186 痛みは無く
「……そのような大それたお役目ではありません。すべては皆さまがクラウディア姫殿下を案じてくださった、そのお心ゆえであり――……」
ノアはそれから顔を上げ、この場に集ったひとりひとりを見遣る。
兄王子のエーレンフリートは、最初はクラウディアを疎ましがっていた。
クリンゲイト国のスチュアートは出会った当初、大人姿のクラウディアを盲信的に崇めていたが、クラウディアがアビアノイア国の王女だと知ってからも協力者の立場で居てくれる。
海の底の学院で出会ったフィオリーナにとって、クラウディアは自分が手に入れられなかった王女の座の象徴であり、複雑な思いがあったはずだ。
あのとき同室となったラウレッタも、いまでこそクラウディアの友人になったが、最初は拒まれたと聞いている。
セドリックだってクラウディアを軽んじて、最初はまともに接してもこなかった。
それがこうした交流に変化しているのは、セドリックがそれまでの行いを恥じ、クラウディアと向き合ったからだ。
「クラウディア姫殿下が、皆さまと築き上げられた絆の賜物。……お力を貸してくださること、心よりお礼申し上げます」
ノアが騎士としての最敬礼をすると、彼らは強く頷いた。アシュバルがノアを鼓舞するように笑い、それから話の軸を戻す。
「引き続き、我らが友人クラウディアのために尽力するとしよう。それでエーレンフリート殿、貴殿は何故レミルシア国の状況を知りたがったんだ?」
「クラウディアは子供の頃から、魔法の才能によって各国の学者からも注目されていました。そしてノアいわく、あの国はクラウディアを狙っていると……そうだろ? ノア」
「仰る通りです。エーレンフリート殿下」
クラウディアの兄王子に確認されるも、その報告には嘘が混ざっている。
(ジークハルトが姫殿下を狙うのは、子供の頃にあのお方を見ているからだ。俺があの国で果たそうとした復讐……それに手を貸してくださった姫殿下に、ジークハルトが執着した)
だが、その出来事をありのまま話す訳にはいかない。
いくらクラウディアが魔法に優れた子供だったといえど、幼少期にそこまでのことが出来てしまうのは、アーデルハイトの生まれ変わりくらいにしか成し得ないことだろう。
「妹のクラウディアは仮死に陥る前、自分が目覚めなければ、その死を大々的に喧伝するよう父上に手紙を書いていた。それはきっと、レミルシア国の大喪の儀が明けて国交を再開したときに、クラウディアを巡る無用な争いを避けるためなんだよね」
「……」
すでに死んでいるものは奪いにこないと、そう見越してのことなのだろう。けれどもクラウディアの誤算は、自分が愛されていることをいまひとつ実感していないことだ。
クラウディアを蘇生させるために、さまざまな人間が諦めず動いている。
いかにクラウディアが死んだとされていても、ここまで国際的な活動を続けていれば、レミルシア国側だって蘇生の可能性が残されているものだと理解するはずだ。
「僕はクラウディアがああなってからずっと、魔力の記録を取っている訳だけれど。三日前から、クラウディアの亡骸に残っている魔力に微弱な変化があって……」
「――エーレンフリート殿下」
ノアは思わず、エーレンフリートの元に歩みを進めていた。
「それはどのようなものですか。詳しくお聞かせ願いたく」
「ま、待てって! 期待させるほどのものじゃない。本当に微かな、何が変わったとも断言できないくらいのものだよ」
それでも変化は変化だろう。ノアが見据えると、エーレンフリートは溜め息をつく。
「これでレミルシア国に狙われるだけ狙われて、クラウディアが目覚めないままなんて最悪だろ? クラウディアを蘇生させる方法も大事だけど、レミルシア国の目を欺く方策が先かもって話だよ」
「スチュアート殿下」
「そ! そっ、そそそ、それであれば俺がなんとか……」
ノアに名前を呼ばれたスチュアートが、びくびくしながらも挙手をした。
この男には他国の王族と話すよりも、ノアと会話する方が怖いらしい。恐らくは、過去に剣を交えたからだ。
「三日前といえば、今月の学者招集があった日ですが。あの日に試した蘇生方法の何かが、姫殿下に有効だったということでしょうか」
「ノア」
エーレンフリートは眼鏡を掛け直しながら、こちらを窺う。
「君、その日クラウディアに何か魔法を使った?」
「……」
心当たりがないことを答えかけて、そのまますぐに思い直す。
「魔法は使っておりません。ですがクラウディア姫殿下に触れることが叶うかどうか、それについては試みました」
「へ……」
ノアの答えに驚いたように、エーレンフリートが言葉を詰まらせた。
もしやよからぬ誤解を生んだかと思い、ノアは説明を補足する。
「……無礼であることは承知しておりますが、姫殿下のお体に触れることが目的ではないと申し上げておきます。拒絶反応を確かめることで、あのお方が完全に亡くなられていないことを確認すべく――」
「そうじゃなくてノア。僕は見てないけど、その拒絶反応って普通に怪我をするくらいの代物なんだよね?」
その問いに、ノアは平然とこう返した。
「無理に触れようとしなければ、せいぜい伸ばした指の爪が剥げる程度です」
「……『せいぜい』……」
呆れたようなエーレンフリートの隣で、スチュアートが顰めっ面をしながら人差し指を押さえている。ラウレッタとフィオリーナも、『想像だけで痛い』という表情になっていた。
そしてセドリックが、小さな声でぽそりと呟く。
「お前、クラウディアのことになると痛覚とか、「痛みを避けたい」っていう生物として当たり前の本能まで死ぬわけ……?」
「姫殿下の死よりも避けたいことは、俺にはありませんから」
当たり前のことなのでそう返すと、ますます妙な顔をされる。




