42 混沌のホール
異母姉の処置を終えたクラウディアは、彼女から薔薇の首飾りを外すと、それを手にして立ち上がった。
「エミリアねーさまはだいじょうぶ。いそいでホールにもどりましょう」
ノアは頷いたあと、自身が纏っていた上着を脱ぎ、エミリアの上に掛けた。
『こうした配慮は、主君以外にも常にするように』という、クラウディアの教育結果が染み付いていて何よりだ。
急いでホールに向かう道すがら、ノアが手短に尋ねてくる。
「姫さまが、呪いの発動を止めていらっしゃるのですか?」
「条件はんしゃで使った魔法だけれど、うまくかみあって何よりだわ」
先ほど、ホール中の魔法の灯りが消えた瞬間に、クラウディアは咄嗟に詠唱をしたのだ。
「この呪いは、まわりから魔力を吸引し、しぼり取るものよ。戦場では、魔力を補給する道具としても使われているから、どれいの中でも魔力の弱いものから順番にうばっていくようにできているの」
「奴隷……」
「ごういんに魔力をすわれると、そのショックでしんでしまう者もいる。どれいの維持にはお金がかかるもの。弱いどれいから早く死なせたほうが、効率がいいということなのでしょう」
あれから五百年経ったって、呪いを戦争に用いた国のやり方は気に入らない。ノアも不快そうな顔をしているが、クラウディアが地面に躓きかけたのを見ると、こちらに手を伸ばしてくる。
「抱き上げます。――失礼を」
そう言って、クラウディアを腕に乗せるようにして抱き上げた。
クラウディアが六歳にしては小柄とはいえ、九歳のノアには重いはずだ。けれどもそんな素振りは見せず、しっかりとした足取りで、ホールへの階段を上がってゆく。
ホールからは、たくさんの子供たちの泣き声が聞こえ続けていた。
「わあんっ、母上……!!」
「まっくら、こわい……。やだやだ、帰りたいよお!!」
「おい、泣くなお前たち……!!」
混乱している子供たちを、兄王子のヴィルヘルムが宥めている。
一方で次兄のエーレンフリートが、焦りと苛立ちに満ちた声を上げた。
「やっぱり駄目です、兄上……! 何回試しても、魔法が使えない!」
「くそっ、エルの魔法でも駄目なんて、どうなってるんだ!!」
(やはり、結界が中にも作用しているようね)
ナイトパーティーが開かれていたホールは、分厚い結界に覆われている。
外からの干渉を防ぐと同時に、中からの脱出や、魔法の使用も制限されているのだろう。
(五百年前にも戦時中、魔力補給用に連れて来た奴隷を閉じ込めて、逃さないように魔力を奪っていたもの)
クラウディアは、むうっとくちびるを尖らせた。
だが、悠長に怒っている暇はない。呪いはクラウディアが制御したものの、それは完璧ではなかったからだ。
「姫さま。魔力の残量は」
「だいじょうぶ。もうすこし、よゆうがあるわ」
「呪いに関しては、すべて抑え込めているわけではないのですね?」
見抜いていたらしきノアが、クラウディアをホールの床に下ろしながら尋ねてくる。クラウディアは静かに頷いた。
(いまの私の体では、魔力出力も万全ではない)
膨大な魔力を持っていても、それを魔法に変換して発動するための力が足りないのだ。
魔法の強さは魔力で決まるが、それを使いこなすにあたっては、体力と集中力を含めたさまざまな要素が必要だった。
「抑えられているのは、呪いの九十八パーセントほどよ。零れ出てしまっているのは、微弱な呪いだけれど……」
「ヴィルさま、あたまがいたい……!!」
「こわいよお! やだ、やだ……っ」
小さな子供たちが、不快感に泣き叫んでヴィルヘルムに縋り付く。
(この場にいるうち、保持魔力の少ない子から順に影響を受けてゆく。――小さな子供はそう保たないわね)
そんな風に結論づけたなら、やるべきことは明白だ。
「『灯火』」
言葉に出して詠唱すると、ふわりと光の球が生まれた。
結界内は魔法が封じられているが、クラウディアならなんとか魔法が使えそうだ。先ほどのエミリアへの治療も、多くの魔力を消費したものの、どうにか処置をすることが出来た。
「ノア。やはり、わたしたちが多めに魔力をそそげば、どうにか魔法はつかえそうだわ」
「俺が動きます。姫さまは温存を」
「そんなに悠長なことをいっていられないと、あなたもかんじているでしょう?」
