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34 正妃の悲願

【七章】




 アビアノイア国の正妃イルメラは、心からの焦りを抱いていた。


「――それで? 今度こそ、命じた魔法道具は見つかったのですか?」

「お許しくださいイルメラ妃殿下。世界中、選りすぐりの品々を集められる我らでも、ご希望に適うものは難しく……」


 この場に呼びつけた商人は、一週間前と変わらない言葉を吐いてみせる。

 喉元を掻き毟りたいのを我慢して、イルメラは商人に詰め寄った。


「御託は結構。私はきつく申したはずです、『今日が期限』だと」

「な、何卒……。――人の命を奪い、ましてやその亡骸から魔力の痕跡をすべて消すなど、限られた用途の道具ですから……!」


 商人の弁明に含みを感じて、イルメラの頭に血が昇る。


「……っ、持ち寄ったものを見せなさい!! 私に目を掛けられておきながら、よもや手ぶらで参った訳ではないでしょうに!!」

「ご、ご随意に……!!」


 怯えた顔をした商人が、足元の木箱を示して後ずさる。イルメラは、ビロード張りの木箱を掴むと、その中身を大理石の床へとぶちまけた。


(なんなのですか……! 本当に、役に立ちそうのない品ばかり!!)


 散らばった道具を混ぜるように漁っても、納得のいく品は見つからない。イルメラにも知識はあり、一通りの魔法道具であるならば、見ただけで効用は分かるのだ。


(どうして私が床に這い、このような真似を!! なんと忌々しい下賤の娘。生まれる前から、陛下に捨てられたはずの今に至るまで、どこまでいっても目障りな存在……!!)


 イルメラの脳裏に浮かぶのは、この国の王女クラウディアだ。

 淡い金色の大きな瞳に、ミルクティー色をした細い髪。彼女の容姿は、イルメラがたった一度だけ目にしたことのある、あの美しい歌姫によく似ていた。


 目付きが悪く、陰気な顔付きだと疎まれるイルメラとは、大違いだ。


(……下賤の生まれの人間が、王族を産むなどあってはなりません)


 六年前のイルメラは、そのことを大義名分にして手を打った。

 偽の水晶を用意させ、クラウディアが魔力無しだという結果を出させたのだ。歌姫は出産時に亡くなっており、そのことと同時に報告をさせた。


 ふたつの報告について、フォルクハルトはどうでもよさそうに、「そうか」と言っただけだった。

 イルメラは昏い喜びと安堵を感じ、クラウディアの追放の手配をさせたのだ。


 あれから数年のあいだ、時折クラウディアの存在がよぎるものの、それ以外は平和な日々だったのに。


(長年緊張状態にあった西の大国クリンゲイトが、いまになってこの国と手を組むだなんて。……この同盟が成立した以上、フォルクハルト陛下にとって、もはや我が故国マグノニアは不要な存在……)


 フォルクハルトとイルメラは、二カ国の関係を強固にするための政略結婚だった。だからこそ、新しい味方を手に入れたフォルクハルトにとって、イルメラは必要がない存在なのだ。


『国王の正妃』などという重要な地位を、マグノニア王族で埋める意味がない。フォルクハルトは、新たな政略結婚のために、正妃の座を空けておきたくなるだろう。


 だが、それでもマグノニアは大国だ。

 この国の一方的な理由で離縁させ、敵に回すのは得策ではない。


 だからフォルクハルトは、六年前に見逃したイルメラの罪を、いまさら暴き立てようとしているのだ。


 それを口実に離縁すれば、フォルクハルトに失うものはない。それどころか、新しい正妃を迎えられる上に、マグノニア国へ賠償金を請求することも可能だ。

 そしてイルメラは追放され、故国で相応の罰を被る。悪ければ斬首、よくても牢獄への監禁だ。


(私がそうなれば、エミリアは……?)


 可愛い娘のことを思い、イルメラはぞっとした。

 娘のためにも絶対に、ここですべてを失うわけにはいかない。


(ああ、忌々しい……!! 六年前、ただただ『気に入らない』という感情だけで行ったことが、これほど私の首を絞めるだなんて……!!)


 だが、どれだけ後悔しても遅かった。いまのイルメラに出来ることは、あの嘘を貫き通すことしか無い。


(何故? 一体どうしてなの。幸いなことに、クラウディアに本当に魔力は無かったはずではありませんか!!)


 フォルクハルトも見たはずだ。昼間、クラウディアが再鑑定で触れてみせた水晶は、何の反応も示していなかった。


(それなのに、陛下は何故……)


 あのときのフォルクハルトは、天蓋に包まれた特別席で、興味深そうに笑ってみせたのだ。


(クラウディアに魔力は無い。それは絶対に間違いがないはずです。ですが、妙に胸騒ぎがする……。早く殺して、念のため、その亡骸から魔力の欠片も消し去るような方法を……!!)


