41 第一王女と小さな妹
「ああもう、不快。……不快、不快……!!」
魔力を発動させたエミリアは、中庭に立っているクラウディアを睨みながら声を上げる。
「あなたがいるから、お母さまが困っているの。あなたがいるから、私の欲しいものが……」
視線を向けたのは、クラウディアを守るように立っているノアだ。
月明かりしかない薄闇の中、ノアはまっすぐにエミリアを見ている。そのまなざしには、昨日エミリアに魔法を使ってくれたときのようなやさしさは、感じられなかった。
(……私のものに、なるべきなのに……)
くちびるをぎりっと噛み締める。
(いいわ。そのうちにきっとノアも、あの子が下賤の血を引いた、価値のない子だって気が付くはず。お仕置きが始まったら、ホールは結界に覆われるってお母さまが言っていたもの! 大人に邪魔はされない。お父さまにも、怒られない……)
だが、エミリアの感情をまったく無視し、クラウディアは淡々と言い放った。
「そこをとおして。エミリアねーさま」
「姉さまなんて許さないわ」
薔薇の飾りを握り締め、エミリアは言い切る。
「あなたはこれからお仕置きされるの。私の魔法で呪われるのよ、いい気味」
「……」
「呪いって、すごく苦しくて怖いものなの。あなたはきっと、知らないでしょうね」
エミリアが呪いのことを知ったのは、先ほど兄のエーレンフリートに教わったからだ。
色々な本を読んでいる次兄は、魔女アーデルハイトの時代の話を特に好んでおり、エミリアに色々と話してくれた。
「あなたみたいな小さい子は、耐えきれなくて死んじゃうかもね」
「……」
そう言ってやれば、きっとクラウディアは怯えるだろう。
怖がって青褪め、泣き叫んで、許してくれと乞うに違いない。そうすれば母に謝るだろうし、生まれてきたことを反省して、二度とこの城には来なくなるのだ。
命じれば、ノアのことだってきっと手放す。
そうすれば行く宛ても無いノアは、エミリアの元に来るはずだ。エミリアのことを好きになって、忠実な従者であり恋人になってくれる。
そんな思惑を前に、クラウディアの様子を窺った。
(さあ。ノアの前で、汚らしく泣き叫べばいいわ)
けれども次の瞬間、エミリアは目を見張る。
薄闇の中、怯えているはずだったクラウディアの表情は、エミリアが予想したものと違っていたのだ。
「……ふふっ」
「!?」
幼い彼女は、笑っていた。
「呪いのことなら、しっているわ。ほんとうに、つらくて苦しくて、こわーいものよね」
(な……なによ、この子……!)
クラウディアはノアと手を繋ぎながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「あなたのもっているその魔法道具は、まりょくの弱い人にたいして使ったら、いちどに千人くらいころせるわ」
「っ、え……!?」
そう言われ、反射的に首飾りから手を離した。
鎖で下がった薔薇の飾りが、エミリアの首元に当たって揺れる。たったいま使ったばかりのその道具が、突然とても恐ろしいものに思えてきた。
「て、適当なことを言わないで!! あなたなんか、全然詳しくないくせに……!!」
「クラウディア、呪いのことはいーっぱいおべんきょうしたよ?」
ことんと首を傾げたクラウディアは、確かに小さな子供のはずだ。
それなのに、何故だかとても恐ろしい。
「そのバラはね、魔力をすいとる道具なの」
「……っ!?」
小さな指が、エミリアをまっすぐに指し示した。
「まわりの人から魔力をすって、じゅつしゃに集める呪いのどうぐ。戦争で、てきこくの人間から魔力をすって、自国の魔術師に魔力をほきゅうさせるのにもつかったわ」
「だから! さっきから、なにを出鱈目を……」
「じゅんばんとしては、魔力のよわい人間からすいとられていくのよね。正妃がそのどうぐを選んだのは、魔力のないわたしを狙うためのはず。……ほんとうに、残念だわ」
「うるさい!!」
訳の分からないことを言い始めたクラウディアに、エミリアは叫んだ。
「なに、詳しいつもり!? 残念ね、どれだけ知っていても無駄なのよ!」
「ふうん」
「呪いをなんとか出来るのなんて、伝説の魔女アーデルハイトだけなんだから……!!」
エーレンフリートが言っていた。呪いがもっとも使われたのは五百年前で、いまではほとんど失われている魔法なのだと。
だから、呪いの対処に最も詳しいのは、五百年前に死んだ魔女なのだという。
「っ、ふふ!」
「……!?」
脅すつもりで言った言葉に、クラウディアはくすくすと笑い始めた。
一体何がおかしいのか分からず、エミリアの背筋がぞくりと冷える。そしてクラウディアは、とびきり可愛らしい表情でにっこりと笑った。
「クラウディア、エルにーさまのまねっこして、エミリアねーさまにすごいことおしえてあげるね? あとで、イルメラさまにもおはなししてあげてね」
そのあとで、彼女はとても冷たい表情をするのだ。
「――呪いはいずれ、自分自身にかえってくる、と」
「ひ……っ!?」
エミリアは、その場にへたんと座り込んでしまった。
動けなくなったのは、クラウディアが恐ろしかったことだけが理由ではない。
心臓のある辺り、左胸が、どくどくと重い早鐘を打ち始めたのだ。
(……っ、苦しい……!!)
