40 第一王女の願いごと
【八章】
第一王女エミリアが、その美しい首飾りを受け取ったのは、つい昨晩のことだった。
(お母さまに、お願いしないと。ナイトパーティーに出たいって……)
心の中に思い描くのは、あのノアという少年の、とても美しい顔立ちだ。
(クラウディアは明後日、ナイトパーティーのあとに塔に帰る。そのときはノアも一緒だわ。だから明日のナイトパーティーまでに、またあのノアに会わないと)
彼の姿を思い出すだけで、エミリアの左胸は高鳴った。
(会えたら言うの、『私の従者になりなさい』って! あんなクラウディアなんかより、ずっとその方がいいはず。ノアは喜んで、私のことを好きになって、自慢の主君としてずっと傍についているの……)
そんな未来を迎えるためには、ナイトパーティーに出なくてはならない。
(だけど、お母さまは許して下さるかしら)
そのことを考えると、エミリアは怖くなってしまった。
母はいつも言っているのだ。『ナイトパーティ? なりません、子供たちだけで夜遅くまで騒ぐだなんて。この国の慣習とはいえ、はしたない……』と。
年に二度ほど行われるナイトパーティーに、エミリアは一度も参加したことがない。
ふたりの兄が、いつも楽しそうに準備しているのを、「私はちっとも出たくないわ」と毒づいて遠巻きに見ているだけだった。
(でも、明日だけは……)
そう思い、賓客室の扉の前で、緊張しながらうろうろしていた。
先ほどエミリアを叱った母は、故国から来た魔術師との商談で、ずっとこの部屋に籠っている。
早く話をしたいのだが、商談中のところへ入っていくわけにもいかず、エミリアはずっと客人が帰るのを待っていたのだ。
そのとき、扉が開いた。
『!』
やっと商人が出ていくのかと思い、エミリアは顔を上げる。
しかし、部屋から出てきたのは母だった。
(叱られる……!!)
咄嗟にそう思ったものの、母はエミリアを見つけると、「あら」と微笑む。
『ちょうどよかったですね、エミリア。あなたを探しに行こうとしていたのですよ』
『わ、私を……?』
その瞬間、少しだけ嫌な予感がした。
母にそんなことを思うだなんて、それはとっても悪い子のすることだ。内省したエミリアに、母はやさしい声音で告げた。
『お母さまは、エミリアにお願いがあるのです。聞いてくれますか?』
『お母さまが、私に……』
『突然だけれど。あなたには、明日のナイトパーティーに出ていただきます』
『!!』
心を読まれたかのような提案に、エミリアは目をまんまるくした。
もちろん願ってもないことだ。だが、ナイトパーティーに出られることを喜んでは、母に叱られてしまうかもしれない。なるべく嬉しくないふりをして、エミリアは母に尋ねる。
『お……お母さま、何故なの? ナイトパーティーに出るなんて、はしたない子供のすることだわ……』
『ええ、本当に。ですので、あなたには本当に申し訳ないことをさせてしまいますが……』
『でも、お母さまのためなのよね? 私、ナイトパーティーに出るわ』
すると母は、嬉しそうに微笑んでくれた。
『お母さま思いの、やさしくて良い子……。お母さまのお願いを、きっと叶えてくれると信じていますよ』
『お母さま、この首飾りは?』
母に首から掛けられたのは、銀色をした薔薇の首飾りだ。とても美しく、思わず見入ってしまいそうな作りだが、エミリアの首にはずっしりと重い。
そして母は、アメジスト色の瞳をエミリアに向ける。
『悪い子供にお仕置きをする、魔法の道具です』
『……え……?』
母の浮かべた微笑みは、いままでに一度も見たことがないものだった。
『ナイトパーティーの会場にいるのは、子供だけで夜まで騒いでいるような子たちばかり。エミリア、良い子のあなたがそこに行って、お仕置きをしなくてはいけませんね?』
『お、お母さま?』
『クラウディア姫殿下は一番の悪い子。下賤の母親を持ち、本来ならば王族を名乗るのも恥ずかしい血筋でありながら、姫としてこの城にいるだなんて厚かましい……』
エミリアは、こくんと喉を鳴らす。
『あなたはただ、この首飾りに魔力を込めればいいだけなのです。これはね、その場にいる中から、最も魔力が弱い人間に反応するのだそうですよ』
『でも、お母さま。お仕置きって』
『正統なる第一王女として、頼みましたよエミリア。ヴィルヘルム王子殿下やエーレンフリート王子殿下は、ご自身の役割に無自覚であらせられるのですから。あなたがしっかりしなくては』
『わ、私が……?』
『お母さまの代わりに、悪いクラウディア姫殿下に、お仕置きをしてきて下さいね』
『……』
母の様子がおかしいことは、エミリアだって気付いていた。
今日に始まったことではなく、ここ数ヶ月ずっとそうだ。何かに怯え、焦ったような素振りを見せて、滅多に笑ってくれなくなった。
(それも、クラウディアのせいなの?)
