52 父の命令
***
このアビアノイア国は、元より広大な国土と豊富な資源を持つ国として知られていた。
王族を筆頭にして、貴族や一般国民にも魔力の高い者が多く、そういった意味でも恵まれた大国だ。
そして、そんなアビアノイア国ではここ二年ほど、ある分野が飛躍的に成長しつつあった。
それは、魔法研究の学問だ。
「――クラウディア姫殿下だ!」
「姫殿下が、陛下との謁見を終えられたようだぞ! お出迎えの準備をしろ!」
王城の広間に現れた少女の姿を見て、魔術師たちは歓喜の声を上げた。
父と話し終えたばかりのクラウディアは、その盛大な歓迎を受け止める。
周囲を取り囲んでいるのは、魔術師たちの中でも最上級の職位である、王国魔術師の面々だ。
クラウディアはにこっと笑みを浮かべる。
そしてノアと手を繋いだまま、八歳にしては幼い物言いで挨拶をした。
「魔術師のおにいちゃん、おねえちゃんたち。こんにちは!」
「姫殿下! お久し振りです、お待ち申し上げておりました!!」
彼らはいささか興奮気味に、小さなクラウディアを取り囲む。
「早速ですが、お時間はありますか!? 以前ご覧いただいた魔法理論について、姫殿下のご意見をお伺いしたく……」
「クラウディア、むずかしいこと分かんないよ? このあいだは、『文字がいっぱいで絵みたい。ここがこんな風になってたらもっと綺麗』って言っただけだもん」
「そのお言葉が、我らの目が開かれたきっかけだったのです! 姫殿下のお言葉はいつも無邪気なのに的確で我々には無い気付きを下さる……!!」
「姫殿下、こちらにも助言をお願いいたします。よろしければ実物を見ていただきたく」
「クラウディア姫殿下! 私たちの研究についても一言!!」
(あらあら、大盛況だわ)
研究熱心なのは良いことだが、これでは先に進めそうにない。そう思っていると、クラウディアの体がふわりと浮いた。
「ノア」
隣に立っていたノアが、無表情でクラウディアを抱き上げたのだ。
ノアはクラウディアを抱え、しっかりと背中に腕を回したあと、溜め息をつきながら口を開いた。
「生憎ですが、姫さまは先をお急ぎです。姫さまの慧眼に縋りたいお気持ちは、十分に理解できますが……」
魔術師たちがはっとしたのは、ノアの声に重みがあったからだ。
黒曜石色をしたノアの瞳は、自分よりも背の高い大人たちをしっかりと見据え、彼らに尋ねるのだ。
「――姫さまのための道はどちらへ?」
「っ!!」
その瞬間、魔術師たちは大慌てで左右に分かれた。人垣が一気に崩れ去り、広間の入り口まで赤い絨毯が伸びている。
「ありがとうございます。それでは」
「し、失礼いたしましたクラウディア姫殿下……!!」
「おにいちゃんたち、ばいばーい」
ノアに抱えられたままのクラウディアは、遠ざかってゆく彼らに手を振った。魔術師たちは胸を撫で下ろしつつ、こんな話をしている。
「ノア君は相変わらず、子供なのに妙な迫力があるんだよな……」
(この迫力は、もちろんノアの素質もあるけれど……)
広間を出たノアは、どんどん廊下を進んでゆく。クラウディアはノアの頬に触れ、くすくす笑いながら尋ねてみた。
「いまは単純にご機嫌が悪いのよね。ノア?」
「……別に、そのようなことは」
「そう?」
返ってきた声には、あからさまな不服が滲んている。クラウディアがよしよしとノアの頭を撫でると、観念したように口を開いた。
「……八歳で婚約者を決めるなど、いくらなんでも早すぎでは?」
「あら。ノアならば、私の目的を分かっているでしょう」
クラウディアは、先ほどの父との会話を思い出す。
***
『西の国クリンゲイトには、随分と出来の良い跡継ぎがいるようだ』
玉座に掛けた父王フォルクハルトは、クラウディアにこう言い放った。
ガーネットのような赤色の瞳を持つ父は、相変わらず二十代前半のような外見をしている。実年齢は確か二十九になっていたはずだが、初めて出会った二年前とまったく変わらない。
『王太子の年齢は十一、名はルイス。魔法の才に秀で、それを使いこなすだけの魔力量も潤沢にあるという』
冷たい雰囲気を帯びた父の目が、クラウディアを見ながら面白がるように細められる。
『……なんでも、「史上始まって以来の神童」と呼ばれているそうだぞ?』
『もお、とーさまったら!』
クラウディアはわざと子供っぽい仕草で、小さな頬をぷくっと膨らませた。
『ほんとーはクラウディアの結婚よりも、もっとやりたいことがあるんでしょ?』
『姫殿下! お父上に対してそのような……』
『よい。貴様こそ、我が娘に対して無礼だと弁えよ』
『も、申し訳ございません……』
臣下に頭を下げさせた父は、腕を組んで玉座に背を預ける。
『かの国の王は、自慢の息子に釣り合う姫を探しているようだ。お前が我が国の魔法研究に関与しているという情報をどこからか仕入れ、見合いを申し込んできた』
『王さまったら変なの。クラウディアそんな難しいこと、なーんにもしてないのにね?』
『ふ』
クラウディアは微笑みつつ、幼子らしく首をかしげる。父はそれを見ながら、こんな風に言葉を続けた。
『クリンゲイトの王太子とお前では釣り合わない。婚約など成立するはずもないが……』
『とーさまの言う通り。そんなにすごい王子さまが、クラウディアと結婚なんてしないもん』
『何を言う? ……逆に決まっているだろう。あの程度の王子が「神童」と呼ばれ、私の娘を妃に望むなど、身の程知らずも良いところだ』
父の浮かべた微笑みは、冷たい薄暗さを帯びたものだった。
『鼻っ柱を折ってこい。――たとえ同盟関係を失って、戦争沙汰になろうとも構わぬ』
『…………』
その言葉に、クラウディアはにこっと可愛らしい笑みを浮かべる。
『ふふっ。……とーさま』
そしてクラウディアは、当然のように切り返した。
微笑みながら口にするのは、ある意味でいつもの台詞である。
『――やだ!』
『…………』




