19 魔力の証明
【五章】
少女の小さなくちびるは、淡い薔薇色をしていた。
白い頬は完璧な曲線を描き、小さな耳には耳飾りが揺れている。白を基調にしたそのドレスは、ふわふわと裾が翻り、上品だが愛らしい。
透き通るようなミルクティー色の髪は、少女の動きに合わせてさらさらと靡く。見るからに手入れが行き届いていて、まるでその髪の表面に、潤んだ光を帯びているかのようだ。
施された編み込みは単純なものだが、花のような髪飾りと見事に調和していた。
少女の瞳は大きく、ぱっちりとしていて、長い睫毛に縁取られている。
クラウディアはその目を伏せると、ドレスの裾を摘まみ、片足を引いて一礼した。
そのさまは、完璧な淑女の礼なのだ。
参列者たちは驚き、感嘆の息を漏らして囁き合う。
「は……話が違うじゃないか。あれのどこが、ろくにマナーも身に付いていない、醜い姫君なんだ?」
「これだけの人数に囲まれた状況で、なんと堂々としたことか」
その上、クラウディアの後に続いた人物の姿に、貴族たちはますます驚愕した。
「あれは……」
その男は、銀糸の長い髪に、ルビーの色をした瞳を持ち合わせている。
いつも淡泊な無表情だが、それが映えるほどに整った顔立ちだ。彼が纏っているローブの刺繍は、持ち主の身分を示すものである。
「カールハインツ殿……!」
この国の筆頭魔術師は、まるでクラウディアを庇護して忠誠を誓うかのように、幼い彼女の後ろに控えている。
カールハインツは、魔法の実力もさることながら、潔癖なことでも有名だ。
上流階級の女性たちが、こぞって『彼を護衛に』と求めるものの、カールハインツはそれに応じたことがない。貴族であろうと、誰ひとり特別扱いをしないのだという。
そんなカールハインツが、これまで一度も顧みられたことのない王女の傍にいることは、貴族たちにとって驚愕だった。
「筆頭魔術師が、何故クラウディア姫殿下のお傍へ?」
「ま、まさか……」
カールハインツは、淡々と宣言を開始する。
「カールハインツ・ライナルト・エクスナー。……この度、クラウディア姫殿下の臨時後見役として、姫殿下をお連れいたしました」
その言葉に、聖堂内は改めてざわついた。
「魔力がない王女の後見役が、この国の筆頭魔術師だと……!?」
「カールハインツは、誰もが手元に欲する実力者だぞ。王子殿下の従者となるならまだしも、一体なぜ」
そんな疑問を口にしながらも、彼らはクラウディアを注視している。
祭壇へと歩き始めたクラウディアが、その場の話し声を掌握していることなど、誰ひとり気付く気配もないのだ。
***
(――反応は、概ね予想通りかしらね)
微笑みを浮かべたクラウディアは、つやつやに磨かれたその靴で、一歩ずつ祭壇へと歩んでいった。
先ほどは大人びた礼をしたが、基本の方針は変わらない。六歳の王女にふさわしく、無邪気で幼い少女のふりをし、余計な面倒を抱えないつもりだ。
だからこそ、そのために必要な情報を、無詠唱の魔法で集めているのだった。
(錚々たる顔ぶれと聞いていたけれど、大半は取るに足らないわ。――無遠慮な視線も、その表情やささめきも、私やほかの王族に気付かれないと信じ込んでいる)
クラウディアは、とことこと懸命に歩くふりをしながらも、祭壇の後ろに設けられた特別席へと目を遣った。
その席は、薄布による天蓋で覆い隠されている。
向こう側には、おぼろげな蜃気楼のように、王族たちの姿が揺らいでいた。
(ほどほどの魔力を持った、女性がひとり)
恐らくは、この存在が正妃なのだろう。
(それに、強力な魔力持ちの子供が三人。年齢はきっと、いまの私と変わらないわ。……そして、あの中でもっとも強力な、カールハインツにも並ぶ魔力の持ち主は……)
クラウディアは、特別席の中央にいるはずの人影を見据えた。