そして今日、母から預かった首飾りを胸に、ナイトパーティーに参加したのだ。
『よかったなあ、エミリア!』
初めてのナイトパーティーは、どこもかしこもきらきらとしていた。
『お前もようやく参加できたなんて。俺とエルでいつも、エミリアも出られたらいいのにって話してたんだよ』
『……ヴィルお兄さま……』
兄たちや他の子供たちは、エミリアの参加を喜んでくれた。
大人のいない場所で、子供たちだけで遊ぶ楽しさを知り、エミリアはとっても驚いたのだ。
その上しばらく過ごしていると、ノアがやってきた。
昨日とは違う衣装に身を包み、従者としての正装に近い姿をした彼は、息を呑むほどに格好良い。同じ空間にいられるだけで、心がふわふわと浮き立つようだ。
最初は遠巻きに見つめ、時間をかけて勇気を出し、壁際に立っているノアに話し掛けようとした。
でも、そのときのことだった。
『――姫さま!』
(……!)
入場してきたクラウディアを見て、ノアが迷わずに駆けてゆく。
クラウディアに跪き、手を繋いで、クラウディアだけを見ながら過ごしていた。
エミリアが話しかける隙間など、どこにも無いのだとよく分かる。
あまりにそれが悲しくて、しばらくぼんやりと立ち尽くしてしまったほどだ。
(……あのふたりは、どこ?)
途中で姿を見失って、エミリアはホール内を歩き回った。
兄たちもちょうど、クラウディアを探していたらしい。あっちから声がした、ここにいる気がすると、そんな話をしながらホールを見回っている。
エミリアはやがて、中庭に出る硝子戸が開いているのに気が付いて、そちらに近付いてみた。
(中庭は、真っ暗で怖い……)
あまり近付く勇気が持てず、扉の手前で足を止める。
(こんな暗いところに、クラウディアみたいな小さい子がいるはずないわ。いまは大人は誰もいなくて、危ないんだもの)
だが、そのあとで気が付くのだ。
(……だけど、あの子の傍にはノアがいる)
エミリアは、自分に置き換えて想像してみる。
真っ暗な庭に、ひとりだけで近づくのはとても怖い。それでも、ノアが一緒にいて手を繋いでくれるなら、どこにだって行けると思った。
(クラウディアが、どうしてノアみたいな子と一緒にいるの?)
想像するだけで、我慢できないほどに嫌だと感じる。
(ノアの主人にふさわしいのは、クラウディアでなく私のはずなのに。あんな下賤の血が混じった子に、美しい従者はふさわしくないのに……)
その瞬間までのエミリアは、母の言い付けを破るつもりだった。
他の子供たちにお仕置きだなんて、そんなことをしたくはない。
クラウディアのことは嫌いだが、泥を投げつけようとして父にぶつけた瞬間を思い出すと、誰かに怒られそうなことをしてまで攻撃する気は起きなかった。
そのはずだったのだ。
けれど、クラウディアとノアが手を繋いで戻ってくるのを見た瞬間、首から下がった薔薇の飾りを握り締めていた。
(お仕置き、しなきゃ)
昨日の母は、こう言ったのだ。
『この首飾りに、あなたの魔力を込めるのです。……そうすれば、その場で一番魔力に乏しい子供……つまりは魔力無しのクラウディアに、お仕置きをすることが出来るのですって』
(お母さま……)
『大丈夫。強力な魔力を持つあなたにとっては、なにも怖いことのない道具ですよ』
エミリアは、くちびるを結んで勇気を出し、首飾りに魔力を込めたのだ。
――その瞬間に、辺りがすべて、真っ暗になった。




