54 出発の時間とは
その発言に、カールハインツが渋面で言う。
「姫殿下。なにとぞお考え直しを」
「あら?」
クラウディアはちょこんと首を傾げたあと、ミルクティー色のさらさらした髪を指で梳いた。
「客観的に見て、いまの私のこの外見は最上級にうつくしいものだと思うけれど。ノア」
「……姫さまの仰る通りです」
ノアは目を閉じて、当然だという調子で答えた。さすが、この二年で従僕としての教育が行き届いているだけある。
けれどもカールハインツは、依然として渋面のままだ。
「お姿について申し上げている訳ではありません。姫殿下御自ら、そのような危険な振る舞いをなさらずともよろしいでしょう」
「何を言うの、カールハインツ」
クラウディアは目を細め、ふっとくちびるを綻ばせた。
「呪いを対処するにあたって、私よりも『危険が少ない』人間が他に存在するかしら?」
「…………」
クラウディアの前世は、伝説の魔女アーデルハイトだ。
呪いに対処する方法など、いまの世界に生きているうちの誰よりも知っている自負がある。たったひとつの弱点は、魔力の消耗に体が追い付かないことだけだ。
「だから行くの」
クラウディアにとっての呪いとは、前世で守りたかったものを害した、忌まわしき代物である。
「呪いなんてけがらわしいものは、私とノアの生きる世界に必要ないもの」
今世のクラウディアは、やりたいことしかしないのが信条だ。
それを悟ったカールハインツが、諦めたような溜め息をつく。彼は、クラウディアに前世があることを知らないものの、徹底した人生方針があることは身に染みて理解しているはずだ。
「……差し出がましい口を、申し訳ございませんでした」
「ふふ、許してあげる。その代わりカールハインツはクリンゲイト国で、私たちの保護者役ね?」
「は」
呆気に取られた顔をしたカールハインツをよそに、クラウディアはお茶を飲み干した。
「さあノア、支度をするわ。可愛い帽子と訪問着をお願い」
「姫さまのお命じになるままに。いつも通り魔法で作成しますが、お見合いの日取りはいつですか?」
「今日よ」
「――は?」
その瞬間にノアが浮かべたのは、カールハインツと同じ表情だ。
クラウディアはティーカップを置き、ぴょこんと椅子から降りると、にっこりと笑ってノアの手を取った。
「ふふ、とーさまったら相変わらずの暴君ぶりよね? 他人はすべて自分の命令に従うという考えだから、こういった通達が直前でも構わないと思っているようなの」
「……姫さま……」
ノアの顔には、『あなたもそうでしょう』と書いてあるように見える。とはいえクラウディアはにこにこしたまま、物言わぬ抗議には知らんぷりをした。
「あちらの気候も分からないから、着替えは転移後にしようかしら。さ、カールハインツもノアと手を繋いで」
「……お待ちください姫殿下。いくらなんでも今日これからというのは、いささか無理が」
「諦めて。ね?」
「諦めた方が良いです。カールハインツさま」
「…………」
ノアとふたりでそう言うと、カールハインツは今日一番大きな溜め息をついたあと、転移に備えてノアの肩に手を置いた。
「姫殿下は間違いなく、陛下の血を継いでいらっしゃるご様子で……」
「クラウディア、なんのことだか分かんなあい!」
「転移します。姫さま」
ノアの手が、エスコートをするかのように差し出される。クラウディアはくすっと笑って、ノアと繋いだ。
そして、かの国に転移する魔法へと身を委ねながら、こんな風に考える。
(――呪いの根本には、強い願いが存在しているものだわ)
そのことを、五百年前から確かに知っていた。
(呪いによって目覚めなくなった、美しいお姫さまたち。……呪いの主の願いごとは……)
***
その塔は、ぽつんとした寂しい場所に建っている。
ひとつの階に、ひとつの部屋。豪奢な寝台に、上等のシーツ。
そこで日々を送っているのは、八人の美しい女性たちだ。
けれどもその中の誰ひとりとして、目を覚ましている人間は居ない。
どの女性たちも、まるで精巧に作られた人形のように横たわって、眠っているのだった。
そんな塔に、九人目の人影が現れた。
長身な成人男性は、女性たちの眠る部屋をひとつひとつ見回ってゆく。
最後の部屋を訪れたとき、彼の手にしたランタンが、ちかちかと瞬いて消えてしまった。
「………………」
男性は踵を返し、扉を閉ざす。
美しい姫君たちは、やはり目覚めることもなく、こんこんと眠り続けるのだった。