叫びたかったのに、声が出ない。
(どうして、どうして、どうして!? 違うでしょう!? お仕置きをされるのはクラウディア!! なのにどうして、クラウディアに何も起きていないの!? なんで私が苦しいのよ……!!)
「ノア、こっちへ」
どうにか息をしようとしても、ひゅっと喉の奥が締め付けられる。
足元から、蛇のような靄が這い上がり、ぞわりとエミリアに絡んだのだ。
「い……っ、や……!!」
中庭の地面に座り込み、エミリアは必死にそれを引き剥がそうとした。
けれども靄には触れられない。実態がなく、空気を掴んでいるかのようだ。エミリアは、自分自身を抱き締めた。
(怖い……!!)
「すこし手をかして。わたしに流せる?」
「問題ないです。……これを」
周囲の状況が飲み込めず、誰が喋っているのかも分からない。触れられるのが煩わしく、無我夢中で振り払った。
(寒い、やめて、苦しい……っ!! 何故なの、クラウディアに呪いを掛けたから!? 私はただ、お母さまにお願いされて、言い付け通りにしただけなのに……!!)
座っていることすら出来なくなり、エミリアは地面に手を突く。
「姫さま、もしやすでに魔法を――」
「あとで。いまはかのじょが先」
(苦しい、怖い、こんなの嫌……!! 私は嫌だったの! お母さまに呪うよう言われても、最初はそんなことするつもりなかった! 私はなにも、していない、なにも……!!)
そう思おうとしたけれど、自分が誰よりも分かっている。
(……違う……。私、お母さまではなくて私が、クラウディアを呪うって決めたんだわ……)
はっと短い息を吐いて、涙に視界が滲み始める。
(最初はちょっと目障りで、邪魔なだけだった。お母さまがいつも言っていた、下賤の血の娘がお城にやってきたんだもの!! 追い出したかったし、お父さまがあの子を選んで惨めだった。お母さまのご機嫌が悪くなって、だけど何よりも……)
ノアが真っ直ぐにクラウディアを見ている。そのことが、どうしても許せなかったのだ。
(私が、人のものを取ろうとしたから)
心臓の鼓動がますます大きく、全身が痺れるように苦しかった。
(私が自分で呪ったから、その罰を私が受けているの? ……私は、こんなに苦しい思いを、自分より小さな子にさせようとしていた……?)
涙が滲む。『呪いで痛くて苦しい目に遭わせる』だなんて、軽々しく口にしたくせに、重みがまったく分かっていなかった。
(それじゃあ、こんなの、苦しくなって当たり前……!!)
苦しくて苦しくて、眩暈がする。自分はきっとここで死ぬのだと、エミリアははっきり確信した。
「おかあさま……」
母の助けを呼んだって、このホールには結界が張られている。
エミリアが呪いを発動させれば、大人は入れなくなると聞かされたのだ。母がやってくるはずもないのに、エミリアは懸命に母を探した。
(おかあさま、どこ? どこ……? 言わなきゃ。あの子を呪いたくないって、ちゃんと言わなくちゃ……)
上手く考えることが出来なくなって、エミリアはぼんやりと目を開ける。
するとそこには、ミルクティー色の髪をした女の子が、エミリアを覗き込んでいた。
「……っ」
女の子の手元が光っていて、その顔が見える。
光の映り込んだ彼女の瞳は、先ほどまでの淡い金色ではない。
「ごめん、なさい……」
「…………」
エミリアは、無意識の謝罪を口にする。
「あなたはわたしの妹なのに、ひどいことして、ごめん……」
「……」
するとクラウディアは、たくさんの宝石が閉じ込められたかのような色合いの瞳で、エミリアにそっと微笑んだ。
「ねーさまは、とってもいい子」
「…………」
クラウディアが目を瞑り、エミリアの首元に手を翳す。
(……あったかい。昨日、ノアに手を浄化してもらったときみたいな、ふわふわした感じ……)
それを感じるのとほとんど同時に、呼吸の出来ない苦しみが引き始めた。
(これはまほう? ノアがまた、私に使ってくれた……ううん、ちがう……)
エミリアは、『歴代王女の中で最も魔力が強い』と言われている。
その呼び名に決して恥じないよう、魔法の練習も欠かさなかった。だからこそ、いま使われている魔法の主が、ノアではないと分かるのだ。
「クラウディア……?」
「すこしだけ、おやすみなさい。エミリアねーさま」
小さくて温かいクラウディアの手が、エミリアの目元に乗せられる。
エミリアはそれをきっかけに、ふっと意識を手放した。
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