190 元の世界
「……あら」
虚を衝かれたジークハルトのまなざしに、クラウディアは微笑んだ。
「私が誰だか、確信を持った上で助けてくれたのではないのね?」
「そんなこと、考える暇もなかったさ。城を監視していたら、突然君が落ちてきたのが見えたんだ」
はっきりと言い切るジークハルトの言葉に、嘘や企みは感じられない。
彼は長椅子の上にやさしくクラウディアを降ろし、彼自身は絨毯に跪いた姿勢で、改めてこう尋ねてくる。
「もう一度聞くが、怪我はないんだな?」
「ええ。あなたがあの空中から、ここまで転移させてくれたお陰よ」
「……そっか」
ジークハルトは息をつき、目を伏せる。
「守れたのであれば、それでいいんだ」
「……」
クラウディアはそっと手を伸ばし、黒によく似た藍色の髪を撫でる。
「ありがとう。ジークハルト」
「――――……!」
僅かに面食らった表情のあと、ジークハルトは可笑しそうに笑った。
「っ、はは!」
ノアの血縁者である青年は、クラウディアの手を拒むことなく、屈託のない表情で目を眇める。
「……まるで、俺よりもずっと年上の人みたいだな」
「あら。生きた年数だけで言うのなら、あなたよりもずっと先輩よ?」
ジークハルトから手を離したクラウディアは、くちびるの前に人差し指をかざした。
「最初に生まれたのだって、五百年以上も前なのだもの」
「……では、やはり君は……」
ノアと同じ黒曜石の色をした瞳が、クラウディアを見据える。
ここは屋敷の一室のようだが、ジークハルトの隠れ家なのだろうか。クラウディアは、少し乱れたドレスの裾を直しながら、優雅に長椅子へと座り直した。
「あなたは『レオンハルト』と敵対しているわね? いつかあの子を倒すために、反旗を翻す準備をしている……ここはそのための拠点、といったところかしら」
「……まずは僕の質問に答えてくれ。『アーデルハイト』」
ジークハルトは跪いた姿勢のまま、恭しくクラウディアの手を取る。何処か祈るようなその触れ方を許してやり、クラウディアは微笑んだ。
「今世での私は『クラウディア』よ。レオンハルトはなかなか、そう呼んではくれないけれど」
「では、クラウディア」
クラウディアの手首を掴む力が、ほんの僅かに強くなった。
「――君は既に、レオンハルトの物か?」
「ふふっ。……いいえ?」
あまりにも可愛らしい問い掛けに、思わずくすくすと笑ってしまう。
「私は誰の物でもないわ。強いて言うのであれば、可愛いノアの『姫さま』かしら」
「ノア?」
「この世界には存在しないの。あの子の頭を撫でてあげるためにも、早くここから帰らなくちゃ」
クラウディアの話していることは、ジークハルトに伝わらないだろう。それを承知の上で、ジークハルトが本当に求めているであろう答えを口にする。
「私の目的はそれだけよ。レオンハルトの味方ではない……敵のつもりも、ないのだけれど」
「……随分と、寂しそうな顔をするんだな」
「そうね、もちろん寂しいわ」
クラウディアは簡単にそう答えた上で、話を続けることにした。
「レオンハルトは九歳のとき、あなたの父親の元から逃れ、姿を消したはず。そんなあの子が、どうして王として城にいるのか、知っていることを教えてくれるかしら?」
「驚いた。レオンハルトは、そこまで君に話したのか」
実際は、『レオンハルト』に聞いた訳ではない。
けれどもクラウディアは、微笑みだけをジークハルトに返した。
「情けない話だが。――父があいつを支配していたことを、餓鬼の頃の俺は知らなかった」
ジークハルトは俯いて、何処か悔しそうに語り始める。
「俺と一歳しか年齢の違わない従兄弟が、牢で酷い目に遭っていたこと。王太子という身分が、本来ならばレオンハルトのものだったこと。アンナが俺の妹ではなく、あいつの妹だったことも」
(……アンナマリー。彼女がジークハルトの妹ではないことを、元の世界のジークハルトも知らない様子だったわね)
それが分かったのは、海の底に造られた学院でのことだ。
「あいつから全部奪っていたことを知らされたのは、アンナが死んですぐ、俺が八歳のときのことだ。……レオンハルトは、あの城に戻ってきた」
過日のことを思い出してか、ジークハルトが眉根を寄せる。
「剣を手にして。――ひとりの男を、伴いながら」
「……男……」
聞き捨てならない存在に、クラウディアは目を眇めた。
「その男とは、一体なあに?」
「分からない。見慣れない顔立ちの若い男で、レオンハルトの従僕のように付き従っていたが、少なくとも父の周りに居た人間ではないはずだ」
「……アンナが亡くなって、すぐのこと……」
本来の世界で言うならば、クラウディアとノアが出会った直後だ。
(私がノアと出会い、契約を交わして、叔父さまにお仕置きをしたあとのこと。ノアは私の魔力を使って、自身の叔父に対峙したわ)
そしてクラウディアはノアを追い、レミルシア城に転移した。
(元の世界での私とノアは、そこでジークハルトに目撃されている。元の世界のジークハルトが、私に執着を見せるきっかけになったのは、その出来事がきっかけだったわね)
ジークハルトがノアに話したことは、すべてノアから報告を受けている。そして元の世界では、こんな人物の存在もあった。
(――『レミルシア国の、筆頭魔術師』)
クラウディアは目を伏せて、そっと思考を巡らせる。
(元の世界のジークハルトには、かの国の筆頭魔術師がついていた。国王であるノアの叔父に代わって、国の政治を取り仕切っていた人物……ジークハルトにとっての、後ろ盾)
海の底にある学院では、こんな報告を耳にした。
『レミルシア国の筆頭魔術師が、国王陛下に代わって決議なさったとか』
それらの情報が、クラウディアの中で次々に繋がってゆく。
(元の世界ではジークハルトについていた、筆頭魔術師。その男が、この世界のノアに……)
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