33 従僕の改め
心の中で悪態をついていると、カールハインツは痛い所を突いてきた。
「それほど敬愛している姫殿下に、君は何やら不満があるらしいな?」
「……っ、それは」
気まずい気持ちになりつつも、渋々口を開く。
「姫さまが俺を、ご自身の手元から離して、国王陛下や王子殿下たちの所に行かせようとしているからです」
「そのようだ。君が王城仕えになった暁には、気に掛けてやってほしいと仰せ付かった」
「……素知らぬ顔をしておいて、やっぱり聞いているんじゃないですか」
そしてクラウディアは、カールハインツに今後のことまで手配している。そのことが歯痒く、ぐっと両手を握り締めた。
「俺が、まだ弱いからだ」
無意識に呟いてしまった言葉に対し、カールハインツはこちらの気も知らず、簡単に頷いてみせる。
「そうだろうな。姫殿下にとって、君は庇護対象――守るべきものだろう」
「従僕に、そんな配慮はいらないはずです」
ノアの脳裏によぎるのは、たった一度だけ見たことのある、死んだ妹の笑顔だった。
(あいつを守ることが出来なかった。その挙句に、今後命を懸けて守ると誓った相手にすら、何も出来ない)
そのことが悔しくて、呟いた。
「……俺のことは、あの方のための使い捨てにしてくれて、構わないのに」
「君をお傍から離そうとなさっているのは、君がそんな調子だからだろう」
「あんたに何が分かる」
「分かるさ」
「!」
はっきりと言い切るその言葉に、驚いてしまったのが本心だ。
カールハインツは目を伏せると、ここではない遠くを懐かしむような表情でこう言った。
「私にも、命と魂を救われた経験はある」
「……っ」
カールハインツのことが苦手な理由を、ノアはこのとき認識した。
(似ているのか。単純に)
こういうのは同族嫌悪と呼ぶのだと、以前クラウディアに教わった。
どこまでも子供じみた自分に嫌気が差すものの、思わず本音が漏れてしまう。
「俺がいなくても。……いないほうが、よっぽどあの方も身軽でいられるのは、理解してる」
今回、クラウディアが王城に来る気になった一件でよく分かった。
正妃の遣いと言われた魔術師たちが、クラウディアを殺すためにあの村を訪れたからだ。
クラウディアは、村に愛着を持っている。あの村に迷惑をかけないという目的が無ければ、城からの呼び出しや捜索を無視し、どこかに姿を消すことも出来たはずだった。
クラウディアにとっての今のノアは、あの村となんら変わらない。
ノアの今後の人生のために、ノアをいずれは王城へ遣ろうとしているのだ。クラウディアはそのために、父親の不興を買うような振る舞いさえしている。
(従僕のくせ、あのお方に守られるどころか、あの方の邪魔にすらなっている)
そのことに、悔しさと焦りを覚えるのだ。
カールハインツはすべてを見透かしたように、こんなことを言った。
「『使い捨てで構わない』などという言葉は、嘘だろう」
「嘘なんかじゃありません。俺は」
「本当の願いは、クラウディア姫殿下をお守りし、支えられる存在になることのはずだ」
「――!」
ノアは思わず息を呑んだ。
カールハインツは、少し悪い大人の表情で、ノアを挑発するように微笑む。
「だからこそ、『教えてやる』と言っている。守りたい存在があるのならば、多方面からの技術を取り入れることも必要だぞ」
「……姫さまが、あなたにそう命じたんですか?」
「いいや? 私の提案だ。ノア、君は魔法で戦うにあたって、剣を用いることがあるのだったな」
この男がそれを知っているのは、以前『塔』での鍛錬中、彼も居合わせたことがあるからだ。
「姫殿下のご指導ぶりには驚いたが、あのお方は剣術の経験者ではあらせられないだろう」
カールハインツの言う通りだった。クラウディアは『剣は嫌い、手にまめが出来ちゃうもの。でも、弟子たちの中には剣術使いも多かったから、一通りの指導は出来るわ』と話していた。
「どうしてそれを?」
「剣術を嗜むかどうか程度は、日常の所作を見ていれば分かる。……話していなかったか? 私のいまの肩書きは、王国の筆頭魔術師だが」
カールハインツは短い詠唱をすると、その手に剣を出現させた。
「かつては、魔剣部隊の指南役を兼任していたこともある」
「――!」
軽々しく言ってのけるのだが、それはとんでもない功績ではないだろうか。
ノアが目を丸くすると、カールハインツは事も無げに言うのだ。
「努力をした。……俺にも、いずれ守りたいと願っていたお方がいたのでな」
(『俺』……)
カールハインツはいつだって、『私』という一人称を使っていたはずだ。
それなのに、ノアの前で一人称を変えた。まるで同志への呼び掛けのようにも聞こえて、背筋を正す。
そしてノアは、カールハインツに頭を下げた。
「……自分の弱さを自覚しておきながら、身の程知らずな発言を申し訳ありませんでした。カールハインツさま」
そして顔を上げ、詠唱して剣を顕現させる。そして、ひゅんっと軽く剣先を振った。
「剣術の御指南を、お願い出来ますか」
柄をぐっと強く握り込み、カールハインツの瞳を真っ直ぐに見据える。
「……姫さまをお守りするために、もっと力が必要です」
「容赦はしないぞ?」
「望むところ」
そしてノアは、日が暮れるまでカールハインツの指導を受け続けた。
そのあいだも、脳裏に浮かぶのはクラウディアのことだ。ノアがどれだけ懇願しても、頑ななまでに突き放そうとした、寂しげな微笑みを思い出す。
(……姫さまは一体、何を恐れていらっしゃるんだ?)
日が暮れれば、子供たちだけのナイトパーティが開かれる。ノアは子供であり、従僕と護衛でもある身分として、パーティに同席することになっていた。
そのときに、少しでも話が出来れば良い。
そう考えながらも、いまは目前の訓練に集中するのだった。
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