200 母の思惑
そんな言葉を向けたのは、レオンハルトの反応が知りたかったからだ。
(レオンハルトの過去について尋ねると、見せていた反応。引っ掛かってはいたけれど、ひょっとしたら……)
組んだ腕の上に顎を乗せて、クラウディアはついたての向こう側に尋ねる。
「もっと聞きたい?」
「……聞いたところで、なんになる」
随分と、苦々しい声を発するものだった。
「どうせもう、残っていない。それなら何も意味がない」
「けれど、何かの希望にはなり得るわ」
クラウディアが何を察したのか、レオンハルトも悟ったのかもしれない。低かった声音が、ますます険を帯びてゆく。
「……アーデルハイト」
「その名前で呼んでも、お返事してあげない」
クラウディアはそれを気に留めず、いつもの調子で笑いながら返した。
「いまの私は、アーデルハイトではないもの。私があなたをノアと呼んだって、お返事してくれないのと同じよ」
「……ノアというのはやはり、お前の世界における俺の名か」
「私が名付けたの。安息という意味を込めた、可愛い名」
思えばクラウディアという名前にも、何かの意味が込められているのだろうか。
(そういえば、前世の私の故国では……)
そんなことを不意に考えながらも、湯船の外に並べられた瓶へと手を伸ばした。
「あなたの願いはなあに? レオンハルト」
「…………」
「素直に話せたら、私が叶えてあげるかもしれないわよ」
瓶から手のひらに垂らした石鹸を、両手に馴染ませて泡立てる。
「教えてくれないなら……」
上手に作ることが出来たもこもこの泡を、ふうっと吹いて飛ばしてみた。
「ここから本気で逃げ出して、あなたから隠れるかもしれないわね」
「無駄だ」
断定の言葉は、挑発に乗ったゆえのものではない。
レオンハルトは事実を淡々と述べているらしく、こう言い切った。
「アーデルハイトの魔力を追えば、お前が何処にいるのかすぐ分かる。そうやって、魔力を封じ込めていてもな」
「……あら」
レオンハルトの言う通り、クラウディアの魔力は封じられている。
ジークハルトの語るところによれば、それはクラウディアの母ドロテアによるもので、仮死状態を伴うものだそうだ。
(それについても、奇妙な点があるわ)
手の中の泡で遊びながらも、クラウディアは考える。
(この世界において、アーデルハイトの生まれ変わりたる私の存在は、秘匿されていなかったもの。私を隠すために魔力を封じたというのなら、最初からアーデルハイトの存在なんて明かすべきではないのに)
もちろん『夢』であるこの世界が、どれほど論理的に進んでいるのかは分からない。
本物の夢と同じように、支離滅裂な脈絡に沿っている可能性もある。しかしどうにもクラウディアには、そんな風には思えなかった。
(レオンハルトの侵略が成功し、アビアノイア国が敗れた段階になって、ようやく母さまの魔法が発動している……)
レオンハルトが知っていそうなことを、クラウディアは試しに尋ねてみる。
「この世界の私は、生まれつき魔法を使えなかったのかしら」
「……周知の事実だろう。十年ほど前までは、本当にお前がアーデルハイトの生まれ変わりかと疑う声もあったはずだ」
(それなら、この世界の私が仮死に陥った理由は、魔力を封じるためではない)
そうなると、そもそも母が掛けた魔法に、どんな意味があったのかが曖昧になる。
(アーデルハイトの名を喧伝されていた以上、私の存在を隠してはいなかった。必然的に、私の魔力が封じられているのは、レオンハルトから隠れるためではない――それなのに、レオンハルトに捕らえられた私を仮死に陥らせてまで、何らかのことを試みている)
母は一体なにを恐れ、クラウディアをどのように守ろうとしたのだろうか。
(……得たばかりの情報に気を取られては駄目。だってここは、母さまが『失敗』している世界の可能性もあるのだもの)
いつまでも湯殿で考え込んでいるクラウディアに、レオンハルトがこう言った。
「どれほど思考を巡らせても、お前が俺から逃げ切る方法はない」
「……アーデルハイトの魔力は、たとえ封印されていても、あなたにとっての目印になる……」
「上から布を被せようと、浮き出る形は変わらない」
それによく似た例え話を、何処かで聞いたことがある。
「丸い林檎と、欠けた林檎……」
元の世界のクラウディアと、この世界にいるクラウディアの違いは、一体なんだろうか。
(母さまの行動。選択。それゆえにアーデルハイトの生まれ変わりとして育ち、魔法が使えず、侵略されてレオンハルトの手中に落ちた……)
だが、それだけではない。
(……私のノア)
ざばっと盛大な水音を立てて、クラウディアは湯殿から立ち上がった。
「……っ、おい。出るなら一言声を掛けろ……!」
「レオンハルト」
布の一枚も纏っていないクラウディアの肌を、雫が滑る。
クラウディアは濡れた手を伸ばし、レオンハルトが見せている背中へ、彼の服越しにぴたりと触れた。
「あなたが叔父に掛けられた呪いを解いたのは、一体誰?」




