32 魔術師と従僕
「……陛下。恐れながら、姫殿下をお部屋までお送りさせていただきたく」
「よかろう。お前もそのまま下がれ」
「は。――それでは、陛下に良き夜の帷が下り、やがて黄金の暁が訪れますように」
「おとずれますよーに! おやすみなさーい、おとーさま!」
ぶんぶんと手を振るクラウディアの、もう片方の手をしっかりと繋いだ。これは、普段のノアを見習ってのことだ。
扉が閉まり、謁見室を出てすぐの廊下で、カールハインツは迷わず跪いた。
「――お助けいただきありがとうございました。姫殿下。ですが、どうか私めを助けるために、危険を冒すようなことはなさらないで下さい。くれぐれも、御身の安全を最優先にしていただきたく」
「きけん? なにが?」
「分かっていらっしゃるのでしょう。陛下があのような仰りようであったとしても、いつお心変わりがあり、姫殿下に重い処断を下されるとも限りません」
確かにフォルクハルトは、クラウディアのことを珍しがっている。
だが、それはあくまで今だけだ。
国王を恐れない振る舞いも、いずれは興味を引かなくなり、逆鱗に触れる可能性が高い。
だが、カールハインツの心からの心配を、クラウディアは微笑んで片付けた。
「それがなあに?」
「――!」
廊下を先に歩き始めた彼女に、先ほどまでの幼さは無い。
「そんなことよりも、カールハインツ」
立ち上がって彼女の後を追うと、クラウディアは大真面目にこう続けるのだ。
「ノアがずうっと、すねてるの。わたしの考えをはなしたら、それがとってもイヤだったみたい」
「……先ほどの魔力鑑定の際のことですか? 陛下がお持ちの関心を、姫殿下ではなくノアに向けようとなさっていた件で」
「そうよ。ねえ、九さいのおとこのこって、どうすればごきげんが直るの?」
その口振りは、まるで九歳よりも年上の女性が、年下の扱いについて尋ねているかのようだった。
(……一国の王の機嫌よりも、従僕の方が心配でいらっしゃるのか。まったく、掴めないお方だ……)
カールハインツはふっと息を吐き、進言する。
「それでは、私が少し話をしてみましょう」
「カールハインツが? ……むう。たしかにこういうのは、おとこのひとの方がいいのかしら」
「ああ。もちろん、同性という共通点もあるのですが……」
決してそれだけではないのである。ノアが抱いているであろう心情は、自分のことのように想像できた。
(お前の歯痒さは理解できる。……守りたい者が守れない、その悔しさをな)
だから、クラウディアに告げるのだ。
「ご恩をお返ししたく存じます。少しの間、ノアとふたりにしていただければと」
するとクラウディアは、少しだけ首を傾げたのだった。
***
「――あなたに教わりたいとは頼んでません。カールハインツさま」
「ふむ? 随分と強気な発言だな、ノアよ」
その朝、黙々とクラウディアの支度を終えたノアは、どうしてか王城の一角へと呼び出されていた。
そこに行くよう命じたのはクラウディアだが、待っていたのは別の人物だ。
不意をつかれたノアは、そこに立っていた男をじとりと眺める。
訓練着らしきローブを纏ったカールハインツは、いつも下の方で纏めている長い銀髪を、今日は馬の尻尾のように結い上げていた。
そして、こう言い放ったのだ。
『日中のクラウディア姫殿下のお世話については、今日は城の侍女に任せておけ。代わりにお前は、ここで私による戦闘指導を受けろ』
いきなりそんなことを告げられたノアは、勝手に話を進めていくカールハインツに、拒絶の言葉を言い放ったのだった。
(絶対に嫌だ。俺に鍛錬をつけるだって? カールハインツが、なぜ突然そんなことを……)
どう考えても脈絡が無い。第一にノアは、なるべく態度に出さないようにしているものの、このカールハインツという男が好きではなかった。
警戒して身を引くと、カールハインツは平気でこんなことを言う。
「やはりな。以前から分かってはいたが、君は私のことが嫌いだろう」
「……はい。たとえば、真顔でそういう確認をなさるところなどが」
「正の感情表現が乏しい点においては、君も同様だと思うのだが……」
(余計なお世話だ)
ノアはくちびるを曲げるのだが、すぐにはっとして頭を振った。
正の感情も負の感情も、たやすく態度に出してしまうのは、ノアにとっては本意ではない。
(自分の感情を制御するのも、主を守るのには必要なことだ。冷静に、他人への見せ方について常に気を使う……姫さまのように)
ノアは目を瞑り、深呼吸をしたあとで、そうっと瞼を開く。
カールハインツは、そんなノアを観察するように、顎に手を当てて目をすがめた。
「ふむ。年齢は九つだったか? その幼さにもかかわらず、これだけの魔力をよく制御できている」
(……『幼さ』……)
使われた言葉を不本意に思いつつも、改めて告げた。
「あなたの指導は不要です。ご存じかと思いますが、俺は姫さまに教わっているので」
「そうだろうな」
「俺の師はあのお方です。――姫さまからいただいたもの以外は、必要ない」
真っ直ぐな気持ちでそう言い切る。
カールハインツは目をみはったあと、微笑ましいものでも見るかのように表情を和らげた。
「……なにが仰りたいんですか、その顔」
「ふ。いや? なんでもないが」
(くそ。こいつ、普段はなんの面白味もない無表情のくせに……)
「君の思っていそうなことは想像がつく上で、何度も言うが、普段の君も同様のものだぞ」




