221 兄弟の
「……お前に、何が分かる……」
酷い苦痛を堪える声で、ジークハルトが小さく紡いだ。
「僕には、ただ、アーデルハイトを欲することしか許されない。……生きていい理由はそれだけだ、他にない……」
「…………」
「愚かな父親の血を引いた罪も、お前から王太子の座を奪ってのうのうと過ごしていた罪も、それから……」
聖堂の赤い絨毯に、ジークハルトの爪が食い込む。
「……アンナを守れなかった罪さえも、償う方法は、何処にもないんだ」
「…………」
独白のように紡がれたそれは、深い自責に満ちていた。
(あの夢の中のジークハルトこそが、やっぱりこの子の本質なのだわ)
六年前に魔法学院で出会ったときも、『ルーカス』と偽名を名乗って過ごすジークハルトは、太陽のように笑う青年だった。
「ノア」
「……承知しております」
剣を握ったままのノアが、ジークハルトの前に踏み出す。
恐らくいまのジークハルトにも、抵抗する力は残っているはずだ。それなのに、彼に動くような気配はない。
「そうだな。いっそ、もう、殺してくれればいい」
「…………」
「アーデルハイトへの渇望を植え付けられた体で、生き続けるのはあまりにも無為だ」
ゆっくりと顔を上げたジークハルトは、ノアを見上げて諦観の笑みを浮かべる。
「このまま死ぬまで苦痛に苛まれ、生き方を選べないのなら、ここでお前が終わらせてくれ」
「――――……」
クラウディアの脳裏に重なったのは、十年前に出会ったノアのことだ。
ノア自身も、かつてを思い出しただろうか。その双眸に宿るのは、かすかな憤りの色に見えた。
「本当に、愚かだな」
「……なに?」
ノアが腹立たしく思っているのは、目の前のジークハルトだろうか。
あるいは、幼い日の自分なのかもしれない。クラウディアがそんな風に想像したのは、ノアがこうして紡ぐ言葉が、かつてのクラウディアそっくりだからだ。
「潔く、終わらせ方を選んだ気にでもなっているのか?」
「……レオンハルト」
「どうせ、選ぶのなら……」
金色に輝くその剣を、ノアは静かに振り上げる。
「そんなつまらないものではなく、生きる方法を選んでみせろ」
「……っ!!」
そうして、その剣をジークハルトの左胸に、迷いのない強さで突き立てた。
禍々しい黒い雷が、その剣を中心に迸る。けれども直後、刃を通してジークハルトの左胸に伝った金色の光が、その闇を凌駕するように輝いた。
「この剣……ライナルトの、呪いが」
「――――……」
目を見開いたジークハルトの眼前で、ノアはゆっくりと目を閉じる。
くちびるを淡く開くと、短く息を吸い込んで、ごく短い詠唱を口にした。
「――――『破却』」
「…………っ!!」
見届けるクラウディアの目の前で、強い光が満ちてゆく。
辺りに咲き乱れた黒百合が、嵐の森のようにざわめいた。目を開けていられないほどの風が吹き、クラウディアの赤いドレスの裾や、ノアの軍服をはためかせる。
けれどもやがて聖堂は、光と静寂に包まれた。
「……ジークハルト」
「…………」
ノアが突き立てていた光の剣が、ゆっくりと消えてゆく。
花びらが剥がれおちるかのように、少しずつ崩れてゆく剣は、ジークハルトに傷ひとつ残していない。
「俺が負うべき運命を、お前に負わせた」
「……レオン、ハルト」
「そのことを、贖えるとは思っていない」
ノアの言葉を聞きながら、クラウディアは緩やかに目を眇めた。
「ノア。お前が私の傍にいることを、お前自身の罪のように言うものではないわ」
こちらに背中を向けたままのノアに、クラウディアはこう続ける。
「母さまが、私のためにお前を選んだ。元はと言えばお前やジークハルトを巻き込んだのも、ライナルトを遺してきた私の不始末だわ」
「――姫さま」
はっきりと通る声でクラウディアを呼んで、ノアが静かに振り返った。
「これは、俺が選んだ生き方です。始まりがどのような思惑であろうと、確かに望んでここにいる」
「……ノア」
「それでもこの日々が始まるまでは、のたうち回るような苦しみの中で、どうにか死に方を探していた。だからこそ……」
ノアが再びジークハルトを見下ろして、こう続ける。
「死なんか選ぶものじゃない」
ジークハルトの首筋から、黒い蛇のような紋様は消えている。
「少なくとも、お前についていた首輪と鎖は、俺が断ち切って捨ててやった」
「……っ、はは」
自嘲の混じったような笑い声が、ジークハルトから弱々しく紡がれる。
「お前が、僕よりひとつ年上だということを、思い出した」
「…………」
「父上たちがいがみあった兄弟でなければ、それこそ僕たちも兄弟のように、育っていたのかもしれないんだな。……アンナも、共に」
ジークハルトの体から、力が抜けるのが分かった。
「……アンナ。僕は……」
「!」
どさりと重い音を立てて、ジークハルトが聖堂の床に倒れ込む。




