【書籍①発売記念】ひとりの少年から見た、クラウディアとノアのお話
※1章後のお話です。
追魔女の書籍1巻が、6月25日に発売となります!
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「ブルーノ坊ちゃま、どうかお待ちください! おひとりで走ってはなりません、お忍びといえども護衛は必要です! 街ではこのところ、子供を狙った誘拐事件が……」
「ふん、誰が待つもんか! そんな脅しには騙されないぞ!」
従者から逃れて駆け出した少年ブルーノの人生は、今日も順風満帆だった。
公爵家の後継ぎとして生まれ、九年が経つ。試験の成績は良く、魔法の才能にも恵まれて、顔立ちは母譲りの綺麗な造形だ。
子供同士のお茶会では、いつも女の子に囲まれるのが当たり前だった。大好きな両親が、『いずれは王女殿下との婚約も夢ではない』と話していたのを、こっそりと盗み聞きして知っている。
(僕はなんだって出来るんだ! それなのに最近、爺やが『練習』『勉強』ってうるさいんだよな……)
そんな鬱憤を抱えた結果、お忍びで街へと出掛けた際に、従者の隙をついてひとりになった。なにしろブルーノは、練習なしでも魔法を使いこなせる天才なのだ。
(家庭教師だけじゃなく国王陛下にだって、『九歳とは思えない実力』って褒めてもらったんだ。退屈な勉強なんかしなくても、いつも一番なんだから!)
「坊ちゃま! どちらにいらっしゃるのですか!?」
(おっと、見付かる! 大通りじゃなくて、もっと狭い道に……)
そして飛び込んだ路地裏で、ブルーノは目を見開いた。
「わ……」
目の前には、ひとりの女の子が立っている。
彼女を一目見るなり、ブルーノはすべての思考を奪われてしまった。
ブルーノが飛び出してきた所為か、彼女は持っていたアイスクリームを地面に落としてしまったようだ。
けれどブルーノは、自分の靴が汚れてしまうのも気にならないくらいほど、女の子に釘付けになってしまった。
(よ、妖精……?)
その女の子は、あまりにも美しかったのだ。
さらさらとしたミルクティー色の髪に、ぱっちりと大きな目。淡い金色の瞳は、路地裏に差し込んだ淡い陽光によって輝いている。
抜けるように白い肌だが、頬とくちびるは薔薇が咲いたようなピンク色だ。彼女が瞬きをする度に、長い睫毛の影が揺れた。
「…………」
くりくりした瞳にじっと見詰められて、ブルーノは一気に顔が赤くなった。
(かっ、可愛すぎる……!!)
こんなに可愛い女の子は、どのお茶会でも会ったことがない。
婚約者候補だと会わされた令嬢たちどころか、王女たちよりも綺麗だった。焦ったブルーノは、思わず口を開く。
「お……俺はブルーノ!!」
「……」
そう名乗ったあと、彼女の前で魔法を詠唱した。
一分ほどの、『九歳にしては短く纏められている』と褒められたことのある呪文だ。
それを唱え終わったころには、ブルーノの手には氷で作られた花が出現している。
「……っ、どうだ、綺麗だろ!」
「……」
「君にあげるよ! 今日、出会えた記念に!」
そう言って差し出すと、それまでじっとこちらを見詰めていた女の子が、にこりと微笑んだ。
「ありがとう」
「……っ!!」
やはり、あまりにも可愛らしい。彼女に魔法を見せられたことが嬉しくて、ブルーノは咳ばらいをする。
「実は俺、九歳ながらに魔法の天才だって言われてて……」
「そうね。九歳でこんなにじょうずなのは、とってもすごいわ」
(……あれ……?)
女の子は微笑みのまま、ブルーノが作った氷の花に指先で触れた。
(気のせいかな……? 間違いなく「すごい」って言ってくれてるのに、俺が思ったのとは違うというか)
お茶会で令嬢たちにこれを見せると、みんな大はしゃぎでブルーノを取り囲むのだ。だが、彼女はそんな雰囲気ではなかった。
(もしかしてこの子、魔法に詳しくないのかも。だから、俺がどんなに魔法を使ったって、あまりすごさが伝わってないんだな……よく見たら目も薄い金だし。色が薄いと、魔力が少ないんだっけ?)
だとしたら、反応がいまひとつなのも仕方がない。ブルーノはそう思って、女の子の手を掴んだ。
「ねえ、俺と遊びに行こうよ!」
「あら?」
「もっとたくさん魔法を見せてあげる。……あ、いっそ君にも魔法を教えてあげようか! 知らないかもしれないけど、魔法って難しいんだよ。一度やってみたら、氷魔法の凄さが分かるかも……」
「――姫さま」
後ろから聞こえてきた声に、ブルーノはびくっと肩を跳ねさせた。
「おかえりなさい、ノア」
「……」
なんだか凄まじい重圧を感じて、恐る恐る後ろを振り返る。そして、そこに立っていた少年の姿にも絶句した。
(こ、こいつは……!?)
