204 悲願
【第5部4章】
レミルシア国新王となったジークハルトは、切り立った山の崖の淵から、結界に包まれた敵国を見下ろしていた。
「ジークハルトさま。たったいま、アビアノイア国突入のための準備が整いました」
「――ああ」
その壮麗な王都の様子は、遥か遠くからも窺える。
煉瓦と石造りの街並みは、整然としながらも煌びやかさがあり、細部までが彫刻のように整えられていた。
(こうして見るほどに、美しい国だな)
それでいて、国防のための魔力効率を最大限に上げるべく、計算し尽くされているのが見て取れる。
父の死から三年の喪に服してきたジークハルトにとって、自国の外の景色を見るのは、実に三年ぶりのことだった。
そうした理由による物珍しさを考慮せずとも、アビアノイア国の光景には、王として学ぶところが数多くある。
(王都全体が魔法陣となって、結界の強度を補っている。そうした都市は珍しくないが、ここまでの効率的に作り上げられている例は、世界中でも類を見ないだろう)
もうじき沈む太陽が、その街を金色に照らしていた。
街の中央に聳え立つ白亜の城は、更に結界の重ねられた、この国の心臓と言える場所だ。
(あの城に、アーデルハイトが眠っている)
自らの左胸をぐっと押さえ、ジークハルトは呟いた。
「もうじきに、手に入れる。アーデルハイト」
ジークハルトの脳裏には、あの日の光景が焼き付いて離れない。
混乱に陥った自国の城で、壊れた父の叫び声を聞きながら、城の屋上庭園を見上げた。
『あれは…………』
そこに立っていた美しい女性を、ずっと求め続けているのである。
(僕の魔女だ)
頭の奥が痛むのを感じて、ジークハルトは顔を顰めた。
(……アーデルハイトの生まれ変わり。僕が手に入れる、そうでなければ……)
「――ジークハルト」
「!」
明るい声音で呼び掛けられて、ジークハルトは振り返る。
そこには、ローブ姿に身を包んだ筆頭魔術師が、いつもの笑顔で立っていた。
「ようやく俺たちの念願が叶って、開戦の準備が整ったというのに。一体何を見ているんだ?」
「……僕は」
「よもやとは思うが、お前」
筆頭魔術師は首を傾げ、にこやかなままでこう続ける。
「戦争を、躊躇している訳ではないだろう?」
「…………」
頭の奥が、ひどく痛い。
「……当然だ。アーデルハイトを手に入れることは、幼い頃からの悲願……」
「その通り。さあ、それでは行こう」
ジークハルトの袖を引き、筆頭魔術師が笑う。
「お前の一言で、戦争は始まる。願いが叶うぞ、よかったな?」
「…………すべての兵に、改めて告げてくれ」
軍服の左胸を握り締め、ジークハルトは言葉を紡いだ。
「アビアノイア国の民はもちろん、たとえ王族であろうとも、争う意思のないものを傷付けるな。僕たちの望みはただひとつで、他に目をくれている暇はない」
「……ああ、もちろん!」
筆頭魔術師は両手を広げ、頼もしい力強さで頷いて言う。
「ジークハルト、お前の言う通りだ。我がレミルシア国の目的はアーデルハイトだけ。アーデルハイトさえ手に入れば、それでいい」
「……そうだ。目的は、アーデルハイトだけ」
そう口にしながらも、多くの矛盾があることに、ジークハルトは気が付いていた。
(……これは戦争だぞ。ひとりの女性を手に入れるだけでは終わらない、世界に与える影響が大きすぎる。アビアノイア国への処遇の考慮、各国との同盟の変化、他にも考慮するべき点があると……分かっている、それなのに)
それらの思惑をすべて押し殺し、ジークハルトは繰り返した。
「アーデルハイトを、手に入れる。なんとしても、何があっても……」
筆頭魔術師は微笑んで、ジークハルトに確認を向ける。
「ジークハルト! いまのお前は、世界で最も強い魔術師に等しい。もちろんアビアノイアの連中も、健気に守りを固めているようではあるがな。こうしている間にも……」
魔術師はその細い指が輪を作ると、そこから王都を覗き込んだ。
「あちらの筆頭魔術師カールハインツが、市中に軍勢を配置しているらしい。あの結界も厄介だ、歴史上でも類を見ないほどに強固だな!」
「……問題ないさ、偵察隊が持ち帰った分析結果には覚えがある。ラーシュノイル魔法学院の結界にも使われていた、クリンゲイト王太子の結界だ」
ジークハルトは六年前まで、その結界の中にある学院で暮らしていた。魔術構成の癖も、どういった点が脆いのかも、おおよそ見当がついている。
筆頭魔術師は口の端を上げ、まるで教え子に試験問題を出すかのような素振りで、ジークハルトに問い掛けを向けた。
「結界の内側の光景も、映像魔法で偽装しているらしい。敵がどの地点を防衛しているかが実に見えにくいぞ、どうする?」
「アビアノイアの兵たちは、ほとんどが強力な魔術師だ。今の僕なら、強い魔力反応が結界のどの位置に固まっているか、問題なく読み取れる」
正解の答えを述べながら、ジークハルトは目を細める。
「……アーデルハイトが、眠る場所も。レオンハルトの居場所もだ」
「ははっ」
王城を見据えるジークハルトに、筆頭魔術師が嬉しそうな声を上げた。
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