55 その国の王子
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クリンゲイト王城の片隅では、閉ざされた扉の前に立ち尽くした少年が居た。
十一歳ほどの外見で、身なりは良く、長身だが線の細い印象を受ける。
柔らかそうな銀色の髪に、同じ色の長い睫毛を持つ彼は、気遣わしげにノックをした。
「兄上。僕です、ルイスです」
少年は微笑みを浮かべ、柔らかな声で扉の向こうに語り掛ける。
「今日のお加減はいかがですか? よろしければ今夜一緒に」
「――入るな」
「……」
中から聞こえた拒絶に、少年は困った顔で眉尻を下げた。
「俺のことなんか放っておいてくれ。俺と同じ空気を吸うと、無能が感染するぞ」
「……兄上……」
「お前の声を聞くと、俺だって目眩がする」
少年がきゅっとくちびるを結んだところに、メイドの声がした。
「ルイス殿下。もう間もなく、アビノアイア国のクラウディアさまがお見えになるそうです」
「……ありがとう。いま行くよ」
少年がメイドに笑い掛けると、中からはますます刺々しい声が聞こえてきた。
「ほら見ろ、呼ばれているじゃないか。お前は大勢に必要とされているんだ、上手くやったよな。……こんな陰気な場所になんか来ないで、未来の花嫁に会って来いよ」
「兄上。ですが」
「この国の後継者……王太子は、俺じゃなくてお前だ。どうせ」
そんな言葉に、少年は寂しげな笑みを浮かべた。
「また来ます、兄上。僕に出来ることがあったら、なんでも言ってくださいね」
「……」
「だって、僕たちは兄弟なのですから」
少年は、扉に向かって一礼をする。
そして、廊下をゆっくりと歩き始めた。
「お見合い、か」
ぽつりと口にしたのは、誰にも聞かせることのない本音だ。
「……同じ年頃の子供を相手にするのは、話を向こうに合わせてあげなきゃいけなくて退屈なのにな」
年齢よりも大人びた横顔には、諦めのような色が滲んでいる。
「これも外交のひとつだ、仕方がないけれど……」
そして少年は、『見合い相手』の待つ広間を目指すのだった。
***
クラウディアが転移したその瞬間、クリンゲイト国の魔法騎士は高らかな声を上げた。
「――クラウディア姫殿下がお見えです!」
謁見の間に集まっているのは、国王とその臣下たちだ。魔力が溢れて輝く床に、クラウディアはつまさきから着地する。
転移魔法の魔力を帯びた髪や、薄紫色をしたドレスの裾が、ふわりと舞い上がって優雅に靡いた。
一度この国に転移したあと、手続きと身支度を済ませてから入城したのだ。護衛として先に転移していたノアが、クラウディアの手を取って支える。
クラウディアがそれを握り返し、赤い絨毯の上に一歩踏み出すと、同じく先に転移していたカールハインツが進言した。
「陛下。こちらがアビアノイア国第二王女であらせられる――……」
「はじめまして。国王陛下!」
紹介を受け、クラウディアはノアから手を離して一礼した。
「この度はお招きいただき、ありがとうございます」
ドレスの裾を摘んだその礼は、誰の目から見ても素晴らしいものだ。
それでいて、仕草には少女ゆえの可愛らしさがある。周囲の大人たちには、クラウディアの少し澄ました表情が、却って微笑ましく映るらしい。
「クラウディア・ナターリエ・ブライトクロイツ。八歳です!」
「よく来てくれた。顔を上げてくれ、クラウディア姫」
その言葉を受け、クラウディアは改めて背筋を正す。すると周囲の重鎮たちが、感心したように小声で囁いた。
「幼いながらに、なんとお美しい姫君か」
「まさに、我らがルイス殿下にふさわしい……」
魔法で収集した声を聞いて、クラウディアはくすっと微笑む。
(あちらにとっては、自分たちが選ぶ前提のようだわ)
見上げる先に立っているのは、この国の王である男性だ。
クラウディアの父よりも年上で、四十代の後半といったところだろうか。
(私のお見合い相手、この国の王太子は十一歳と言っていたわね。国王陛下にとっては、遅くに出来た子供のようだけれど……)
そんな思考をまったく表に出さないまま、クラウディアはちょこんと首をかしげた。
「国王陛下。クラウディアのお友達になってくださる王子さまはどちら?」
「お友達? ははは!」
国王は快活に笑ったあと、面白そうにクラウディアを見下ろした。
「そうかそうか、『お友達』か。アビアノイアの姫君はお可愛らしいな」
「申し訳ございません。何分、クラウディア姫殿下はまだ幼く……」
「カールハインツ殿、構わない。我が息子は、年齢の割に大人びすぎているくらいでな。妃としてふさわしいのは、このように素直で無邪気な姫君とも言える」
「…………」
カールハインツの沈黙と、傍らに控えているノアの視線が刺さる。しかしクラウディアは、しれっと笑顔を浮かべたままだ。
「クラウディア姫よ。息子のルイスと、少し一緒に遊んでやってくれるか?」
「はい! クラウディア、王子さまと一緒に遊んであげます!」
「ふ。ははは!」
豪快に笑った王が、玉座の後ろにある扉に声を掛けた。
「ルイス。入れ」
「はい。父上」
そして、ひとりの少年が現れる。
クラウディアは彼の姿を見て、ごく僅かに目を細めた。
「お目に掛かることが出来て光栄です。クラウディア姫」
銀糸のような輝きの銀髪に、どこか中性的な美しい顔立ちを持った子供だ。
年齢の割には長身で、けれども体付きはまだまだ華奢な印象を受けた。
同じく十一歳であるノアと身長は変わらないくらいだが、肩幅などは、ノアの方がずっとしっかりしている。
(……ふうん、そうなの)
クラウディアが目を細めたのは、少年の浮かべた微笑みが、十一歳と思えないほど大人びていたからではない。
それは、ルイスのとある意外な瞳の色によるものだ。




