま!」
「ははは。僕のことは、ルイスと」
「ルイスさま! クラウディアのことも、クラウディアって呼んでね」
するとルイスは、小さな子供を見守る眼差しで微笑む。
クラウディアはにこにこと無邪気に振る舞いながらも、内心ではこう考えていた。
(確かにとても大人びているわ。ノアもしっかりしているけれど、それとは少し性質が違うわね)
振り返った従僕は、ほんの僅かに眉根を寄せているようだった。クラウディアと目が合うと、一呼吸のあとに冷静な表情を作ってみせる。
そのとき、息子たちを眺めていた王が、思い付いたようにこんな提案をした。
「ルイス。どうだ、姫と一緒に庭でも散歩をしてきたら」
「クラウディア、きれいなお花大好き!」
遠慮なく子供らしい振る舞いを始めたクラウディアに、周囲の大人たちが微笑ましそうな目を向ける。
暖かく見守るまなざしは、クラウディアを完全に『無害な幼子』だと考えている人間のものだ。
その中でルイスだけが、ほんの一瞬だけ困った顔をしてみせた。
「父上。いま花が咲いている庭は、その……兄上の」
「……そうだったか」
国王が溜め息をついた傍らで、クラウディアは考える。
(……兄)
国王にとっての第一子は、ここにいるルイスでは無いらしい。
にもかかわらず、次期国王である『王太子』の座はルイスにあるということだ。クラウディアは、父からも聞かされていなかったその事実について思考を巡らせる。
(呪いの被害を受けているのは、この国の王族筋の姫君たち。呪いの発端は八年前。『兄』の年齢次第では、周辺を調べてみる価値はありそうね)
そんなことを考えながら、クラウディアは緩やかな瞬きをする。
(この城の、花が咲いている庭。……兄王子は、そこに、いる……)
「ルイスよ、では池はどうだ。小舟を新調したばかりだろう」
「水辺にお連れするのは慎重になった方がよろしいかと。万が一の事故がありましたら、アビノアイア国に顔向けが出来ません」
「確かに。それならば図書館は?」
「子供向けの蔵書は、あまり充実していないと記憶しています」
「おお、困ったな……。クラウディア姫よ、何かこの国でやりたい遊びは……」
「んむにゅ……?」
ルイスたちの話す傍らで、クラウディアは口元を覆う。
「……ふわあ……」
「――――……」
その瞬間、カールハインツがぎょっとしたのが分かった。
「姫殿下、まさか」
だが、クラウディアは些事に構いはしない。
目元をごしごしと擦り、壁際に控えていた従僕に向かって手を伸ばす。
「ノアぁ……」
「…………」
ノアもカールハインツと同様に、嫌な予感がするのを隠さない顔をした。
けれどもカールハインツよりもノアの方が、諦めが早くて聞き分けが良い。小さく溜め息をついただけで、全てを察してこちらに歩いてきた。
いつも通りに抱き上げられたクラウディアは、ノアにくっついて目を瞑る。その様子を、ルイスたちが驚いたように眺めていた。
「クラウディア?」
「んん……」
ルイスに呼ばれても、クラウディアは返事をしない。それを見て、カールハインツが額を押さえる。
「恐れながら、国王陛下。ならびにルイス王子殿下」
クラウディアの代わりに、カールハインツが深く深く頭を下げて、こう説明した。
「……クラウディア姫殿下は、ただ今よりお昼寝のお時間に入られます」
「………………」
次の瞬間、謁見の間にはクリンゲイト国王の豪快な笑い声が響いたのだった。




