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【書籍①発売記念】ノアが寝込んだある日のお話

※1章後のお話です。

 ノアが体調を崩してしまった。


 魔法と剣術の訓練をするにあたり、魔力を使いすぎたのだ。くれぐれも無理は禁じていたはずなのに、クラウディアの言い付けを破ったらしい。


 夕食時、珍しくぼんやりしていると思ったら、触れてみると大変な熱があった。こうして寝台に寝かせたあとも、隙を見て起き上がろうとする。


「……姫さま。俺は別に、大丈夫ですから」

「駄目よ、何を言っているの」


 傍に座ったクラウディアは、ノアの額を押さえるようにして寝台に戻らせた。

 普段は六歳の幼い少女姿をしているクラウディアが、九歳のノアをあっさり寝台に倒すことが出来たのは、ノアが弱っているからだけではない。


 手の甲を目元に押し付けたノアは、どこか悔しそうな声でこう言った。


「……なんでわざわざ姫さまが、大人の姿をなさっているんですか……」


 ノアの言う通り、いま現在のクラウディアは、十六歳ほどの大人の外見を取っている。

 だが、その理由はいたって単純だ。


「本来の小さな体では、お前の看病が出来ないでしょう」

「必要ないです。俺ひとりでどうにでもなります。そもそもが、こんな風に寝ていなくても……」

「『大丈夫だ』なんて言いかねないから、こうして傍から離れずにいるのよ?」


 そう告げると、ノアはばつが悪そうに押し黙った。クラウディアは目を細め、この仕方がない従僕をあやすように告げる。


「魔力の使い過ぎによる不調だから、治癒での回復は出来ないわ。ここまで消耗する前に、とっても眠くなる段階があったでしょう? せめてそこで眠っていれば、具合が悪くなる段まで進むことはなかったのに」

「ぐ……」


 クラウディアは、ノアの汗ばんだ額に張り付いた前髪を、すらりと長い指で梳いてやる。


「わるい子ね。ノア」

「…………っ」


 幼い子供へ告げるかのように、柔らかく叱った。


「ふふ、だからお仕置き。もう二度と無理な鍛錬をしないように、お前が不本意でも休養させるわ」


 大人になったクラウディアの声は、澄んでいるけれども穏やかだ。

 ゆっくり喋ると甘い声音になって、本当に子供をあやしているような響きを帯びる。


 その所為か、ノアはますます複雑そうな表情になった。


「……反省は、しています」

「あらあら? 本当かしら」


 少しでも楽になるように、魔法でひやりとした空気を作り出す。その冷気を帯びた指で額に触れてやると、ノアは短く息を吐きだしながら言った。


「成長しなくてはという焦りが強すぎて、自分を客観的に見ることが出来ていませんでした。努力をすることと無理をすることは違うのに、その区別が、ついていなかった」

「……」

「体調を崩すことで、却って停滞する時間を作り出してしまったのは、愚行でしかありません。――あまりにも無様だ」


 一気に話したことで、苦しくなってしまったのだろう。

 小さく咳き込み、こちらに背を向ける形で寝返ったノアの頭を、クラウディアはよしよしと撫でた。


「そこまで自覚があるのなら、私から言うことは何もないわ」


 とはいっても、最初からあまり言葉で叱るつもりは無かった。

 クラウディアがノアの看病をしているというだけで、ノアにとっては避けたかった状況であり、十分に堪えているはずだからだ。


「私だって、お前の成長が待ち遠しいの。けれどもそれは、お前が健やかであってこそだと分かってね」

「……」


 そう告げて、クラウディアは少し考える。


(私が看病するよりも、別の人間にした方が休まるかしら。カールハインツを呼んで……)


 小さな声が聞こえたのは、そのときだ。


「……あなたを、ひとりにしたくないんです」

「…………」


 思わぬ言葉に、クラウディアは目を丸くする。


「あなたの力は偉大で、きっとこの世界の誰も敵わない。俺よりも遥か先にいらっしゃって、その差を埋めるまでが途方もないことだと分かっています。……けれど、だからこそ」


 背中を向けたままのノアが、ぎゅうっとシーツを握り込んだ。


「――最初から、追い付けないと諦めるような真似はしたくない」

「……ノア」


 クラウディアに告げるためというよりも、独白に近い言葉だ。


「あなたに並べる人間が、ひとりでも居れば。……それが、俺であったなら。あなたに二度と、自分を犠牲にする選択をさせずに済むかもしれない」


 ノアが思い浮かべているのは、五百年前の『アーデルハイト』が下した選択のことだろうか。

 あるいはつい先日、異母姉の呪いと対峙した際、クラウディアがひとりで戦おうとしたときのことなのだろうか。


 クラウディアは苦笑して、ノアの頭をやさしく撫で続ける。


「あのときちゃんと、約束したでしょう? もうひとりで負わない。ノアにも私と一緒に苦しんで、傷付いてもらうって」

「……俺が幼くて弱いままでは、あなたは間違いなくそれを躊躇する」

「!」


 背を向けていたノアが、クラウディアの手をぎゅっと掴んだ。

 振り返るようにクラウディアを見上げると、黒曜石の瞳を真っ直ぐに向けてくる。


「どれほど難しくとも、いつか必ずあなたのお傍に行きます。なにひとつ、あなただけに負わせはしない」

「……」

「だから俺は。……絶対に、姫さまに追い付いて……」


 その言葉のあと、小さな寝息が聞こえてきた。

 目を瞑ったノアを見下ろして、クラウディアは小さく笑う。


「魔力切れの眠気に、九歳の子供がここまで抗えるのね。相変わらず将来が楽しみだわ」


 仰向けの姿勢に戻してやり、上掛けを首元まで引き上げた。クラウディアは魔法を唱え、ノアの部屋にある暖炉の火を調節する。


 そのあとで眠ったノアを見て、こんな風に考えた。


(私に追い付こうだなんて考える人は、いままでに誰も居なかったわ。……一緒に生きると言ってくれたのも、ずっと傍にいると誓ってくれたのも、ただひとりだけ)


 クラウディアは微笑むと、ノアの頭にそうっと触れる。

 それから、よく眠れるおまじないの代わりにと、先ほどとは真逆の言葉を口にした。


「――いい子ね、ノア」

「ん……」


 クラウディアは、この従僕が幸福に育ってゆくことを願ってやまない。

 そしてほかならぬノア自身は、その幸福が、クラウディアの傍にしか存在しないと言うのである。


 そのことを仕方なく思いながらも、真っ直ぐに成長していく姿を見守るべく、静かな子守唄を口ずさむのだった。

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