47 魔女の安息
次話からは第一部エピローグです。
クラウディアは、息を吐くように彼を呼ぶ。
結界を砕いたカールハインツは、一瞬で状況を把握すると、後ろに引き連れた魔術師たちに指示を出した。
「王子殿下、ならびにご令息、ご令嬢たちの救助に回れ! 姫殿下と従者の治療は私が行う。上級魔術師たちは呪いの痕跡が残っていないかを確認しろ」
「はっ」
(さすがは王城の魔術師たちね。どれもみんな、この状況でも使えそうな、実力者ばかりのようだわ……)
ぼやぼやと霞む意識の中で、クラウディアはそんなことを考えた。こちらに駆け寄ってきたカールハインツに、ノアが小声で状況を告げる。
「姫さまが、魔法を使いすぎて血を……」
「姫殿下。お手を失礼します」
カールハインツがクラウディアの手を取り、治癒の魔法をかけ始める。まだ治癒魔法を使うことの出来ないノアが、歯痒そうにこちらを見ているのが分かった。
「んん……カールハインツ。中庭に、ねーさまも……」
「エミリアさまが?」
「姫さまが張った小結界の中で、お休みになられています。呪いの件で、少し事情が」
ノアが小声で告げた言葉に、カールハインツはおおよそを察したはずだ。そのとき、ホールの入り口から叫び声がした。
「イルメラ妃殿下! なりません、まだ入っては……!!」
「離して……!! ああ、ああ、エミリア……!!」
魔術師たちの制止を振り払おうとし、取り乱してもがいているのは、正妃イルメラだった。
「妃殿下、お下がりを!!」
「ごめんなさい……!! なんということを、私は……!!」
このホールで何が起こったのかは、ノアがカールハインツに伝言している。
イルメラはそれによって、クラウディアだけを狙ったはずの呪いが失敗し、中で多くの子供たちが危険な状況に陥ったことを知ったのだろう。
「私はどうなってもいい……!! なんでも罰を受けます、私の命と引き換えに……! どうか、どうかあの子を助けて下さい……!!」
(……悲痛な叫びだわ)
眠気の中で、クラウディアはぼんやりと考える。
(……娘を心配する、おかあさんの声ね……)
そう思い、ゆっくりと目を瞑った。カールハインツはクラウディアを治癒しながら、難しい声で言う。
「イルメラ妃殿下には、我々魔術師たちが聴取をいたします。……目覚めたエミリア姫殿下にお会いいただくことは、出来ないかもしれません」
「…………」
あれほど娘を心配している母親にとって、娘の安全を確認できないのは、どれほど苦しいことなのだろうか。
そんなことを想像しようとして、意識が霞む。このままでは、まともに返事が出来そうもない。
(とてもねむたい……。でも、だめ、もうすこしだけ起きていないと……)
ノアに抱っこをされたまま、ふわふわとそんなことを考える。
「カールハインツさま。姫さまは」
「安心しろ、必ずやすぐにお元気になられる。……だが、お前もぼろぼろじゃないか」
「俺は構いません。そんなことよりも、姫さまを」
「んむ……」
想像していた通りのノアの言葉に、クラウディアはご機嫌斜めで口を開いた。
「だめでしょ、ノア……」
「……姫さま」
「ずっとわたしの傍にいると、おまえが約束したんだもの……」
ぐずぐずに眠い心地の中で、ぺちりとノアの頬に手を置いた。
「それは、そうですが」
「ちゃんと自分もだいじにして。わたしのものを名乗るのなら、わたしのものであるおまえ自身をないがしろにするなんて、ゆるさないの」
「それは……」
拗ねたように言えば、ノアはばつが悪そうにする。クラウディアは両手を伸ばし、黒曜石の瞳を覗き込んだ。
「かわいい従僕」
幼い体と魂で、クラウディアと生きるため、必死に戦ってくれたのだ。
その事実を想い、クラウディアは次に、ノアのことをぎゅうっと抱き締める。
「……わたしのノア」
「……っ!!」
ノアという名前に込められた意味は、『安息』だ。
あの森で出会い、『犬を飼いたい』という発想からの戯れで、それに求めている役割の名前をつけた。アーデルハイトだった前世では、他者に安息を求めることなんて出来なかったから、そのためだ。
元よりすぐに手放すつもりで、だからこそ付けられたともいえる名前である。
それなのにノアは、少年らしい真っ直ぐな誠実さで、クラウディアに望むものを与えてくれた。
「姫さま……」
どことなく困ったような声がして、まだ分かっていないのかと不服に思った。
「もういいの、んん、おろして。ノアもはやく、ちりょうを受けて……」
「っ、分かりました。分かりましたから!!」
もぞもぞと動こうとしたクラウディアを、ノアがぎゅうっと抱え直した。
「治療は受けます。でも、降ろすのは後ほど」
「どーして?」
不機嫌な眠さでぐずぐずと尋ねれば、ノアは真顔でこう言うのだ。
「姫さまを『抱っこ』していいのは、俺ひとりだけなんでしょう?」
「!」
つい昨日、クラウディアが父王に告げた言葉だ。『クラウディアを抱っこしていいのはノアだけなの』と、はっきりと宣戦布告した。
ノアは顔を顰めていたように思うが、実際はそれを聞き入れていたのだろう。
「姫さまを安全な場所にお連れするまでは、離しません」
「…………」
ノアは言い、目を細めるようにして笑うのだった。
「……しかたないわね」
その表情を見ていたら、心からそんな気持ちになる。
クラウディアは小さくあくびをしたあと、ぱふっとノアにくっついた。
「ねむたい……。カールハインツ、ノアをおねがいね……」
重大な疲労感と、治癒魔法による急速な苦痛のやわらぎによって、抗い難い眠気が襲ってきた。いよいよ言葉すら発せなくなってきて、クラウディアはノアに額を押し付ける。
それを受けて、ノアが仕方なさそうに、クラウディアの背中をぽんぽんと撫でた。
「――どうぞ、ゆっくりお休みを」
(おやすみなさい。私の安息)
そしてクラウディアは、とろとろとした眠りに落ちたのだった。
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エピローグへ続く




