37 転生王女の昔のお話
ぬいぐるみたちの奏でる音楽で、この笑い声は外には聞こえないはずだろう。ノアは何も文句が言えないようで、ただただ何かを耐えながら、クラウディアの髪を編んでいる。
「ふふっ、ああ、おかしい! ……そんなにいやなの?」
尋ねると、今度はあまり隠す気のない、はっきりとした不満の声がする。
「……嫌です。昨日も申し上げたでしょう」
そのあとで、悔しげな言葉が続けられた。
「……くそ……。本当は、もっと理論的に、はっきりと言葉で伝えるつもりだった……」
(そういう意地が、私には可愛く映るのだけれど……)
それを告げると可哀想なので、言わずにそっと黙っておく。その代わりに、クラウディアはノアを諭すのだ。
「にーさまたちや、おとーさまのところにいた方が、おまえのみらいは広がるのよ?」
「あなたの傍にいられない生き方を、『未来』だなんて呼ぶつもりはありません」
「!」
その言葉に、クラウディアは笑うのを止めた。
クラウディアの髪を編み終えたノアが、髪留めから手を離す。
振り返ると、ノアと視線が重なった。
クラウディアを見つめるノアのまなざしは、この一か月で見たことがないほどに、大人びていて真摯なものだ。
クラウディアは、ふっと息を吐くように微笑んだ。
(心を折ろうと思っていたのに。――こんな目をされては、それが難しいと分かってしまうわ)
本当に、少しの時間目を離しただけで、すぐに成長してゆくものなのだ。
「それでも、ノア」
可愛い従僕を説き伏せようとした、そのときのことだ。
「エル!」
長兄のヴィルヘルムが、次兄を呼ぶ声がした。
「お前またそんな難しい本を読んでるのか? どこが面白いんだよ」
「面白いですよ。兄上もたまには、過去の歴史から学ばれてはどうです?」
「歴史ねえ。そんな大昔のことが、参考になるのか?」
「なりますよ、当然でしょう!」
そんな話をしながら、ふたりの兄たちがテーブルの傍を通る。次兄のエーレンフリートは、こんな言葉を口にした。
「なにせこの本に書かれているのは、『伝説の魔女アーデルハイト』の真実」
「……」
クラウディアは、ゆっくりと声のする方に視線を向ける。
「……アーデルハイトが五百年前、自らの命と引き換えにして世界の滅びを食い止めたとされる、れっきとした史実の証明なのですから!」
「――――……」
この時代の子供が、随分と懐かしい時代の話をするものだ。
そう思っていると、ノアの視線が真っ直ぐこちらに注がれる。クラウディアは小さく笑ったあと、テーブルクロスを潜って外に出た。
「姫さま」
歩き出すと、すぐにノアも出てきて後を追う。
誰も近くを通っていないタイミングを狙ったので、クラウディアたちがテーブルの下にいたことは、子供たちの誰も気づいていなかった。
「……兄君の、いまのお話は?」
クラウディアは、ぬいぐるみの差し出してくる風船を受け取りながら、独りごとに近い心境で口にする。
「……まったく、一体どの弟子なのかしらね。わたしの自己満足によるおこないを、へたな神話のようにまつり上げたのは」
溜め息をつきながら、他の風船も受け取った。
ピンクに黄色、紫に水色。ふわふわ浮かぶ四つの風船を連れて歩くクラウディアは、ホール内でも目立っていただろう。
それでも、ノアの他についてくる子供がいなかったのは、クラウディアが真っ暗な中庭に降りたからだ。
子供たちにとって、夜の闇は恐ろしいのだろう。そんな中でノアだけが、躊躇すらすることなく、クラウディアの傍に付き従う。
「前世のあなたは、何かを救うために命を落としたのですか?」
「ふふ。まさか」
救世の存在だなんて思われるのは不本意だ。だからクラウディアは仕方なく、ノアに教えることにした。
「おまえが掛けられていた、奴隷契約のまじゅつの正体を知っている?」
「……?」
クラウディアがノアと出会ったとき、ノアの心臓がある左胸には、黒い蛇のような魔力が絡みついていた。
「あれは、呪いなの」
両手に持った風船の紐を、とんとんと下に引っ張って遊ぶ。揺れる四つの風船は、ホールから見ても目立つだろうか。
「魔法とは、違うのですか?」
「ほんしつ的にはおなじものね。だけどそのまがまがしさ故に、呪いは呪いと区別してよばれるわ」
それだけではない。
「わたしがおまえに上書きした、眷属契約のまじゅつだって、ほんとうは呪いのひとつなのよ」
「――――……」
ノアが叔父から掛けられた契約魔術は、そのまま断ち切るのに苦労する。
だからあのときクラウディアは、もっと強力な魔法で上書きし、鎖の結び先を叔父からクラウディアへと繋ぎ変えた。
呪いを上書きできるのは、同じ呪いだけだ。
「いまの時代に、呪いとよばれる魔法のしゅだんはほとんど残っていないはず。おそらくは、弟子たちが消していってくれたはずだわ」
「……それは、あなたの遺志に従ってですか?」
「五百年まえも、呪いは珍しいまほうだった。だけど、それをつかえる人は、いまより多かったの」
そしてクラウディアは、記憶を辿る。
「たにんを支配する力は、いのちを思うままにあやつる力」
だからこそ、奴隷や眷属といった、対象の意思すら奪うほどの強力な効果を発揮する。
「それを、戦争に利用した国があったわ」
「――!」
それはもう、ひどい光景だった。
「敵の国に呪いをばらまいて、こくみんをあやつるの。兵たちだけでなく、たたかえない人たちもね。きょうだい、おやこ、こいびと同士……お互いを敵だとおもいこんで、殺しあって」
「……っ、ですが」
痛ましそうに顔を顰めたノアが、ぐっと両手を握り込む。
「叔父が俺を奴隷にできたのは、莫大な魔力を持っていたからです。呪いと呼ばれる強力な魔法を、それほど大勢に使うことは出来るのですか?」
「てんさい、というのは居るものよね。……ある男は、呪いの為の魔法道具をつくりだして、そこに魔術師たちのまりょくを込めさせたの」
「魔力を? では、その道具があれば……」
「きょうりょくな魔術師がおもむかなくとも、誰かが敵国でその道具をはつどうさせれば、それでまわりを呪うことができたわ」
王族をはじめとする魔術師たちは、安全な国の中枢で、魔法道具にたくさんの魔力を込め続けた。
その魔法道具は『輸出』され、敵国に運んだ兵によって発動される。そうすれば、数人の自国兵を犠牲にするだけで、多くの敵国民を巻き込むことが出来たのだ。