 イルメラは、さほど魔力が多い方ではない。

 もちろん王族の血筋である以上、平民と比べば多いのは確かだ。しかし、魔力が多い者同士の政略結婚が歴史的に続いてきた王侯貴族の中では、少々目を引く少なさだった。


 イルメラ自身の魔力では、どうにもならない。だからこそ、クラウディア生誕時の商人を呼び寄せ、魔法道具を揃えさせたのだ。


 しかし、目的を果たせる道具が存在していそうもない。

 焦りが募ったそのとき、ばらばらに散らばった道具の下に、小さな首飾りらしきものがあるのを見つけた。


「……こちらは?」

「! そ、それは……」


 青褪めた商人が、小声で用途を打ち明ける。


「――――……」


 告げられた効用に、イルメラも少々怯んでしまった。

 だが、考えてみればみるほどに、この道具を使うしか方法は無いように思えてくる。


(そんなことをして許されるの? ……愚問だわ、許されるはずがない!! ああ、だけど、最早こうするしか……)


 首飾りを握り締めたイルメラは、ごくりと喉を鳴らした。


「正妃殿下。恐れながら、その魔法道具を発動させるのに、正妃殿下の魔力では恐らく……」


 言いにくそうに進言されるも、そんなものはさしたる問題ではない。


(方法ならあるわ。――明日のナイトパーティーを待って、これを会場内に持ち込めば……)




 ***




「とーっても可愛らしいですわ、クラウディア姫殿下!」


 日が暮れたころ、王城に用意された私室の鏡台で、クラウディアは大人の侍女たちに囲まれていた。


「淡い色合いのドレスがよくお似合いですこと!」

「えへへ。ありがとー」

「本当に、お花の妖精のようですわね。ほら、この熊のぬいぐるみを抱っこしていただくと……ああ、愛くるしすぎてこのまま肖像画にしたいくらいです……!! 次の機会には是非、こちらのドレスもお召しになっていただきたいですわ」

「こちらも捨て難く。どんな衣装も着こなしてしまわれるので、いくらドレスがあっても足りませんね」


 侍女たちはクラウディアにあれこれと衣装を当てては、きゃっきゃとはしゃいで声を上げる。


(どのドレスも確かにセンスが良いわね。誂えも上等な衣服が、次から次へと出てくるし)


 ほんの一ヶ月前のクラウディアは、塔のメイドたちから冷遇されていた。

 疎まれて放置され、誰もクラウディアの瞳の色すら見たことがなかったのだと、この侍女たちは想像すらしていないだろう。


(とはいえ少し、飽きてきたわ……。あふ……)


 鏡台の前に座らされたクラウディアは、あくびをしたいのを堪えつつ、ぬいぐるみの後頭部に口元をうずめた。

 侍女たちはそんなクラウディアを見て、ごく小さな声で呟くのだ。


「本当にお可愛らしいわ。これで魔力さえお持ちであれば、さぞかし評判の姫君としてお名前も広まったでしょうに、残念よね……」

「しっ。そんなこと言ったって、もう仕方ないでしょう? 生まれつき魔力が無いのなんて、どうにもならないわ」


 魔法での情報収集によって、その声ももちろん聞こえている。だが、クラウディアにとってはどうでもいいことだし、侍女たちもまさかクラウディアの耳に入っているとは思っていないようだ。


(城内の情勢も探れたし、侍女たちからも色々と聞き出せた。あとはナイトパーティーで兄さまや姉さまにノアを自慢して、ノアに興味を持たせれば十分かしら)


 そうすることが、ノアの未来に繋がるはずだ。


「さて姫殿下。お髪はどのように致しましょうか」

「リボンを使って結い上げますか? それともツインテール? お姉さんらしいハーフアップというのも素敵ですわ」

「……」


 そう言われて、クラウディアは考えた。


「昨日は、簡単に編み込みをなさっていただけですものね」

「今宵は是非とも私たちに。複雑な編み込みも、なんでも姫殿下のお望み通りにいたしますよ?」


 彼女たちは、普段は姉姫エミリアの世話をしているらしい。

 恐らくは、クラウディアが魔法を使わなくとも、とても可愛らしい髪型に結い上げてくれるのだろう。


「……」


 けれどもクラウディアは、ふるふると首を横に振る。


「かみは、このままでいいの」

「姫殿下?」


 いまのクラウディアは、さらさらしたミルクティ色の髪を下ろしたままだ。

 結んだり、編み込んだりもしていないどころか、リボンのひとつすら付けていない。


「このかみで、ナイトパーティーでる!」

「ですが、せっかくドレスも靴も素敵なのですよ?」

「うん。でも、いいの!」


 クラウディアはぴょんと椅子から降りて、ドレスをふわりと翻し、可愛らしく言い切った。

 

「クラウディアのかみは、ノアじゃないとだめなの」

「あら、まあ……」





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