201 追っ手
「――――……」
クラウディアが出会ったノアは、奴隷契約の呪いを与えられていた。
そして元の世界のノアはいまも、その呪いが解けた訳ではない。クラウディアが、それよりも強い眷属契約を施すことで、強制的に上書きしたに過ぎないのだ。
(そうしなければ、ノアは死んでいた。そしてその後、私がノアに掛けた眷属契約は、いまも解除されていない)
そうすることを、ノア自身が望んだからだ。
「あなたの叔父さまから逃げ出したり、逆らったりすれば……苦しんで死ぬ呪いが、ここにあったはず」
レオンハルトの背中を辿り、心臓があるはずの部分に手のひらを重ねる。
「ねえ? レオンハルト」
「…………」
「……ごめんなさい」
クラウディアは少しだけ微笑み、彼からゆっくりと手を離した。
「そんなこと、答えられないわよね」
そう告げて、レオンハルトに告げる。
「タオルを取ってくれるかしら。この世界では自分で体を拭かなくてはいけないから、面倒だわ」
「……まさか、『俺』にそんなことまでさせていたのか?」
「ふふ。ひみつ」
レオンハルトは舌打ちをしたあと、クラウディアにタオルを投げてきた。ふわふわのそれを受け取って、顔を埋める。
そしてドレスを身につける途中で、不意にあることへと気が付いた。
(……くちびるに、熱を感じる)
それは、この世界で目覚めた棺の中でも覚えた感覚だ。
(まるで、口紅でも塗ったみたいに。真っ赤で、血のような……)
髪から伝ったその雫が、首筋から鎖骨までを流れてゆく。自身で触れたくちびるに、微かな力が宿るのを感じた。
(――――これは、ノアの魔力)
クラウディアは、くちびるの表面を一度だけ指でなぞり、目を閉じる。
(元の世界で、何かが起こっている。変化の鍵となっているのは、あの子の……)
そしてゆっくりと目を開くと、クラウディアは再び彼へと手を伸ばした。
「レオンハルト」
「今度は、何を……」
その瞬間、黒曜石の双眸が見開かれる。
「!!」
レオンハルトの手の甲に、クラウディアが口付けを落としたからだ。
直後に彼は顔を歪め、そのまま床に膝をついた。肌を通した魔力干渉が、問題なく成功したのだろう。
「お前、魔法が……」
「ごめんね。レオンハルト」
魔法が少しでも使えるのであれば、『ノア』の魔力を乱すことなど造作もない。
クラウディアは、黒いナイトドレスの肩紐を指で直しながら、レオンハルトの傍に屈み込んだ。
「あなたの魔力を、少し借りるわ」
「…………っ」
レオンハルトの動きを封じた上で、その力を逆手に取る。
「待て!」
「ええ、待っているわ。……後でおいでなさい、レオンハルト」
「……く……」
そうしてクラウディアの発動させた転移魔法は、強い光を放つのだった。
***
『――レオンハルト』
クラウディアの父王に跪き、深く頭を下げた姿勢のノアは、もうじきに自身の過去を語り終えるところである。
『お前は死ぬまで私のもとで、父親の罪を償うことになる』
耳汚しな過去を紡ぐために、ノアたちはクラウディアの眠る聖堂ではなく、玉座の間へと場所を移していた。
国王フォルクハルトはノアを見下ろして、先ほどから黙りこくっている。玉座に座るフォルクハルトに向けて、ノアは事実を話し続けた。
「こうして我が叔父は、自身の兄へのすべての憎悪を、私に注いで過ごすようになりました」
「…………」
ノアの父が、幼い頃から弟を苦しめてきたこと。
やがてその男が、自らを虐げてきた兄を殺し、レミルシア国の王になったということ。
『逆らうことは許さない。妹のアンナを殺されたくなければな』
ノアは生かされ、生まれたばかりの妹を守ることと引き換えに、叔父の鬱憤を晴らすための奴隷に成り下がった。
『万が一にでも逃げ出してみろ。お前の心臓に打ち付けられたその楔が、お前を苦しめて死なせるだろう……!』
意外なことにフォルクハルトは、要所をかい摘むのではなく、これまでのすべてを話すように命じた。
そのためノアは、クラウディアに関わる点だけを告白するのではなく、順を追って説明を紡いできたのである。
「私の母に似ていた妹は、叔父の娘として育てられていたようです。ですが、あの日……」
叔父ではなく牢獄の看守たちによって、『目付きが気に入らない』という理由で殴られていたノアは、彼らの口走った言葉を耳にしたのだ。
『病で命を落とすのであれば、この国の宝石たるアンナマリーさまでなく、汚い奴隷のお前が死ねばよかったものを……!』
『――――……!』
ノアはあの時、大きく双眸を見開いた。
「私には、嬲られながらの死を待つ理由すら無くなりました。――それを知った瞬間、無我夢中で空に手を伸ばし、訳も分からずに魔法を発動させたのです」
「……それが、転移魔法だったと」
「いま思えば、それこそが異常でした」
クラウディアの物になった従僕のノアに、過去を振り返る必要もない。
そう思って生きてきた。その思いは今も揺るぎないが、やはりそこにはどうしても、不自然な穴が空いているのだ。
「幼児期から牢で生きてきた私が、転移魔法の使い方などを知っていたはずも無く……」
それなのにノアは、あの森に転移したのだ。
その奇妙さを、これまで疑問に思うことが出来なかった。何かの魔法で妨害されていたとして、その周到さが忌々しい。
「私がこの国に逃げ込んで、のたうち回り始めた少し後に、クラウディア姫殿下が『前世』の記憶を取り戻されました」
そうして森を歩き始めたクラウディアが、ノアを見付けたのである。
重ね重ね、偶然と呼ぶには不可思議なものが重なって、ノアはクラウディアと共に居るのだ。
「ドロテアさまの仰っていた、『追っ手が結界に干渉したのをきっかけに魔法が解ける』というお言葉。その者の名が、『レオンハルト』であること――」
ゆっくりと目を閉じて、フォルクハルトに進言する。
「ドロテアさまの名指された追っ手とは、私と見て間違いありません」
「…………」
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