30 魔術師の忠心
色濃い殺気が漂い始め、重圧に喉が締め付けられる。それでも、カールハインツはただただ冷静に忠義を示した。
「この魂に誓って、陛下に二心などございません」
「それを判断するのは、お前ではない」
「存じております。……お気に召さぬようであれば、どうぞこの命を」
瞑目し、玉座の前に跪く。首を差し出す体勢は、主君に命を捧げることの表明だ。
(おおむね、予想の範疇内か)
一か月前、クラウディアの姿を目にしたときから、カールハインツは覚悟していた。
子供のころ、飢えて凍えて死にそうだったところを、ひとりの少女に助けられたことがある。
ミルクティー色の髪に、金色の瞳を持った少女は、見習いの歌姫だと名乗って笑っていた。
楽団は貧しく、身寄りのない者たちの集まった場所で、そこにずっと世話になっている訳にはいかない。
雪の止んだ翌朝、楽団と別れたカールハインツは、彼女に恩を返すために必死で努力をし始めた。
あの晩のスープの礼をするには、スープをそのまま返すのでは足りない。
少しの食べ物でもまだ足りない。どのように上等な衣服でさえも、芯の凍るような冬の夜、彼女が半分貸してくれた毛布の温かさには及ばないのだ。
そうして魔術の腕を買われ、国に仕える身になったとき、再び彼女を探しに行った。
けれど、カールハインツがそのとき聞かされたのは、『あの子は先日、遠い国の金持ちに買われていった』という言葉だった。
再び相まみえるどころか、彼女が生きているかも分からない。
そう思い、諦めながら生きていたところに、あの塔でクラウディアを目の当たりにしたのだ。
彼女と同じミルクティー色の髪に、金色の瞳。
微笑んだ表情に、かつての少女の面影を見て、思わず目をみはったほどだ。
王女クラウディアの母親は、歌姫なのだと噂されていたことを、カールハインツはあのとき思い出した。
恩人を救えなかったという動揺のあまり、『他国に連れられて行った』という、そんな説明を鵜呑みにしてしまったのだ。本来ならば、買い上げたのが身分ある人間だったとして、その正体を正直に話しているはずもないのに。
(――それでも、陛下のご命令である以上、姫殿下を『戦力候補』としてお連れせねばならなかった)
クラウディアには魔力があると、フォルクハルトは確信しているようだった。
王子ふたりやエミリア王女のように、大きな魔力があるならば都合がいい。
たとえそれが微量なものでも、正妃イルメラと離縁する口実になればいいと、そのような考えだろう。六年前、クラウディアの追放を看過したときとは、国々を取り巻く状況も違う。
カールハインツはそれに従い、正直にクラウディアを説得した。
結果はみすみすかわされて、クラウディアは城に行くことを拒否したのである。
(当然だ。……六歳の幼子を、いくさの為に呼び寄せるなど、どう考えても間違っている)
あのとき、クラウディアを無理矢理に連れ出していれば、フォルクハルトの不興を買うことも無かっただろう。
それでもカールハインツは、クラウディアを強引に連れて行きたくはなかったのだ。
だからこそフォルクハルトの目を誤魔化し、クラウディアの体調不良だと言い訳をして、一か月ものあいだ押し留めてきた。
その時点から、いずれクラウディアを連れて行けば、自身がフォルクハルトの怒りを買うとも分かり切っていた。
(この行いは、陛下の仰る通り、裏切りだ。この場で処断され、命を落としてもおかしくはない)
そう考えて、目を閉じる。
(だが、それで本望だ。――これで、ようやく守れた)
フォルクハルトの放つ殺気が、次第に研ぎ澄まされてゆく。
「お前は筆頭魔術師だが、私の命令を聞かない存在であれば、強い力を持つ者ほど邪魔になる」
「……仰る通りです。陛下」
「は。弁明すれば、死にざまが無様で苦悶に満ちたものになることが分かっているようだな?」
そんなことはどうでもいい。
だが、それすらも口にしなかった。
フォルクハルトが玉座を立つ。カールハインツは、ますます深くこうべを垂れた。
そのときだ。
「――あ!」
「!?」
その場に不釣り合いな明るい声が、謁見の間へと響き渡る。
「カールハインツ、ここにいたぁ!」
(……まさか。何故こちらに)
彼女の姿を見て、信じがたい気持ちになる。
「もー! いったでしょ? カールハインツ。夜、クラウディアがねんねをする前に、お歌をうたってくれるって!」
両開きの扉を開け放したのは、ほんの小さな少女だった。
ミルクティー色の髪に、金色の瞳。
恩人の面影を持つ少女が、拙い足取りでとことこと歩いてくる。
「クラウディア姫殿下……」
「だからね」
その名を口にしたカールハインツの前で、クラウディアはにこりと微笑んだ。
「カールハインツを返してね。おとーさま」
「…………」




