196 母親
【第5部3章】
十七年前、フォルクハルトの前に現れたその女は、薄絹を幾重にも重ねたドレスに身を包んでいた。
『お歌はいかが? 国王陛下』
『…………』
あれはちょうど、祭典の行われていた時分だ。
国のあちこちがその飾りに彩られ、国外からも多くの旅人が訪れていた頃合いである。フォルクハルトは、率直につまらないものを見るまなざしを、女に向けた。
それは、美しい女だった。
顔の造形が整っているだけでなく、長く伸ばした薄茶の髪は、よく手入れされている。
外見の年齢は、その時点で十九歳だったフォルクハルトとそう変わらない。後で分かったことではあるが、実際に僅か一歳ほど、その女の方が年若かったようだ。
姿勢も良く、白い肌を持ち、人好きのする微笑みを浮かべた女である。フォルクハルトは、彼女の方を淡々と見据えていた。
『……いらない』
『まあ! とっても残念だわ。幼い頃から歌ってきた身として、それなりに自信があるのだけれど』
『そんなことよりも』
王城の最上階にある自室のバルコニーで、フォルクハルトは女を指差した。
『誰の許可を得、どのような方法で、私の部屋に立ち入っている?』
『……ふふっ』
バルコニーの手摺りに腰を下ろし、遥か下に待ち構える城下の景色を背にした女は、何故か嬉しそうに笑ったのだ。
『ドロテアよ。私、この国に久し振りに帰ってきたの』
『そのようなことは尋ねていない。そうした口の利き方を、許してやった覚えもない』
とはいえ、この女がどのような言葉遣いをしていようと、それは些事だ。
『お前、瞳の色を偽装しているな。その淡い瞳は偽りであり、それなりの魔力を持った人間……すなわち、この国にとっての脅威だと判断するが?』
『まあ。瞳が偽物だと気付いた人は、あなたが初めてだわ!』
会話がまったく噛み合わない。素直に驚いてみせる女の表情は、無邪気な幼子のようだ。
だが、あまりにも堂々としたその様子に、フォルクハルトは却って馬鹿馬鹿しくなった。
『歌ならば間に合っている。……妃や愛人もな』
『そういう嘘は、いけないわね』
不要だとこうして告げているのに、女は手摺りからするりと降りて、いとも容易くバルコニーに立った。
『だって、あなたには必要なはずだもの。強い魔力を持ち、圧倒的な武力を誇る、そんな人材が』
『…………』
『休戦状態とはいえ、この国は依然として戦争中に変わりない。筆頭魔術師を王都に置かず、抑止力として、国境付近に配置しなければいけない状況よね? 兵力はまだまだ、補充したいはず』
にこにこ笑う女の振る舞いは、依然として幼い子供じみている。
『そして、それが自分の実子であれば、それが最善だとも考えている。そうでしょう?』
天真爛漫に見える笑顔も、無遠慮に近付いてくる警戒心の無さも、男を誘っている色気とは程遠いものだ。
『そうなれば……』
だが、フォルクハルトは眉根を寄せた。
『あなたが苦心して戦争から守り抜いた、大事な国の安寧が続くもの』
『――――……』
女の見せる底知れなさが、ふとした折に、彼女を妖艶な魔女のように見せるのだ。
『意外と国を大切に思っているのよね? 臣下も、国民も……その気持ち、よく分かるわ』
彼女が首を傾げると、その長い髪がさらさらと揺れる。
『私も、滅んでしまった自国の民が、とっても愛おしくて大切だった』
『…………』
その言葉に、ひとつの違和感を覚えた。
『ああ、でも! あなたが同じ王族である妃や子供たちに冷たいのは、よくないと思うわ? 一方で、優秀な人間であれば孤児でも出世させるのは素晴らしいところね。……あの子を筆頭魔術師にするなんて、とっても見る目があると思うの』
女はどうやら、筆頭魔術師のカールハインツについてまでよく調べている。
『お前、何が目的だ』
『ふふ』
女は笑い、自らの腹部にそっと手を置いてこう言った。
『私は、アーデルハイトの生まれ変わりを産みたいの』
『……五百年前に死んだ、「魔女」の話か?』
詳しく聞くほどにますます奇怪で、意味の分からないことを話す。
だが、女は何故か嬉しそうに目を眇めた。
『やっぱり! あなたなら、すぐに理解してくれると思ったわ!』
『理解などしていない。戯れ言に付き合うつもりはないぞ』
『私が未来で産む子供は、アーデルハイトの生まれ変わりたる魂を持つ女の子よ。――そんな風に、決められているの』
先ほどまで淡い金色をしていた女の双眸が、瞬きの後で色を変える。
女は、光の加減によって何色にでも見えるような、オパールを思わせる瞳を持っていた。
『私はこの子を必ず産んで、健やかに成長させてあげたい。そのためには、安全な揺り籠が必要だわ』
『言っておくが、私の正妃は苛烈な気性を持っている。生まれた子が安全に過ごせる保証など、ここにも無い』
『分かっているわ。……だけど、もっと大きな脅威から守れるような場所は、限られているもの』
その言い分を耳にして、ようやくひとつ理解した。
『「アーデルハイトの生まれ変わり」とやらを、狙って欲する者がいる……と』
すると、女は微笑みをくちびるに浮かべる。
『とても、とても強い国よ。その脅威は、愛しい子の魔力を目印に現れるの』
『……』
『私の子供を守れそうな父親候補の王さまは、今の所あなただけ。……相手が国になる以上、どれほど優秀な魔力と父性を持っていても、王族以外を選ぶ訳にはいかないわ』
どうやら預かり知らぬ間に、望んでもいない審査へと掛けられていたらしい。
『とはいえ国王陛下! あなたがどうしても望まないなら、私は他の王にまったく同じ交渉をしようと思うの』
『……脅しのつもりか。アーデルハイトの生まれ変わりたる王女が、他国の手に渡っても構わないのかと?』
『ふふ。それがあなたの敵国なら、厄介な脅威になるでしょうね』
女はあどけない顔をして、あっさりと脅迫を認めてみせた。
『お前は何故、まだその胎に宿ってもいない自分の娘が、アーデルハイトの生まれ変わりだと言い切れる?』
至極真っ当な問い掛けを、女へと向ける。
しかしその女は、フォルクハルトが思ってもみない答えを、はっきりとした声音で返してきた。
『それは、私が――……』
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