174 大切な憎しみ
クラウディアが微笑めば、ノアがファラズに視線を送る。がしがしと頭を掻いたファラズは、ナイラに弓を投げ渡した。
「ありがとうございます。ファラズ殿」
「危険だと判断すれば、その弓を奪ってでも止める」
ナイラが大きく頷いた。クラウディアが息を吐いた瞬間に、アシュバルがこちらに手を翳す。
「おい! 気を付けろ、アシュバル陛下の魔法がくるぞ!!」
(……アシュバルからはもう、人としての思考が奪われて……)
アシュバルの短い詠唱のあと、灼熱の炎が放たれた。クラウディアに襲い来る炎を前に、ノアは一歩も動かない。
クラウディアを抱き締めて支えたまま、その炎を静かに睨み付けるだけだ。それだけで結界に弾かれた炎が、轟音を立てながら両横を擦り抜けていった。
「ナイラさま。私たちの後ろに隠れたまま、構えられる?」
「……少しの間、集中できれば……!」
「もちろんよ。ゆっくりどうぞ」
後宮から出たことのない女の子は、人や生き物など射抜いたことはないだろう。ましてや愛しい人を壊すかもしれない攻撃において、矢の数はわずか三本だ。
(とはいえ)
クラウディアが抑え付ける魔法の中で、アシュバルの背に生えた黄金の羽が暴れる。最後の抵抗をするかのような、暴力的な力だった。
(もう少しだけ、私の体が保てば――――……)
クラウディアは思わず顔を顰め、アシュバルに翳していた手の指先を跳ねさせる。
「……っ」
微かな吐息を漏らしてしまった、そのときだ。
「……ノア」
「…………」
支えてくれているノアの手が、クラウディアの手に重なった。
指を絡めるように握り込まれて、その切実さに瞬きをする。そしてクラウディアは微笑むと、自由な方の手を上に伸ばし、ノアの頭を撫でた。
「……いい子ね。可愛い従僕」
ノアの魔法が治癒してくれるお陰で、この痛みの中でも立っていられるのだ。
(あと、もう少し……)
クラウディアは背中に重心を移し、ノアに体を預けるようにする。全身が痛む感覚を踏み躙り、無理やりに笑った。
「さあアシュバル。……あなたの弱み、大切な女の子がここにいるわよ」
そのために、ナイラをここに連れて来たのだ。
ナイラが金色の矢をつがえ、真っ直ぐに胸を張る。凛として立つナイラのその姿は、クラウディアが見惚れるほどに美しい。
「だからもう、観念して」
ナイラは迷わずに弦を引き絞り、その矢を放った。
「――自分の中のどうしようもなく『人』である部分を、許してあげなさい」
「――――!!」
黄金の矢が空を切り、逃げ場のない黄金の鳥を貫く。
金属の砕けるような音と共に、アシュバルを覆っていた黄金が砕け、人の形に戻ったアシュバルの体が落ちてきた。クラウディアは声を上げる。
「ファラズおじさま、アシュバルを!」
「っ、ああ!」
同時に駆け出したナイラよりも早く、ファラズが落下地点に着く。アシュバルの体を受け止めた彼の頭上では、ナイラの矢によって散り散りになった黄金の破片が、再び鳥の形を作り始めていた。
「ノア。お願い」
呪いの抑制や制御は必要なくなり、あとはこれを破壊するだけだ。クラウディアが命じ終える前に、ノアが黄金の鳥へと手を翳す。
そして無詠唱で放たれた一撃に、一際強い光が辺りを覆った。
「っ、アシュバル……!」
真っ白で何も見えない光の中、アシュバルを揺り動かすナイラの声がする。彼女が必死で叫ぶ中に、知らない女性の声が重なった。
『……どうして』
「!」
ナイラが驚いて口を噤み、ノアがクラウディアを守るように抱き込む。声の主に察しがついたクラウディアは、ノアにされるがままに聞いていた。
『……どうしてこの子がこんなにも、可愛いのかしら』
「だ、誰だ……?」
『私の道具。復讐のために生み出した、呪いの子。それなのに、どうして?』
「まさか」
ファラズがはっとした様子になり、クラウディアが予想したものと同じ名を呟く。
「これは、サミーラさまの声……」
「……っ、おふくろ……?」
朦朧とした様子のアシュバルが、うつろな様子で呟いた。眩しすぎる光が弱まり始め、周囲が見えるようになってくる。
そんな中に、聞こえるのは、過日のサミーラの声で間違いないようだ。
『……忘れては駄目。アシュバルは、憎しみを果たすためだけに作った物なのだから』
「…………」
『人間ではない魔法道具。そうよ、これは』
「アシュバル……」
繰り返される声を受け、ナイラがアシュバルに両手を伸ばす。
「聞かなくていい! こんな声、これこそが呪いだ。お前は私にとって、道具なんかじゃない……!!」
「……ナイラ」
『忘れては、駄目』
ナイラがアシュバルの耳を塞ごうとした、そのときだ。
『……この憎しみだけが、アシュバルを人で居続けさせるための手段だもの……』
「…………!」
母が紡いだその言葉に、アシュバルが息を呑む。