クラウディアが微笑んで言うと、ノアは顔を顰めた。
「ひっく、う、苦しい……気持ち悪い……!」
「ヴィルさま、エルさま……!!」
「ごめんな。絶対になんとかしてやるから、もう少しだけ待ってくれ……!!」
そしてクラウディアは、迷わず兄王子たちの元に歩いていく。
「エル、お前チビたちを頼めるか? エミリアとクラウディアを、探しに行ってやらないと……!」
「ですが兄上、何が起きているか分からないのに!」
「妹たちを放っておけるか!! あいつらの泣き声さえしないんだ、怖くて震えて動けないのかもしれない……!」
「でしたら僕が! 兄上に何かあったら、僕たちは」
「ヴィルにーさま、エルにーさま」
「!!」
クラウディアが呼ぶと、ふたりの兄は目を丸くした。
「クラウディア!! 無事なんだな、怪我はないか!?」
「こっちにおいでクラウディア、もう怖くないから! ……あれ……」
クラウディアを案じてくれた兄たちが、クラウディアの周りをふわふわ回るいくつもの灯りに目を向けた。
「君、その光は……?」
「ぴかぴかで、あったかいの。ほら、みて」
クラウディアが指示をすると、光の球たちはふわっと浮かび、子供たちの傍に寄っていく。
暗闇の中、温かく光るその球体を見つけた子供たちは、泣きじゃくりながらも顔を上げた。
「ひっく……う……光ってる」
「これ、きれい……」
完全な闇ではなくなったことと、見たことのない光への興味から、少しだけ恐怖心が薄れたようだ。
しがみつかれて動けなかった兄たちも、ほっと息を吐いたように見えた。
王子として、この中での年長者として、強気に振る舞っていたのだろう。けれど、兄たちだってきっと怖かったはずだ。
「クラウディア。君のこれは、魔法じゃ……」
「あのね!」
エーレンフリートの言葉を遮って、クラウディアはにこりと笑った。
「エミリアねーさまも、おケガしてないよ。つかれちゃって、あっちでねんねしてるの」
そして小さく息を吸うと、子供たちに向かって手を翳し、詠唱する。
「『遮断』」
「!!」
彼らの周囲を守るように、透明な膜が張られた。
「これは、結界?」
「嘘だろ!? 俺もエルも、どうやっても魔法は使えなかったのに。魔力のないクラウディアが、どうして……」
「クラウディア。もしかして君、本当は」
エーレンフリートが気付いたあとに、ヴィルヘルムもはっとした顔をする。
クラウディアははっきりと答えずに、微笑んだまま兄たちに告げた。
「にーさまたち! そのなかなら、ちょっとだけ魔法がつかえるよ? それに、ぐあいも悪くなりにくいの」
「!」
「エルにーさま、それにおててを当ててみて。わかる?」
エーレンフリートは戸惑いがちに、結界の内膜に手のひらで触れる。
「……分かる。すごく精密な構成だけど、複雑には作られていない魔法式だ。こんな頑強な結界を、よくこんなにも分かりやすく……」
(エル兄さまは、理論に優れた魔術師ね。この年齢でそこまで読めるのなら、将来有望だわ)
そんなことを考えながら、次の指示を出した。
「ヴィルにーさま。ヴィルにーさまの魔力で、その壁がこわれないように強くしていてね。やりかたはエルにーさまがきっとわかるから……それとなにより、みんなをゆうきづけてあげて」
「当たり前だ!」
「!」
力強いその言葉に、クラウディアは少しだけ驚いた。
「そんなことより、お前はどうするんだよ……!! お前もこの中に来い、早く!!」
「ふふ。……ありがと、にーさま!」
にこっと笑ったあとに、クラウディアは彼らに背を向ける。
すぐ傍に控えていたノアが、クラウディアに手を伸べた。その手を取りながら、最後に一度だけ振り返って、兄たちに告げる。
「いいこにしていてね。――なるべくすぐに終わらせるわ」
「……クラウディア……?」
そしてクラウディアは、ホールの天井に目を向ける。
魔法の光に照らされた天井には、シャンデリアの作り出す影が揺れていた。けれどもその影の裏側に、蠢くような黒い靄が見えている。
(本当に。……懐かしい光景ね)
五百年前の日々を思い出して、クラウディアは小さく息を吐いたのだった。
その首筋に、一筋の汗が伝うのを、ノアには気付かれないように気を付けながら。