ノアと呼ばれていた少年は、同じ男であるブルーノから見ても整った、絶世の美少年だったのだ。
黒髪に、真っ黒な瞳。年齢は自分と同じくらいに見えるのに、ノアの目の鋭い雰囲気は、ブルーノよりもずっと大人びている。
「ノア。後片付けはどう?」
「つつがなく終わりました。――それよりも」
ノアと呼ばれた少年は、女の子の手を掴んだブルーノを静かに睨みながら、淡々と訪ねてきた。
「そちらのお方は?」
「はじめましてだけれど、お花をくれたの。みて、じょうずよね」
「……アイスクリームを落とされてしまっているようですが」
「ええ。せっかくだったのに、残念だわ」
その言葉に、ブルーノははっとした。
よく見ると、彼女の愛らしいドレスにも、アイスクリームの汚れがついてしまっている。少女は少年に微笑みかけると、その小さな手を伸ばしながら言った。
「きれいにして。ノア」
「仰せの通りに」
少年は、まるでエスコートをするかのごとく、自然な動作で少女の手を取った。そして真っ直ぐに伸びた背筋のまま、少女の前に跪く。
一連の動作は美しく、一枚の絵画のようだった。ブルーノが、ぼんやりと見惚れてしまうほどに。
そしてノアと呼ばれていた少年は、少女のドレスに手を翳す。ふわりと滲んだ光を見て、ブルーノは声を上げた。
「な……っ!?」
汚れてしまった彼女のドレスが、見る間に浄化されてゆくではないか。
(魔法を使った!? だってあいつ、呪文は唱えてなかったのに!! すごく小さな声で……いや、そんな素振りも見せてなかったはず……)
魔法とは、短い呪文で詠唱するほどに高度なものとなる。ましてや何も呪文を口にしない無詠唱なんて、出来る人間がいたのだろうか。
(いや、いるんだ。だって現にいまこいつは、詠唱をせずにあの子のドレスを……)
すっかり綺麗になったドレスを見て、女の子は満足そうに微笑んだ。
「ありがとうノア。いいこね、また上達したのではない?」
「努力を続けるのは当然です。――すべては姫さまのためですから」
彼女の表情は、心の底から嬉しそうだ。
あの少年が上手く魔法を使ってみせることが、本当に喜ばしいのだろう。それに加え、少年が口にした『努力』という言葉に、ブルーノの胸がちくりと痛む。
地面には、チョコレートミント色の水溜まりが出来つつあった。
(僕がぶつかりそうになった所為で、落としたアイス……)
なのにブルーノは、少女を心配することも詫びることもせず、いきなり自分の魔法を見せつけてしまったのである。
(……僕は……)
ぎゅっとくちびるを噛んで俯くと、透き通った声に呼び掛けられた。
「ねえ、あなた」
「!」
慌てて顔を上げると、少年と手を繋いだ女の子が、にこりとやさしく微笑みながらこう続ける。
「こおりの魔法もじょうずだけれど、それよりも水魔法がむいていそうだわ。にているようで違うから、だれかに魔法をならっているのなら、れんしゅうの仕方をそうだんしてみてね」
「え……え?」
「とても筋がいいから、もっとじょうずになれると思うの。――ただしい努力を、ただしく重ねればだけれど」
そして、先ほどブルーノに向けてくれたものよりも、もっと美しい微笑みを浮かべる。
「がんばって」
「…………っ」
ブルーノは咄嗟に背筋を伸ばし、大きな声で言った。
「う、うん!! ……俺、頑張るよ!! ちゃんと努力して、上手くなって……それからもっと、周りのことに気を使える、立派な人間になる!!」
「ふふ」
彼女の方が年下なのに、まるで自分よりも幼い子供を見守るかのような表情だ。けれどもそれは、とっても可愛らしいものなのだった。
「では、さようなら」
「っ、ばいばい!!」
ふたりがいなくなってからも、ブルーノはしばらくのあいだ、路地裏で呆然としていたのだった。
***
しばらくして従者のもとに戻ったブルーノは、たくさんのお叱りを受けたあと、従者に力いっぱい抱き締められた。
いつも以上に心配されていたことを不思議に思っていると、従者はこんな風に教えてくれる。
「先ほども申したでしょう、子供を狙った誘拐事件が多発していると……どうやら先ほど、その原因になっていた呪いの魔法道具が破壊されたそうで」
「の、呪い……?」
「誰が解決したのかは分かりませんが、かなりの騒ぎになっているようなのです。解放された子供たちの中に坊ちゃまがいらっしゃったらと、爺やは肝が冷えましたよ!」
いつもなら「大袈裟だな」と相手にしないところだが、ブルーノは心底申し訳なく思った。ただでさえ先ほど、女の子の落としたアイスについて何も出来なかった一件が、大きな罪悪感となって圧し掛かっているのだ。
「ごめん、爺や。僕もう勝手なことはしない……それに、魔法の練習もちゃんとするよ」
「ぼ、坊ちゃま?」
「家庭教師に相談したいことがあるんだ。次の授業でさっそく勉強したいことがあるから、爺やも予習に付き合ってくれる?」
そう尋ねると、従者は目を丸くしたあと、文字通り泣いて喜んだ。
泣かせてしまったことに焦りつつも、自分の上達を心から喜んでくれる人は身近にいたのだと、ブルーノは改めて感じることになるのである。




