179 死せる姫君(プロローグ)
【プロローグ】
三年前に亡くなった王女クラウディアは、この国の人々に愛されていた。
クラウディアは、政治的な策略によって『魔力無し』と追放されていながらも、辺境にある森の塔で天真爛漫に育った愛らしい少女だ。
彼女はやがて、父王譲りの才能を覚醒させ、素晴らしい魔術師としても知られるようになる。
クラウディアは王室で末の子として可愛がられ、国民の前にもたびたび姿を見せた。その無邪気な様子に誰もが頬を緩め、可憐な姫が健やかに成長していくことを願っていたのだ。
生きていれば今年で十六歳になったはずの、王女クラウディア。
彼女の『死』から三年経ったいまも、その亡骸は朽ちずに美しいままだった。
クラウディアは十三歳の姿のまま、王城に設置された漆黒の棺で眠っている。
その肌は雪のように白いのに、死化粧で塗られたくちびるだけが赤い。血を連想させる赤色が、棺を埋め尽くす白百合によって殊更赤く映るのだ。
生きているようにしか見えないのに、その心臓は止まっていた。
呼吸のひとつもしておらず、瞼を開くことはない。彼女がこうして目覚めなくなってから、千の夜が過ぎているのだ。
「皆さま、お揃いのようですな」
その日、アビアノイア国の王城内にある聖堂には、大勢の魔術学者たちが集められていた。
彼らはそれぞれが専門的な知識を持ち、世界中から選りすぐられた魔術師だ。慣れた様子で席につく面々は、みな何処か難しい顔をしている。
そんな聖堂の外側は、アビアノイア国の魔術師騎士たちによって警備されていた。
「隊長」
同僚たちの成果を取り纏めた騎士が、彼らの長となる人物に告げる。
「先ほどすべての学者さま方が、無事にお席へと着かれました。これにて護送完了です」
「…………」
聖堂の周辺を固めるのは、この国で精鋭とされる魔術師たちだ。とはいってもここに揃うのは、各国からやってくる学者たちを護衛する任務に就いていた面々である。
「以降は通常通りの動きとなり、議論の終了まで別隊が聖堂の警備を。続いて行われる陛下へのご報告会の警備につきましては、カールハインツ団長による近衛隊が主導となります」
「――ご苦労だった」
隊長と呼ばれた青年は、彼よりも年上となる部下たちを静かな声音で労った。
「毎月のこととはいえ、要人警護の任務で心身共に消耗しただろう。以降のことは別隊に一任し、お前たちは存分に休んでくれ」
「ありがとうございます。しかし、隊長はどちらへ?」
「聖堂内の警備を手伝ってくる」
「!」
平然とそう言い切った様子に、部下たちは目を丸くする。
各国から学者を迎え入れるための警護において、隊の中で最も過密な労働をこなしたのは、間違いなくこの青年なのだ。
「そ、そのようなことでしたら我々が! 最も休息するべきは、他ならぬ隊長ご自身のはずです!」
「気持ちだけ有り難く受け取っておく。だが、必要ない」
「そんなはずは……どうかお待ち下さい!」
部下たちが慌てて呼び止めるも、歩き出した青年が振り返る気配はなかった。部下は彼の背中に向けて、大きな声で叫ぶ。
「ノア隊長!!」
「――――……」
それでも青年は立ち止まらず、聖堂に向かって行ってしまった。
彼の纏う魔術騎士の軍服は、胸元にいくつもの勲章が輝いている。騎士として優秀な功績を残した者だけが国王より贈られる、大きな栄誉の証だ。
高く背が伸び、よく鍛えられたその体躯は、姿勢の正しさも相俟って人目を惹いた。聖堂の警備についている別隊の騎士たちも、思わずといった様子で青年を見上げている。
「……なんという体力だ。あのお方は隊長というお立場であられながら、人一倍この国のために働いていらっしゃる……」
部下のひとりが溜め息をつくと、別の部下がすぐさまこう答えた。
「俺たちの若き隊長は、十九歳にして『次期筆頭魔術師』と呼ばれる実力をお持ちだからな。さすが、幼い頃からカールハインツ団長に師事されただけはある」
「だが、いくらなんでも少しくらいお休みになった方が……」
部下たちは皆、自分よりも年下である隊長を案じている。するとそこに現れた銀髪の男性が、騎士たちに告げるのだ。
「お前たちが気にする必要はない」
「カールハインツ団長!」
突如現れた筆頭魔術師の姿に、その場の全員が姿勢を正した。十年前から外見がほとんど変わらないカールハインツは、聖堂の方を見遣る。
「ノアには私から言っておく。あれの命令通り、お前たちは休め」
「しょ、承知いたしました。……それでは、失礼いたします……」
カールハインツは騎士たちに頷くと、それから再び聖堂を見上げた。そうして二階の窓越しに見えるノアの姿に、静かな溜め息をつく。
***
アビアノイア国の第一騎士隊において、二年前から隊長を務めているノアは、学者たちの声音に耳を傾けていた。
「本日の議論は先月に引き続き、クラウディア王女殿下が蘇生なさる可能性を探るものとなります」
聖堂二階の吹き抜けから見下ろす学者の数は、ゆうに百人を超えている。
会議室を使うには多すぎるため、祈りに使うこの場所が使用されているのだ。会衆席に座った面々を、ノアは上階から見据えている。
「クラウディア姫殿下の心臓は止まり、呼吸もない。……かといって亡骸は朽ちず、十三歳のときのお姿のまま……」
議長となる老齢の魔術学者が、先月と同じ言葉を繰り返す。一向に議論が進まないのは、どの学者も打つ手がないと考え始めているからだった。
「そもそも姫殿下のあの状態を、死と呼ぶべきなのかすら分からないが……」
「あれが亡くなっているのであれば、結論などひとつきりだ」
学者たちの一部が疲れ果てたように、小さな声で口にする。
「……どんな魔術を使おうとも、死んだ人間を生き返らせることは出来ない……」
(………………)
ノアの王女は三年間ずっと、棺の中で眠り続けている。
もはや心臓は動かず、呼吸はなく、ノアの名を呼んでくれることはない。オパールの色の瞳で見詰めることも、くすくすと嬉しそうに笑うこともない。
(――それでも、目を覚まして下さると約束した)
だからこそノアは、クラウディアの変わらない従僕であり続けなくてはならない。
たとえ、何があろうともだ。
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第5部 開始




