197 レオンハルト
そしてドロテアは、フォルクハルトの三番目の妃として、城に滞在することとなった。
ドロテアから聞かされた出自を、馬鹿正直に公表する訳にもいかない。
そのため、ひとつの筋書きが必要となった。『流れてきた歌姫をフォルクハルトが気に入って、孤児の出でありながら、妃に迎えた』というものだ。
『……予想通り、正妃が取り乱して面倒なことになった。せめてお前が貴族の名でも騙れば、振る舞いはまだマシになるはずだが』
『いいえ。イルメラさまのお心を乱してしまったのは、本当に申し訳ないけれど……』
ドロテアは、妃になった後も豪勢な暮らしは望まず、王都から離れた森に住まいを欲しがった。
魔術師たちに作らせている最中の塔で、窓枠のふちに腰掛けて、彼女は自身の腹を撫でる。
『ありふれた作り話にするべきだわ。私の居場所を知られると、この子が見付かりやすくなる』
『……』
ドロテアは、ずっと追われているのだと話していた。
アーデルハイトの生まれ変わりとやらを狙う存在は、これまでも執拗にドロテアを探り、手に入れようとしていたらしい。
そのためドロテアは、幼い頃から自分の魔力を隠し、孤児として生きてきたのだそうだ。
同じ孤児だった少年に兄を名乗られ、自身の歌って得た食料を奪われても、存在しないはずの『兄』すら隠れ蓑のひとつとして利用したという。
『よくもまあ、そうして逃げ隠れることだけに力を注いで来られたものだ』
『ふふ。だって、計算した上で理解しているもの。私がそうしなくては、失敗するということを』
だが、ドロテアはその計算とやらの詳細を、さほど語ろうとはしない。
『色んな道を模索してきたの。……たとえば私が公に正体を明かし、「アーデルハイト」を産む女だと喧伝した上で、あの子を産む世界。一方で産み落とすそのときまで沈黙し、あの子の瞳の色を証として、アーデルハイトの生まれ変わりだと知らしめる世界……』
『……?』
『もっとも勝算が高そうだったのは、そのどちらでもない。――この子が生まれたとしても、世界にはそのことを隠し続けるという、そんな世界よ』
ドロテアは、まだ平たい腹部に手を当てたまま、こう口にした。
『私の存在が「あの男」に見付かれば、アーデルハイトも見付かってしまうと結論が出ているの。少しでも出来ることがあるとすれば、アーデルハイトが成長して自分の身を守れるようになるまで、隠し続けること』
フォルクハルトからしてみれば、その結論も早計だという印象にしかならない。
『隠れることに、意味があるとは思えないが』
『……』
それ以上の追求をしなかったのは、ドロテアがフォルクハルトには及ばない切実さで、何度も『計算』を重ねてきたことを察していたからだ。
『この子が生まれてくる前に、あなたにもこの子にも魔法を掛けるわ』
ドロテアはその横髪を耳に掛け、フォルクハルトに微笑みかけた。
『あなたが当面の間、この子に関心を持たないよう。そうすることで、あの男の視線を集めないようにするの』
『おかしなことを言う。娘を守らせたいがために、強力な魔術師を父親として選んだのではないのか』
『それはアーデルハイトが成長して、自分でも身を守れるようになってから。魔法を制御できない赤ちゃんのうちは、あなたに守ってもらって目立つよりも、忘れられて隠れていた方がいい』
どうやらドロテアの言い分では、フォルクハルトが追っ手に負け、娘を奪われるという計算らしい。
『アーデルハイトにも、すぐには自分の前世を思い出さないように、魔法を掛けるわ』
(……この女)
ドロテアがさびしそうに目を伏せた瞬間、フォルクハルトはあることを察した。
(娘を産んだあと、そう時間を置かずに、死ぬつもりか)
そのことを指摘しようとして、口を噤む。
ドロテアがここに存在するのは、アーデルハイトの生まれ変わりを産むという、その一点だけが理由なのだ。
彼女は他に目的を持たない。そうであれば、フォルクハルトが何かを言うのは的外れだった。
何しろこれは、互いに利益があるからこそ成立した、紛うことなき契約婚なのだ。
『魔法が解けるきっかけは、追っ手の魔力を鍵にするわ。――追っ手がこの国の結界に干渉したとき、アーデルハイトは自分の前世を思い出す』
『…………』
『それと同時に、フォルクハルト。あなたにも、それまでは記憶の隅に追い遣っていたアーデルハイトのことを思い出して、迎えに行くように仕掛けておくわね?』
その上で仕上げだとでも言うように、ドロテアは微笑んだ。
『私のことは、忘れたままでいいわよ』
『…………』
フォルクハルトは舌打ちをし、ドロテアにこう告げた。
『好きにすればいい。だが、その前に名を考えろ』
『……なまえ?』
『私たちの娘に付ける、今世の名だ』
ドロテアが、オパールの色をした双眸を丸くする。
『この子の、名前……』
『アーデルハイトの生まれ変わりであることを隠すべき存在に、それと同じ名を付ける愚者はいないだろう』
『でも、私が名付けるだなんて』
ドロテアはゆっくりと俯いて、小さな声でこう言った。
『……私はずっと、この子のひどい母親なのに……?』
『…………』
フォルクハルトがその発言を肯定することも、ましてや否定することもない。
『それに答える資格を持つ人間は、未だこの世界に生まれてはいないな』
『…………っ』
やがてドロテアは恐る恐る、口にした。
『……クラウディア』
『……ほう』
フォルクハルトは、その名をしっかりと記憶してやる。
『私の故国では、欠けているという意味を持つ名前よ』
『……その名を与えて、どうするつもりだ?』
『クラウディアが、アーデルハイトのままでなければ。……アーデルハイトが丸い林檎だとして、齧られて欠けた形の「クラウディア」になれば、少しでも長く隠れられるかもしれないもの』
フォルクハルトは改めて、その切実さに息を吐いた。
『何度も言うが。「隠す」ことに、それほどの意味があるとは思えない』
『分かっているわ。だけど、他に方法が――――……』
次の瞬間ドロテアは、何かを思い付いたかのように目をみはった。
『……そうだわ』
『ドロテア?』
『どうして気付かなかったのかしら……。アーデルハイトではなく、欠けている王女であれば、逃れられるかもしれない』
そしてドロテアは目を閉じると、もうひとつの名を呟いたのだ。
『この子を手に入れようと狙う追っ手、レオンハルトから――――……』
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