36 従僕の動揺
子供だけのナイトパーティーについて、多少の知識はあるものの、実際に参加するのは初めてだ。
ノアと手を繋いだクラウディアは、お菓子の乗ったテーブルだらけのホール内を歩いてゆく。
途中ですれ違ったぬいぐるみから、星屑を凍らせたような棒付きのキャンディを受け取る。ノアの分も貰おうとしたクラウディアの周りには、数人の男の子たちが集まってきた。
「ね、ねえ君! このお菓子あげる、おいしいよ!」
「それより、あっちにピンク色をしたうさぎのぬいぐるみがいるんだ。会いに行ってみない?」
「風船取ってきてあげる。何色が好き?」
周りをぐるっと囲まれてしまい、これではどこにも行けそうにない。クラウディアはにこっと笑い、男の子たちに告げる。
「クラウディア、おいかけっこのとくいな人がすき」
「え……」
「クラウディアが、おいかける人ね! それじゃあいーち、にー……」
「わわわっ!? 待って待って、逃げるから!」
クラウディアが数える声に慌てて、彼らは一気に散らばった。その様子を、ノアが気の毒そうに眺めている。
「これでいいわね。いきましょ、ノア」
「よろしいのですか? あのように追い払って」
「かこまれてたらゆっくりできないもの。いろんなテーブルがあるのだから、けーかくてきに回らないと」
するとノアは、なんだか意外そうな表情でこちらを見てくる。
「随分と楽しそうですね」
「ええ、たのしいわ。おかしもあるし、おんがくも鳴っているし、ぬいぐるみはとってもかわいいもの。ノアは?」
ノアは目を瞑り、澄ました表情で言ってのける。
「俺は、こんなことで喜ぶほど子供ではないので」
「あら」
クラウディアはくすっと笑って、テーブルに近付いた。背伸びをし、そこにあった小さなチョコレートケーキをお皿に乗せると、それを金色のフォークに刺す。
「はいノア、あーん」
「!」
ノアの口にケーキを放り込むと、ノアは不意を突かれた表情のあと、少しだけ目を見開いた。
そのあとで、気まずそうに手のひらで口元を押さえる。もぐ……と緩慢に顎を動かし、咀嚼したあと、物言いたげにクラウディアを呼んだ。
「姫さま……」
「ケーキ、おいしかったでしょう?」
「……っ、それは」
くすっと笑ったクラウディアは、ノアにそうっと教えてあげる。
「ノアにおしえてあげる。……おとなだって、おかしがだいすきで、たのしい夜にはわくわくするの」
「……そういう、ものですか?」
「ええ。そういうものだわ」
頷いて、クラウディアは考える。
(それに。……お前はそもそも、普通の子供が楽しいと思うことを、いっぱい楽しんで良い子供なのよ)
クラウディアは小さく息をつき、ホールの向こう側にいる目的の人物を見遣った。
そこにいる金髪の少年たちは、長兄のヴィルヘルムと、次兄のエーレンフリートだ。
ヴィルヘルムはたくさんの、特に年少の子供たちに囲まれている。
「ヴィルヘルムさま、見て見て! あそこに苺のお菓子がたくさんありました!」
「ああ、よかったなディルク! お前は甘いのが好きだものな。おっとクルト、あまりそっちに行くなよー! 庭に出るなら僕と行こう!」
(ヴィル兄さまは粗暴に見えて、年下への面倒見が良いようね。ノアはヴィル兄さまよりひとつ下だから、同じ理屈で可愛がってもらえそうだわ)
そしてヴィルヘルムは、少し離れた場所にいる弟に声を掛ける。
「エル、お前も来いよ!」
「僕はいいです。このぬいぐるみが、どういった魔法動力で動いているのか調べているので」
「せっかくのナイトパーティーに、また勉強してるのか!? 信じられないな、お前!」
(エル兄さまは勉強熱心な分、無理をしないから護衛も容易いわね。ノアも物静かな方だし、一緒に居る苦労が少ないかもしれない。エミリア姉さまは……)
そんな風に考えていることを、クラウディアは隠したりしなかった。
傍にいるノアは、その思考を見越したのだろう。胸中の不服を表明するように、クラウディアを呼んだ。
「姫さま」
「……」
ノアに呼ばれて、クラウディアは一度だけ彼を見上げる。
そのあとに、ふたりの兄にノアを見せるべく、ノアの手を引いたまま彼らに近付こうとした。
「にーさまー! あのね、わたしのノアを……」
「……っ」
その瞬間、クラウディアの目論見に焦ったらしいノアが、思わぬ行動に出る。
「!!」
クラウディアは、思わず目をまんまるくした。
「あれ……? いま、俺たちを呼ぶクラウディアの声が聞こえたような?」
「おかしいですね。こっちには誰もいませんが……」
振り返ったらしき兄たちの声が、少しだけ小さく聞こえてくる。
(それは当然、見つからないはずだわ)
なにせクラウディアは、ノアに腕を引っ張られて、クロスで覆われたテーブルの下に居たのである。
「……っ」
誰よりもこの状況に驚いているのは、どうやらノア自身のようだった。
兄たちに見つからないよう、クラウディアごとテーブルクロスの中に隠れたノアは、その腕の中にぎゅうっとクラウディアを抱き込んでいる。
「――――……」
さすがにこれは想定外で、クラウディアはぱちぱちと瞬きした。
背中から、早鐘を打つノアの鼓動が伝わってくるかのようだ。ノアは、自分の行動に戸惑いはしているものの、兄たちに見付かりたくはないらしい。
薄暗いテーブルの下、布一枚隔てた向こう側から、兄たちの声が聞こえてくる。
「エル。クラウディアの声、この辺りから聞こえたか?」
「いえ……もう少し近かったような気がするのですが」
「んー。でも、居ないんだよなあ」
その声が遠ざかったあと、ノアはようやく腕の力を緩め、向かい合っているクラウディアを見下ろした。
「……申し訳、ありません。姫さま」
「……」
心底ばつの悪そうなその謝罪を見上げて、クラウディアは口を開く。
「……ちょうどいいわ、ノア。かみのけをやってちょうだい」
「は……?」
テーブルクロスの中の空間で、ノアに背を向けて座り直す。そしてドレスの隠しポケットから、念のため持っていた髪留めを取り出した。
「ほら」
「……わかりました」
ノアに渡すと、躊躇いつつもクラウディアの髪を指で掬い、いつものように結い始める。
「……」
「…………」
「………………」
けれどもそうしているうち、クラウディアはとうとう耐え切れなくなってしまった。
「――っ、ふふ」
「…………」
一度零れたらもう駄目だ。しばらくは我慢していたのだが、笑いで肩が震えてくる。
「ふふ。……ふふふ、ふ……っ!」
「……姫さま……!」
居た堪れないという顔のノアが、やめて欲しがってクラウディアを呼ぶ。
口元を両手で押さえてみるも、クラウディアはとうとう諦めた。
だって、従僕が咄嗟に取ったこの行いが、微笑ましくてたまらないのだ。




