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45 転生魔女の宝物


 それは、一種の独占欲とも呼べそうなものだった。


 クラウディアの持つ命を、クラウディアひとりが好きに捨てるのは許さないという、そんな意思がはっきりと見え隠れしている。

 魂の年齢でいえば、随分と年下にあたるノアの懇願を、クラウディアはどこかぽかんとした心境で聞いていた。


「あなたが生きて、俺を必要として下さる限り、絶対にあなたを置いては死にません」


 ノアの親指が、血に濡れたクラウディアのくちびるを拭う。


「約束します。……そのために、強くなりますから」


 そしてノアはクラウディアの両肩を掴むと、クラウディアの肩口に、ノア自身の額を押し付けてから呟いた。


「俺を、あなたの傍にいさせてくれ」

「――――……」


 クラウディアは、再び緩やかなまばたきを刻んだ。

 ほんの一秒ほどの時間に、数々の記憶が去来する。


『どうかお願いです。あなたひとりだけは、絶対に生き延びて下さい』

『俺たちは全員死んだっていいんだ。アーデルハイト、お前が生きてさえいてくれるのなら』

『そのためになら、私たちはなんでも致しましょう』


 彼らのその言葉を、ずっとぽつんとした気持ちで聞いていた。


 けれどもノアは、クラウディアだけを生かすのではなく、傍にいると誓ってくれたのだ。


「……ずっと、いてくれる?」

「!」


 そう尋ねて、ノアのふわふわ跳ねた黒髪に手を添えた。


 するとノアは顔を上げ、クラウディアのことをもう一度、黒曜石の瞳で真っ直ぐに見据える。


「ずっとです。――あなたが、そう望んで下さっていると分かったので」

「…………」


 そのあとでノアは立ち上がり、完全な竜の形へと変化しつつある靄に対峙する。


「……俺に魔法を使わせるのなら、俺を国王陛下に差し出すためではなくて、見せつけるために命じて下さい」

「ノア……」

「ただし、あなたの従僕としてです」


 クラウディアの血で汚れたノアの手が、ぐうっと剣を握り直した。

 そして彼は、はっきりと告げるのだ。


「それ以外は、何もいらない」

「……っ、ふふ!」


 クラウディアは、綻ぶように微笑んでしまった。


 ノアの必死さや切実さを、健気で可愛らしいと思う。

 それがあまりにもくすぐったいものだから、心臓の痛みや凄まじい吐き気も、意識を掻き消されそうなほどの頭痛も少しだけ忘れた。


「――熱烈ね」


 自身の手の甲でも血を拭って、クラウディアはゆっくりと立ち上がる。


「負けたわ。こんなにまっすぐにねだられたら、ご主人さまとしてあたえないわけにいかないもの」


 不思議なことに、体が随分と軽く感じる。

 限界を迎えていたはずなのに、まだ大丈夫なのだとはっきり分かった。嬉しいという、単純だけれど確かな感情によって、クラウディアの瞳がきらきらと輝く。


「やくそくをしましょう。わたしはすべての苦しみを、おまえにだけは分けあたえるわ。……ひとりで負わないと誓うから、わたしといっしょに苦しんで、わたしといっしょに傷つけてもいい?」


 そしてクラウディアは、彼の背の左側、心臓に近しいはずの位置へと手のひらで触れた。


「私の、自慢の従僕」

「――!」


 ノアは、本当に小さな声で、それでもはっきりと言葉にした。


「……望むところだ」

「ありがとう」


 そう笑って、クラウディアはノアの背に額を押し当てた。


(魔法の出力は、体力や精神の安定に左右される。……ひとりで死ぬ覚悟を決めて戦うよりも、誰かと一緒に生きるため戦う方が、ずっと魔法が使いやすいだなんて)


 五百年前にそのことを知っていれば、呪いに国を食い荒らされることは無かっただろうか。


 詮無いことを考えて、ほんの僅かに自嘲する。

 クラウディアは、頭の中に思い描いたひとつの魔法式を、ノアに向けて緩やかに詠唱した。


「――『来たれ、来たれ。最果ての篝火よ』」


 黒靄の竜が姿を成し、大きな咆哮を挙げた。

 その場の空気がびりびりと震え、子供たちの泣き叫ぶ声がする。けれども小さな子供たちは、ふたりの兄が励ますだろう。


「『その血の奥から湧き立ちて、その禍を打ち払う礎となれ』」


 クラウディアにしては長い呪文を、ゆっくりと丁寧に紡いでゆく。


 詠唱呪文の長さとは、込める魔力の大きさだ。

 同じ魔法を使うにあたっても、魔力が弱い人間ほど、自分の魔力を多く込める必要が生まれてくる。そのため、呪文が長くなるのだ。


 クラウディアの呪文が短く、あるいは声に出さない無詠唱であるのは、強い魔力を持つが故だった。

 無詠唱で魔法が発動させられるほどの魔力を持つ者は、歴史上でも一握りしか存在しなかったとされている。


「『来たれ、来たれ。篝火よ』――……」


 そんなクラウディアが、これほどの長い詠唱を行っていることの重大さを、カールハインツ辺りなら気が付くだろうか。

 そんな風に思いながら、クラウディアはくすっと笑った。


「『我が従僕に、力を与えよ』」

「――!」


 触れているクラウディアの手のひらを通して、ノアの心臓が鳴ったのが分かる。


(私が詠唱した魔法を、眷属契約で繋がっているノアの中に発動させる。――魔力負荷を分散させ、ふたりで負いながらも、魔法による強化の結果はすべてノアに捧げる……)


 心臓が、ずきりと痛んだ。

 けれど、先ほどの痛みよりは何倍もマシだ。ノアも問題なかったのか、短く息を吐いただけで崩れていない。そのことに、心底ほっとする。


(こんな魔法の使い方があったなんて、知らなかったわ)


 ひとりで負わないことを選んだら、新しい進み方が目の前に広がる。

 信頼できる人間に、痛みと苦しみを分ける勇気を出せば、なんだって出来るような強さが得られるのかもしれない。


 そのことをノアに教えられて、微笑みながら目を伏せた。


「――行って」


 柔らかくノアの背を押したのと同時に、ノアが迷わずに踏み出した。




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