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27 伝説の魔女の願いごと

「吃驚した?」


 そう尋ねたクラウディアの表情を見て、ノアは押し黙る。


「ねえノア、さっきお父さまが仰っていたわね。明日このお城で、ナイトパーティがあるって」


 クラウディアがあからさまに話を変えたことに、彼は当然気が付いているだろう。

 その上で、追求しても無駄だと悟ったらしい。目を伏せるように俯いて、溜め息をつく。大人の姿をしたノアは、相変わらず睫毛が長いので、呆れたような表情にどこか色気を帯びていた。


「……ナイトパーティ、というのは?」

「子供たちだけで集まって、お菓子とジュースで大騒ぎするの。その日だけは大人がいないから、おやつをいくらでも食べていいし、夜になっても眠らなくていいのよ。楽しそうよね」


 そんなことを言いながら、クラウディアは立ち上がろうとする。先に立ったノアがそれを察して、クラウディアへと手を伸べてくれた。


 大人の姿で向かい合っても、クラウディアの背はノアに追いつかない。

 それどころか、成長したノアは身長がとても高くて、クラウディアがいっぱいに見上げなくてはならないほどだ。


 肩幅も広く、体格は筋肉質でしっかりとしている。その上に、まだどこかしなやかさの感じられる体躯で、もっともっと成長の余地がありそうだった。


「だけど私は、子供だけで集まるナイトパーティより、大人の集まる夜会の方が好き」


 そう言いながら、ノアと手のひらを合わせるようにして指を絡める。


「……大人の姿で忍び込むおつもりですか? 恐らくは、招かれざる客として追い出されますが」

「分かっているわ。本物の大人になるまで、そちらは取っておくつもり」


 そう言ってふわりと微笑みかけると、その笑顔を見たノアが息を呑んだ。

 そしてクラウディアは目を瞑り、小さな声で歌を口ずさむ。


「――――……」


 無意識に選んだその歌は、五百年前の故郷で聴いた、いまでは誰も知らないであろう歌だ。


 この歌の音階は穏やかで、美しいけれど物悲しい。

 そんな古びた歌を歌いながら、ノアと両手を繋いでゆっくりと回る。


 たったそれだけの、ダンスとも呼べないような遊びだ。

 クラウディアがノアの背に片手を回すと、ノアはわずかに気まずそうな顔のあと、クラウディアの腰に触れてきた。


 そうかと思えば意外なことに、クラウディアを力強く引き寄せて、ダンスのための構えを取る。

 クラウディアは、ほんの少しだけ驚いた。


「踊れるの?」

「ほんの少しは」


 さすがはかつての王太子だ。幼い頃から奴隷生活だったはずなのに、その以前に教え込まれていたのだろう。


「……そんなことより、歌の続きを」

(ふふ。ひょっとして、この体勢が照れ臭いのかしら?)


 あまり目を見てくれないのだが、そのことは追求しないでおく。

 花畑の中で歌い始めると、ノアは誘導するように、クラウディアを支えてゆっくりと回った。


 そのままダンスのステップを、ごくごく緩やかに踏んでゆく。想像以上に上手いので、クラウディアは嬉しくなってきた。


 ノアがしっかりと支えてくれるから、久しぶりに取った大人の姿でも問題ない。花びらの混ざった風が吹くと、ノアが編んでくれたクラウディアの髪が、ドレスと一緒にふわりとなびく。


「ノアはなんでも出来るわね。剣も上達したし、魔法もどんどん上手になるわ」

「当たり前でしょう」


 声変わりしたノアの声は、しっかりと低いのによく通る。誠実な想いが込められていることを、明確に相手へと伝えるものだ。


「あなたに教わることは、なんだって覚えるつもりです」


 いつのまにか、逸らされていたはずの視線が重なっている。まっすぐに目を見つめて告げられた言葉に、クラウディアは微笑んだ。


「勉強家で、努力家な従僕ね」

「……それなのに、あなたは俺を捨てると仰る」


 眉根を寄せて、ノアは尋ねてくる。


「俺のことを、いずれ手放すつもりなら、どうしてあのとき従僕になることを許したのですか」

「…………」


 クラウディアは、仕方がない子供をあやすような心境で、緩やかなステップを踏みながら答えた。


「お前のような子は、誰かのために生きるという役割を与えられていなければ、すぐに命を無駄にするからよ」

「――――……」


 ノアが足を止めたのと同時に、クラウディアもダンスの真似事をやめる。


「そういう魔術師を、かつてはたくさん見てきたわ。私の弟子にも大勢いた。戦争で、随分と死なせてしまったけれど……」


 アーデルハイトとして死んだときのことを、少しだけ思い出した所為だろうか。


 前世で抱いた感情が、クラウディアの胸に蘇る。

 それから、もう二度と会うことはない、懐かしい顔ぶれの言葉もだ。


『――アーデルハイトさま。我々の命はこの国と、あなたさまにすべて捧げます』

『偉大なる魔女、アーデルハイト。遺していく者がお前だというのなら、命を賭して戦うことなど、俺たちはなにも恐ろしくない』

(あの人たちとお前とは、間違いなく同じ目をしているもの)


 それを思い出して、寂しい気持ちで微笑んだ。


「お前がどこに行っても、誰からも必要とされるように。私の元で、そう育てていくつもりだったわ」

「……そんなことを、望んではいません」

「お前は強くてやさしい子よ。私の、自慢の従僕」


 クラウディアは、先ほどのようにノアの左胸に手を重ねる。


「だからこそ、私の傍にいるよりも、もっと素晴らしい人生を選ぶべきなの」

「……っ」


 とんっとノアを後ろに押すと、そこから柔らかな光が溢れた。


 数歩ほど後ずさったノアの姿は、九歳の子供に戻っている。ノアは、自分の両手を見下ろしたあと、顔を顰めてクラウディアを見上げた。


「カールハインツを呼んできて」

「……っ」


 クラウディアだけは、魔法で作った大人の姿のままだ。


 ノアではない大人の名前を挙げたのは、酷だっただろう。ノアは何か言おうと口を開いたが、悔しそうに顔を歪め、俯いた。


「……行って参ります」

「お願いね」


 すべての言い分を抑え込んだらしきノアは、クラウディアに背中を向けて歩き始める。


(ごめんなさいノア。だけど、私はお前が可愛いもの)


 クラウディアは、小さな少年のその背中を、花々に満ちた丘の上から見送った。


(どんな場所でも生きていけるようにするのも、明るい未来に送り出すのも、主君であり師である私の役割だわ)




***

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