49 自慢の宝物(第一部・完)
「ノア、だっこ!」
「……姫さま……」
謁見の間を出た先で、廊下に控えていたノアは、手を伸ばしたクラウディアに呆れた顔をした。
扉の横に待機している魔術師たちは、微笑ましそうにくすくす笑っている。ノアは迷った顔のあと、仕方なさそうにクラウディアへと手を伸ばし、抱き上げてくれるのだ。
そして、周りには聞こえないような小声で尋ねてくる。
「この城に来てから、いままで以上に『子供らしく』振る舞っていらっしゃいませんか?」
「ノアったらへんなの。クラウディア、こどもだもん」
「……はあ……」
とびきり可愛らしい顔でそう言うと、ノアは難しい顔で溜め息をついた。
ご機嫌なクラウディアは、魔術師たちにも『ばいばい』と手を振った。ノアに抱っこをされたまま、廊下の角を曲がったあとに、人の気配がないことを確かめてから詠唱する。
そうすれば、瞬きをする間もなく客室に転移した。手慣れて来た様子のノアが、クラウディアを床に降ろす。
「幼過ぎるくらいでちょうどいいのよ。可愛い子供のふりをしておけば、とりあえず面倒ごとも減るもの」
「お父君とカールハインツさまには、どうせ気付かれているでしょう」
「とーさまはどうかしら? あんがい、わたしのことを『魔力がおおいだけの子供』だと思っている気がするわ。その気になればいつでも言いくるめられるという侮りをかんじるもの」
それならそれで都合が良い。
しかし、ノアは客室のテーブルにケーキの準備を始めつつも、顔を顰めている。
「不服そうね、ノア」
「それはそうでしょう。……自分の主君を低く見られるのは、主君の父親相手でも嫌です」
「ふふ」
それを聞いて、数日前のことに思い当たる。
この城に来て魔力鑑定をした日、ノアはずっと不機嫌そうだった。父王がノアに興味を持つよう振る舞った所為だと思っていたが、もしかすると、クラウディアが散々嘲られたことも理由にあったのだろうか。
「わたしは別に、それでかまわないのよ?」
「分かっています。あなたが意図していらっしゃることに、餓鬼の俺がひとりで腹を立てているだけだということは」
「そうねえ……。だけどわたしも、ノアがだれかに悪く言われると、きっとじぶんが言われたときよりも怒ってしまうわね」
「!」
そう言うと、ノアが準備の手を止めて、気まずそうな顔をした。
なんだか難しい顔にも見えるが、クラウディアには分かっている。ノアのしかめっ面は、照れ隠しなのだ。
「ふふふふ」
「……っ、なんですか……」
クラウディアは「なんでもないわ」と言いながら、窓際にある円卓前の椅子に座った。ノアがケーキの乗ったお皿を置いてくれるので、両手で頬杖をついてお茶を待つ。
けれどもそうやって日向に座ると、すぐに柔らかな眠気が訪れた。
「あふ……」
あくびをしたクラウディアの体調は、八割ほどが回復している。
体の損傷はすべて治って、どこにも痛いところはなかった。残る問題は、使った分の魔力が戻っていないという点なのだが、これは一週間ほどで戻るだろう。それに、いまある分の魔力だけでも、普通の魔術師たちを数百人分集めたくらいはあるはずだ。
とはいえ、なにしろ眠い。
少し暖かいところに行ったり、柔らかいものにくっついたりしていると、あっというまに寝てしまうのだ。ノアもそれは分かっていて、お茶を準備する手を止めた。
「姫さま、おやすみになりますか?」
「んんむ……」
「今日の昼寝に使うはずだった時間、兄君たちがいらしていたので。睡眠が足りず、眠いのでは」
ノアの言う通りだ。
ヴィルヘルムとエーレンフリートは、今回の件に妹エミリアが関わっていることに動揺し、エミリアが目覚めるまで傍にいたらしい。
けれども目覚めたエミリアは、父王の命令によって謹慎となった。エミリアの傍には今、母親の代わりに乳母がついていて、エミリアを励ましているそうだ。
ふたりの兄たちは、エミリアが書いた手紙を持って、今度はクラウディアを励ましに来てくれた。
『魔力無し』だったはずのクラウディアが高度な魔法を使ったことについて、小さな子たちは誤魔化したものの、兄たちはさすがに見抜いているらしい。
しかし、色々と察するところがあったのか、護衛の魔術師たちには聞こえない声で言ったのだ。
『クラウディア。お前、秘密があるんだろ? 安心しろ。絶対に誰にも言わないから』
『にーさま……』
正直なところ、ヴィルヘルムからそう言われたことには驚いた。だが、次兄のエーレンフリートも、同じようにこくこくと頷くのだ。
『君の魔法のことはもっと知りたいけど、また今度聞かせて。いまはクラウディアを休ませたほうがいいって、カールハインツも言ってたし』
『それとエミリアが手紙を書いたんだ、読んでやってくれ……と言いたいところだけど。クラウディア、怒ってるなら無理に読まなくてもいいからな。ごめんって言われたからって、許さなきゃいけない決まりはないんだから』
『こんなこと言ってるけど、兄上ほんとうは心配してるから。大失敗したエミリアのことも、僕たちを守ってくれたクラウディアも、どっちも妹だからね』