(――……あれが、私の『お父さま』ね)
祭壇の前で、クラウディアは足を止める。
そのとき、天蓋の向こう側で、その父王が笑ったような気がした。
「ご苦労だったな、カールハインツ」
父王が言葉を発した瞬間、聖堂がぴたりと静寂に満ちる。
無駄話をし続けていた貴族たちも、示し合わせたように口を閉ざした。それだけで広大な聖堂には、張り詰めた緊張感が漂い始める。
クラウディアの後ろに立ったカールハインツが、深く頭を下げて発言した。
「滅相もございません。これもすべて陛下の御心と、姫殿下のお母君であるドロテアさまにいただいた、多大なる御恩に報いるため」
「は。よもやお前が、これの母親と縁深かったとは」
「幼き私が路頭に迷いかけたところ、偶然通り掛かったドロテアさまが、ご自身の食事を差し出して下さいました。あの味は、いまでも忘れておりませぬ」
(――という主旨の嘘をつくように、カールハインツには伝えておいたのだけれど……)
クラウディアは、心の中で考える。
(随分と感情がこもっているわね。……案外、事実無根の作り話では無いのかもしれないわ)
だが、仔細はどうでも良いことだ。
「さて。――姫よ」
父王は、クラウディアにそう呼び掛けた。
「お前に命じることはただひとつ。水晶に触れることだ」
「すいしょう?」
「おい。参れ」
その言葉を合図に、神官が歩み出る。
水晶を乗せた台座を手にし、恭しく跪いた神官は、俯いていてクラウディアを見る気配もない。
「これより、末の姫による魔力鑑定を行う」
父王の声は、聖堂中に響き渡った。
「偽装は出来ぬ。また、することも許さぬ。誰ひとり、目を逸らすことの無きように」
高圧的なまなざしが、クラウディアへと注がれたのが分かる。
けれど、クラウディアよりも身を強張らせたのは、父王の隣にいる正妃だろう。
「姫殿下。お手を」
クラウディアはまず、小さな手をカールハインツの方に伸ばし、彼の服を握り締めた。
クラウディアが生まれてすぐ、正妃が魔力鑑定の結果を偽造した方法は、『偽の水晶を使う』という陳腐なものだ。
あのときは、父王にクラウディアへの関心がなく、誰もその結果を重要視することがなかった。前世の記憶を取り戻したクラウディアは、生まれて間もないときの光景も、はっきりと思い出すことが出来る。
しかし今回、父王は明確な目的をもって、クラウディアの魔力を測ろうとしているのだ。
(間違いのない水晶を用意し、衆目にその結果を監視させている。私に魔力があることを、ある程度は確信している動きね)
そんなことを考えながらも、クラウディアは不安そうに顔を上げ、カールハインツを見た。
瞳を潤ませ、きゅうっとカールハインツの服を握り込む。すると、クラウディアの素を知っているカールハインツですら、心配そうに表情を変えるのだ。
きっと参列者たちの目には、なおさら弱々しい存在に映るだろう。
ここにいる六歳の小さな王女が、企みを持っていることなど、彼らは誰ひとり気付いていない。
「カールハインツ……」
「姫殿下、恐ろしいものではございません。こちらの水晶に、お手を触れていただけますか?」
クラウディアはこくんと頷いた。
にわかに緊張感が高まって、父王の視線が鋭くなる。クラウディアは誰にも気取られないように、心の中で詠唱するのだ。
(――――『無力化』)
その瞬間、クラウディアの内側に巡る膨大な魔力が、どくりと静かに脈打った。
指先まで満ちたその力が、ほんの一時だけ流れを変える。
それによって、クラウディアの髪や瞳がきらきらと瞬いたが、ステンドグラス越しに降り注ぐ陽光の所為にしか見えなかっただろう。
(さあ。証明してご覧なさい)
クラウディアは、小さくて華奢な手を、透き通った水晶へと真っ直ぐに伸ばした。
(――私が、『欠けている王女』であることを!)




