43 脆くて壊れやすい
「カールハインツさまに、魔法で伝言を飛ばしました。短文を繋いだものですが、状況は伝えられたはずです」
ノアから思わぬ報告を受けて、クラウディアはいささか驚く。
「おねがいしようとおもってたの。すごいわノア、結界を通過できたのね?」
「強引にですが。……すぐに返事が」
ノアが差し出した手のひらに、ゆらりと光る文字が浮かび上がる。魔法で文字を転移させる伝達方法だが、呪いによる結界を通り抜ける際、いくつかの文字が欠けたようだ。
(『外から』『結界を壊す』『時間が必要』……)
断片的ではあるものの、カールハインツの書きたかったことは十分に分かる。
「一流魔術師があつまるお城だもの。この結界さえこわせれば、外からのたすけで対処できるわね」
「俺も結界を破ります。内側からも力を加えれば、もっと早く――」
「……ごめんね、ノア」
「!」
クラウディアは、浅く息をつきながら微笑む。
「そちらにまわってもらう余裕がないわ。――おさえていた、呪いが……」
はあっと息を吐き出した。
その瞬間、天井に張り付いていた真っ黒な影が、雫になってどろりと落ちて来る。
「姫さま!」
「――……『炸発』」
ぱんっと爆ぜるような音がして、黒い雫が飛び散った。
クラウディアの真上で散った黒色が、苦しむように床でのた打ち回る。だが、天井を覆った黒い靄は、次々に床へと滴り落ちた。
(その場に居る人間のうち、魔力の弱い人間から順に襲って吸引する呪い。――子供たちは私の結界の中、呪いはあの子たちを見付けられない。外にいる私とノアは、魔力の貯蔵庫を同じくするから、どちらにも平等に襲ってくる……)
クラウディアは息を吸いこんで、ノアに告げた。
「カールハインツが結界をやぶるまで、この靄をはらいつづけないと。うごける?」
「お任せを」
「わたしが散らすわ。ノアはえんごを」
そう告げて、クラウディアは両手を前に出した。
抑え込めなくなっている呪いの靄が、無数の蛇のように頭をもたげる。牙を剥き、飛び掛かってきたその靄に向けて、再び魔法を詠唱した。
「『凍結』」
ぱきいんと高らかな音がして、クラウディアの眼前で靄が凍る。それとぴったりにタイミングを合わせ、剣を手にしたノアが踏み込んだ。
魔法の力で顕現した剣が、凍った靄を叩き切る。砕けた氷が霧散して、真っ黒な蒸気が立ち昇った。
「なるべく靄をすわないで。つぎ、右よ!」
「――……っ」
再びクラウディアが凍らせた靄を、同様にノアが斬り砕いた。身のこなしも、刃を翻すような剣捌きも、数日前より格段に速くなっている。
(カールハインツの教えね。本当に、目を瞠る成長だわ)
くちびるで微笑みながらも、クラウディアの頬に汗が伝う。襲い掛かってくる靄を、次から次に散らしていった。
「うわあ……っ!」
「!」
背後に作った結界の方から、兄王子の悲鳴がする。クラウディアはすぐに振り返ると、そちらに向けて詠唱した。
「『稲妻』」
「ひ……っ」
エーレンフリートが息を呑むと共に、暗闇の中を稲光が駆ける。結界に巻き付こうとしていた靄が、じゅうっと焦げた音を立てて落ちた。
「クラウディア! やっぱり君、魔法が……」
(呪いが子供たちに反応し始めた。私の結界も、綻んでいるわね)
魔力の枯渇は感じない。だが、肝心であるその出力で、体が限界を訴えている。
ノアには気付かれないように振る舞っていたが、呪いを制御するためには、常に魔法で抑え込んでいる必要がある。
一度発動させれば終わりではなく、絶え間なく魔力を注いでいた。クラウディアは、呪いをずっと抑え付けながら、同時に攻撃をしているのだ。
(なつかしい。心臓がひりつくように痛む、この感覚)
呼吸をするにも苦しくて、下手をすれば座り込みそうになる。
もちろん、そんな無様なところを見せることなく、クラウディアは優雅に魔法を操った。
(懸念すべきは、私よりもノア)
ノアは才能の塊だ。
膨大な魔力を持ち、技術もどんどん身に付けて、剣の扱いも上達している。けれど、それでもまだ、たった九歳の少年なのだ。
「は……っ!!」
クラウディアの魔法が取りこぼした靄を、ノアが一閃で裂いてゆく。
だが、着実に呼吸は上がってゆき、まだ薄いその肩が苦しそうに上下し始めていた。
(魔力を消費しながらの戦闘で、長期戦は未経験。ノアに怪我をさせず、死なせないように……)
ホールを覆う結界が、先ほどから軋んでいるのが分かる。
外側にいるカールハインツが、結界を壊そうとしているのだ。彼らが助けに入るまで、それほど時間は掛からない。
(……けれど、際どいわね)
目の前の呪いを消し飛ばしながら、頭では冷静に考える。
クラウディアの限界がくれば、子供たちを守る結界が割れる。抑え込んでいた呪いも活性化し、弱い者から魔力を食い殺すだろう。
(大人の姿になったところで、まやかしの器ではたかが知れているわ)
後ろの子供たちと同様に、ノアだって危険な目には遭わせられない。
本当なら、ノアだって兄たちと一緒に閉じ込めておきたかったのだ。けれど、クラウディアひとりでは守れないからと、『こちら側』に残した。
だが、ノアを巻き込むのはそこまでだ。
(計算して。効率の良い出力、この体がまだ使い物になる戦い方――……)
心臓が、どくどくと大きく鼓動を打っている。
少し呼吸をするだけで、肺までが焼かれたかのように熱い。クラウディアはそれを顔には出さず、詠唱を重ねる。
「――『業火』!」
ごうっと激しい音を立てて、前方一帯に炎が上がった。
蛇のような靄が、苦しむかのようにのた打ち回る。ノアがその頭を切り落とし、足で遠くに蹴り飛ばした。
(あと少し。このまま、残りを焼き払えば)
その直後だった。
「……っ、けほ……っ!!」
堪え切れない感覚に、クラウディアは口元を手のひらで押さえる。
(……駄目。あの子に、これを見せては……)
けれどもそれは難しく、再び咳き込んだ瞬間に、指の隙間から赤色が溢れた。
「んん……っ」
くちびるから零れたその赤い雫が、ぱたぱたとドレスや床を汚す。
(ああ、もう)
夥しいほどに溢れた血は、この体に起きた異常をはっきりと示していた。
(――これはもう、どうにもならない――……)
「……!!」