『エル! なにを生意気な、この……っ!! ……でも、それは正しい。クラウディア、何かあったら俺たちに言えよ』
そしてふたりの兄たちが部屋を出たあと、エミリアからの手紙には、たくさんの謝罪が書かれていた。
クラウディアが来たことで、自分の居場所がなくなる恐怖を覚えたこと。母が怖かったことや、父に見てもらいたかったこと。それなのに、クラウディアが迷わずエミリアを助けたことで、自分をとても恥ずかしく思ったこと。
ノアを好きになったこと。でも、ノアの意思に関係なく奪おうとした自覚を持って、ひどく後悔していること。
そんな意味合いのことが、子供らしい言葉遣いで書いてある。
だからクラウディアは、エミリアの瞳と同じ紫色のクレヨンで返事を書いた。
そこに書いたのは、『ねーさま、今度はいっしょにあそんでね』という、それだけの言葉だ。
(姉さまは知らないものね。……私が、まさしくノアの意思を無視して、ノアの未来を決めようとしたことなんて)
そんなことを内心で考えながら、目を伏せる。
「どうしますか? 寝台に……」
「や。まだねないわ」
クラウディアはいやいやと首を振る。そして緩やかな瞬きをしたあと、ノアを見上げた。
「それよりも、ノアはほんとうによかったの?」
「良いとは、なにが」
「わたしの従僕である生き方をえらんで。……ほかにあったすべての可能性を捨てて、わたしと居るの?」
クラウディアにとっては、ノアのために重ねた問い掛けだ。
けれどもノアは、ティーセットを円卓に乗せながら、呆れたようなまなざしを向けてくる。
「あなたでも、同じ話を二度繰り返すようなことをなさるのですね」
(あら。ノアがちょっとだけ生意気だわ)
そう思ったが、眠いので口には出さないでおいた。ティーポットの中で茶葉を蒸らしているノアは、お茶の淹れ方も一か月で上手くなり、時間を数えながら口を開く。
「何かを捨てることで、確実に欲しいものが手に入るのだとしたら、それは幸運な生き方ですから」
「……」
まるで当然のことを話すように、その声音は淡々としている。
「俺は、未来にあるどんな可能性を捧げてでも、あなたの傍で生きる道を選びたい」
「――ノア」
少しも揺らぐことのない言葉が、眩しいほどに真っ直ぐだった。
窓から降り注ぐ陽だまりに、かつての景色が去来する。五百年前に離れた人々との、もう二度と戻らない日々を思い出して、クラウディアは目を細めるのだ。
いまのノアが見せている真摯な目は、あの中の彼らの誰とも似ていない、まったく違った意思の込められたものだった。
「……おまえにごほうびをあげないとね」
「?」
支度の手を止めて、ノアが不思議そうにする。
「おまえが手を貸してくれなかったら、わたしはまた死んでいたんだもの」
「……ぜったいに、二度とそんな選択はしないでください」
「ノアが泣くからもうしないわ。がんばったノア、ほしいものはある?」
幼子にするように尋ねつつ、内心で考える。
(ノアは、『いらない』と言うかもしれないわ。何かねだってくれると良いのだけれど)
しかし、ノアはクラウディアの傍にやってきて跪くと、上目遣いに尋ねて来た。
「――くださるのですか?」
「あら?」
意外な返事に、嬉しくて笑った。
「ふふ、もちろんよ。なにがほしい?」
するとノアは、黒曜石の瞳でこちらを見据えながら言うのだ。
「では、俺のことを思い切り褒めてください」
「!」
クラウディアが目を丸くすると、ノアは真摯にこう続けた。
「あなたのお傍にいられれば、何もいらないと言いました。ですが、あれは少しだけ嘘です」
「……ほんとうは、もっとほしいの?」
「あなたが、従僕としての俺に下さるものであれば、そのすべてが」
熱烈で貪欲なその言葉を、ノアはやっぱり真摯に口にするのだ。
(お前は本当に、真っ直ぐね)
クラウディアは小さく笑うと、ノアの頭に手を伸ばした。
毛先の跳ねた黒髪を、よしよしと撫でる。
眉根を寄せ、くすぐったそうにしたノアに向けて、クラウディアは微笑んだ。
「いい子。ノア」
そして、心からの言葉を告げる。
「あなたが居てくれたから、本当にやりたいことを選べたわ。……わたしの、自慢の従僕」
「…………」
するとノアは、少しだけ息を呑んだようだった。
けれどもやがて、嬉しそうに笑ってみせる。
(……ああ)
その満足そうな表情は、いままでに見せたことのない、屈託のない表情だ。
(いつも大人びているけれど、普通の子供のようにも笑えるのだわ)
それを知って、クラウディアもますます嬉しくなった。
あまりに嬉しかったので、くしゃくしゃとノアの頭を掻き混ぜる。
するとさすがに抗議の声が上がり、クラウディアはころころと笑った。
やっぱり眠たくなったので、ケーキを食べたらノアとお昼寝をしようと思う。ぐっすり眠ったそのあとは、ふたりで塔に帰るのだ。
そんなことを考えつつも、クラウディアは「あと少しだけ」と、ノアのことをいっぱい褒めるのに時間を費やすのだった。
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第1部 終わり




