178 約束をする(第4部・完)
クラウディアは手を伸ばし、ノアを強く抱き締めた。
「姫殿下」
「……以前の私のままであれば。お前には何も告げないまま、ひとりでこの選択をしたでしょうね」
アーデルハイトと呼ばれた前世で、弟子たちを置いて死んだときのように。
ノアと出会ったばかりのころ、ノアの未来を守ろうとして、自分が死んでも構わないと感じたときのようにだ。何もかもノアに伏せたまま、黙って眠りに就いただろう。
「けれどいまは、ノアにだけは全部伝えたいの。私が選ぶことも、そのことによって招かれる危険も、何もかもを」
「…………」
(まだ少しだけ秘密を残していることは、どうか許してね)
多分許してはくれないだろうから、叱られる材料にとっておこうと思う。
魂の年齢としては年下であり、従者という立場でもあるノアに時々叱られるのが、クラウディアはとても好きなのだ。
「……あなたはずるい」
やはり拗ねたようなその声音で、ノアがクラウディアを抱き返す。
壊れ物を扱うかのようなのに、それでいて力強い腕の力は、すっかり成長した青年のそれだ。
「そのように仰られてしまっては、聞き分けたふりをするしかありません」
「分かっているわ、お前は私の良い子だもの。……ねえノア」
クラウディアはくすくすと甘え、ノアの胸に額を擦り付ける。
「私がどうなっても。お前だけはまっすぐに、今のままで居てね」
「…………」
置いて行った前世の弟子たちは、きっと多かれ少なかれ、『アーデルハイト』の死によってその道が変わってしまった。
けれどもクラウディアは信じているのだ。
「私の可愛いノアで居て。やさしくて誠実で、誰よりも強い子」
「……姫殿下」
「約束よ。私はお前のことが、大好きなの」
そう伝え、体を離す。
黒曜石の色をしたノアの双眸と、真っ向から視線が重なった。
「……約束いたします」
静かに何かを堪えるような、それでいて真摯なまなざしだ。
ノアの手がクラウディアの手に触れて、指を絡めるように握り込む。
「何があろうと。俺はあなたの、変わらない従僕であり続けると」
「私も。……お前の王女のまま、眠りに就くわ」
無詠唱で発動させたその魔法は、七色の光を帯びた球体だった。ふわりと美しく光るそれは、前世のアーデルハイトが命と引き換えに世界を守った、その魔法の亜種である。
命を壊して、強大な力を生み出す魔法だ。クラウディアは寝台にぽすんと転がると、にこりと微笑んでノアを呼んだ。
「ねえノア。最後に一度だけ、こっちに来て」
「…………」
クラウディアと同じ寝台に乗ることを命じると、ノアはいつも苦い顔をする。けれども今日だけは何も言わず、クラウディアの傍に片膝をついた。
「良い子」
「姫殿下。これは……」
「もう少し」
「!」
ノアの首へと腕を回した。片手でその後ろ頭を引き寄せると、クラウディアは柔らかく目を閉じる。
それから、ノアのくちびるに口付けた。
「――――……」
そうしてすぐにキスをやめ、ぽすんと枕に頭を預ける。
満足して笑ったクラウディアを見下ろし、僅かに驚いた表情のノアが、瞬きをしてその声でクラウディアを呼んだ。
「――姫さま」
「おやすみのキス。……ちゃんと目を覚ます、約束よ」
「…………」
悪戯が成功したような気持ちでそう告げると、ノアが目を眇める。
かと思えば次の瞬間、クラウディアも予想していなかった振る舞いを取るのだ。
「……!」
覆い被さったノアから口付けをされて、クラウディアはぱちりと瞬きをする。
クラウディアがしてみせたのと同じように、短い時間のキスだった。けれどもくちびるを離したノアは、低く掠れた声でこう囁く。
「俺はあなたを待ち続けます。……どうか俺のことを哀れに思い、早くのお戻りを」
「……ノア」
クラウディアはゆっくりと目を閉じて、再びノアに身を擦り寄せた。
「約束ね」
「お願いいたします。恐らくは、数日も待てそうにないので」
「ふふふっ! それは無理だわ、少なくとも一年は掛かるもの!」
冗談に見せ掛けた本気の要求に、クラウディアは声を上げて笑った。それからようやくノアから腕を離し、今度は手を繋いでもらう。
「おやすみなさい、ノア」
「……はい。おやすみなさい、姫さま」
幼い頃の呼び方を微笑ましく思いながら、クラウディアはゆっくりと目を閉じる。
けれども『一年』という月日を過ぎても、クラウディアが偽りの死から目を覚ますことはなかったのだった。
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第5部へ続く




