50 願いのあり方
【プロローグ】
ノアがクラウディアと出会った年、まだ六歳だったクラウディアが、ノアの膝を枕にしながら話したことがあった。
「……呪いとは、つまりは強い願いでもあるの」
「願い?」
当時九歳のノアが尋ねると、クラウディアは随分と眠そうに瞬きをした。
長椅子の前にある暖炉からは、ぱちぱちと火の粉の爆ぜる音がした。眠るなら寝台にと勧めたものの、暖かな暖炉の前がいいのだと押し切られ、ノアは枕に徹することになったのだ。
この主君は、ときどきノアよりも子供っぽい。けれども魂の年齢は十八歳ほどであり、何より伝説の魔女である。
あどけない外見をしていながら、息を呑むほど大人びた表情をしてみせるのは、いつものことだった。
「そうよ」
クラウディアはうとうとと微睡みながら、柔らかな声で言った。
「たとえばたくさんの利益をてにいれたい。愛するひとを自分のものにしたい。……だいきらいな相手を、ころしてしまいたい……」
「……」
ノアが思い出したのは、叔父のことだ。
父を憎み、殺した叔父は、復讐相手の身代わりにノアを選んだ。
叔父に結ばされた奴隷契約は、クラウディアいわく呪いのひとつなのだという。
ノアは手を伸ばし、ミルクティー色をしたクラウディアの髪に触れた。
小さな子供をあやすというよりも、従僕としての役割だ。クラウディアがこのままノアの膝枕で眠ると、細い髪には寝癖がついてしまう。
ゆっくりと髪を梳くように撫でながら、ノアは尋ねた。
「姫さまの仰るそれは、願いというより欲ではありませんか?」
すると閉じ掛けていた瞼が開き、クラウディアがノアを見てくすっと笑う。
「願いは、まぎれもなく欲のことよ」
「……」
「ノアにとってはまだ、別々に感じるものかしら。……ふわあ……」
子供だから分からないと言われたような心地がして、そのときのノアはあからさまに拗ねた。
いまになってから振り返れば、そこで拗ねることこそ子供臭い。クラウディアがますます笑ったのも、それがおかしかったからなのだろう。
「呪いのおくには、願いがあるの」
「……あの正妃が、娘を使って姫さまを殺そうとしたことも?」
「そう。あるいみで純粋な、すきとおった願いだわ」
自分に危害を向けようとした相手に対し、クラウディアは寛容だ。けれどもノアからしてみれば、たまったものではない。
「あなたが本当に殺されていたら、俺も正妃を呪っていましたよ」
「ノアはだいじょうぶ。まっすぐで、つよくて、いつだって光をめざせるもの」
「……姫さま」
「ふふ」
クラウディアは上機嫌に微笑むと、その小さな手でノアの頬に触れた。
「――おぼえていてね、ノア」
クラウディアは、眠気にとろけた声音で紡ぐ。
「ひとの願いがこわれると、呪いにつながる。……呪いはかつて、願いと呼ばれたものでできている――……」
「…………」
クラウディアの手がゆっくりと離れると、穏やかな寝息が聞こえ始めた。
「誰かの願いが呪いになって、あなたを害するのであれば」
ノアはクラウディアの頬に触れると、小さな声で口にする。
「……どんな願いであろうとも、俺はそれを打ち砕きます」
そんな風に誓ったのが、いまから二年前のことだ。
つまりはノアがクラウディアに出会ってから、二年の月日が過ぎ去ったことになる。
呪いはいまだ世界のあちこちに片鱗を見せ、クラウディアとノアはその度に呪いの傍に出向いては、それを壊すことを重ねていた。
「また強くなったわね、ノア」
八歳になったクラウディアは、相変わらず年齢よりも幼く見える小柄な外見で、ノアに微笑んで「いい子」と告げる。
「――この程度では、到底まだ足りません」
魔法で作った剣を手に、ノアは答えた。クラウディアの口ぶりは、相変わらず幼子を褒めるかのようだ。
(……俺は必ず、あなたを守れるようになる)
そう心の中で唱えながら、ノアはクラウディアの傍に従って、歩き始めるのだった。
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