215 口付け
【第5部5章】
「っ、ん……」
交わされた深いキスを通して、ノアの魔力が注がれてくる。
(……キスをする度に、温かな力で満たされるかのよう……)
これは、クラウディアを癒すための口付けなのだ。
けれどもノアの大きな手は、クラウディアの後ろ頭を引き寄せて、それだけとは言い難いキスを重ねてくる。
「……姫さま」
息継ぎの合間に呼ぶ声は、ずっとこの世界でクラウディアを待っていたであろうノアの、言い知れない感情を滲ませていた。
「ええ。お前の姫さまよ」
ノアの頭を撫でてやりながらも、目覚めたばかりの体を覆う感覚が、夢に比べて違和感が無いことを確かめる。
十三歳で眠りに就いたクラウディアの体は、いつのまにか魔法で作った姿やあの夢と同じ、十六歳のそれに成長していた。
仮死のあいだ、身体的な変化は訪れないはずなのだが、目覚めと同時に成長したのだろうか。
それを不思議に思いながらも、いまのノアにそれを尋ねるよりは、いくらでも褒めてあげたかった。
「長い間ちゃんとお留守番が出来て、良い子だったわね」
忠義に報いる方法を、その黒髪に触れつつ探ってゆく。
「私も早く、お前に会いたかったわ」
「……ずっと」
「んん……っ」
クラウディアにキスを重ねながら、掠れた声でノアが囁いた。
「あなたのことを、お待ち申し上げておりました」
「……ノア」
触れるだけのキスをひとつ落として、黒曜石の瞳がクラウディアを見詰める。
「俺は、何年ものあいだ」
今度はくちびるではなくて、クラウディアの手首にキスをされた。
そのやり方は、魔力を注ぐことが目的ではない。他に理由のある口付けだと明白な行いのあとに、真摯な声音が紡ぐ。
「こうして、あなたに触れたくてたまらなかった」
「…………っ」
左胸が、きゅうっと淡く締め付けられた。
(……可愛い子)
クラウディアはノアを抱き締め返し、その額に自身の額を擦り寄せる。
お互いの前髪がくしゃりと擦れるのを聞きながら、ノアの鼻の頭にキスを落とした。
「ノア」
「……お声をもっと、聞かせてください」
ノアからのおねだりは珍しい。
それだけさびしい思いをさせたのだと、大切な子犬を甘やかすような心境で繰り返す。
「良い子。……良い子だったわね、ノア」
「もっとです」
ひょっとしたら、少し拗ねさせてしまっただろうか。以前なら言わなかったであろう我が儘を、ノアがはっきりと口にする。
「まだ、あなたが足りません」
「ふふっ」
愛らしさにくすくすと笑いながら、クラウディアは頬を綻ばせた。
その上で、ノアの耳元にくちびるを寄せる。
「――――私のノア」
「……っ」
その耳殻に、吐息と合わせて触れさせた。
「……ほら、分かる?」
クラウディアは、ノアの左胸に手のひらを添える。
随分と早いその鼓動を確かめて、問い掛けを重ねた。
「私の魔力が、お前の中に溶け込んでいたように。――お前の魔力も私と共に、ずっと私の中に居てくれたの」
「……姫さま」
「お前にそれを、返してあげる。だから」
もう片方の手でノアのおとがいに触れ、改めてクラウディアの方を向かせる。
「私にも、もっとちょうだい」
「――――っ」
クラウディアの向けた命令にも、ノアはきちんと答えてくれた。
やさしい口付けをされる度、魔力が流れ込んでくるのが分かる。それと同じく、魔力以外の温かな感情もだ。
(それから……)
離れていたあいだの出来事が、クラウディアの中にどんどん浮かんできた。
(ノアの中にあった私の魔力が、ノアに起きた出来事を記録していたのだわ。それが、私の中に戻ってきている……)
目を瞑り、脳裏にノアが見てきた景色を映して、クラウディアはキスを受け入れる。
(私が眠ってから、すでに三年が経ったのね。そのあいだに、ノアはこの国の次期筆頭魔術師と呼ばれる立場になり、ずっと私を目覚めさせる手段を探していた)
恐らくはクラウディアの見た夢も、ノアに流れているだろう。
その証拠に、ノアはくちびるを少し離して、ばつの悪そうな声でこう言った。
「……あなたの中に流れていた、俺の魔力が……」
「んん……。レオンハルト、のこと?」
ノアの首に腕を回したクラウディアは、そのままの姿勢で首を傾げる。
「申し訳ございません。随分と、あなたに不敬を働いたようです」
「あら。あの子も可愛いお前だもの、不敬だなんて思わないわ」
夢の中で約束した通り、置いて来ずに済んだようで安堵する。クラウディアはくすくす笑いながら、こんなことを言ってみた。
「大丈夫よ。お風呂の見張りだって、紳士だったし……」
「…………それについては、保証しかねます」
「あら、そうなの?」
揶揄うつもりで口にしたのだが、思わぬ答えが返ってくる。
「俺は所詮、十年前に大人の姿のあなたを初めて拝見したときから、視線を逸らせなかった身の上なので」
「……ふうん?」
「……っ」
ノアの顔を覗き込もうとしたところ、誤魔化すようにまたキスをされた。
「……そのようなことよりも」
「……ん……」
少しだけ眉根を寄せたノアが、小さな声でこう呟く。
「あなたのお考えは、外れていません」
戯れのようなこれまでの空気が、地響きのような音と共に変化する。
「……レミルシア国の筆頭魔術師は、初代国王ライナルトです。死後の魂が、その執着で現世に残っている」
「――――……」
「ですが、それだけではない」
恐らくは『レオンハルト』の見た光景が、ノアの中に映し出されているのだ。
「我々の敵は、ライナルトやジークハルトだけではなく――……」
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