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172 彼の弱点

「クラウディア……」


 アシュバルが顔を顰め、浅く短い呼吸のままで、苦しそうに問う。


「どうしてここに、ナイラを連れて来た?」

「分かっていたからよ。あなたの弱みになることが」


 クラウディアはあくまで軽やかに、余裕のある笑みを返した。


「彼女が住まうのは、後宮でも最も清浄な水の流れる宮のひとつだもの。万が一ここで黄金化の呪いが暴走しても、あの水の傍に居るのなら、少しの猶予はあるでしょうね」


 女神像の首元に据えられた首飾りが、跳ね返す月光が消えた中で沈黙している。


 アシュバルが自害の場所にここを選んだのは、呪いの首飾りに少しでも力が借りられることを期待したからだろうか。


 だが、この都で最も月光を受けやすい場所にあったとしても、その月が蝕に食まれてしまっては意味もない。


「ぐう、う……!」


 アシュバルが苦しそうに身を丸め、金色の両翼がさらに大きくなる。

 その体を侵食する金色は、まるで鳥の羽か鱗のようだ。アシュバルの変貌に呼応して、辺り一体に黄金の光が伸びてゆく。


「う、ああああ……っ!!」


 砂の上や、街中に巡らされた水路を這うその光は、血管のごとく躍動しながらその範囲を広げていった。アシュバルの両脚は鱗に覆われ、怪鳥のような下肢に変わってゆく。


 ナイラを汗だくで押さえるファラズが、クラウディアたちに向かって声を上げた。


「おい、これは一体どうなるんだ!?」

「『黄金の鷹』が暴走しているわ。思ったよりも早く侵食して、王都中の人々を黄金に変えてしまうつもりみたいね」

「随分と涼しい様子で言ってくれるぜ、分かっていてなぜ月食を待った!」


 ファラズの疑問はもっともだろう。クラウディアはノアの背中越しにアシュバルを見据えつつ、その疑問に答える。


「呪いの魔法道具を破壊するためには、一度こうした暴走状態にしなくては難しいわ。だから、アシュバルが姿を見せる満月でありながら、月光に守られない蝕の時間を待つ必要があった」

「は、破壊って……」


 後ろにふらついたアシュバルの腰が、物見台の手摺りにぶつかった。ぐらりと重心を崩すものの、アシュバルが落下することはない。


 背中から生えた無数の弓が、翼そっくりに躍動する。自らの体を掻き抱いて苦しむアシュバルが、見上げる必要があるほどの高さに浮き上がった。

 魔法の翼によって浮いている、その姿はまさしく大きな鳥だ。異変に気が付いた民たちが、家から出てきて悲鳴を上げる。


「ほん、とうに」


 その悲鳴を聞いたアシュバルが、震える声で口にした。


「どうにかなればいいと、思っていたんだが、なあ。……黄金の鷹がなきゃ、この国の人たちが、生きていけねえのに」

「アシュバル……」


 泣きそうなナイラを見付けると、彼はぎこちなく笑うのだ。


「黄金の鷹を維持するか、おふくろに言われた通りに壊すか。俺が失敗したのはきっと、そんな弱い迷いがあったからだ」

「弱いなんて、そんなはずが」

「餓鬼のころの俺にはナイラがいた。だから生きられた。……でも、そうじゃない連中も大勢いる」


 子供の頃に与えられた治療や食料が、アシュバルをどれほど助けたかは想像に難くない。そんな経験が、王に選ばれたあとのアシュバルに、民を飢えから救いたいという思いを抱かせたのだ。


「だからって」


 アシュバルはそんな願いに対し、自嘲のような笑みを浮かべる。


「……俺の存在が滅ぼす側になるんじゃあ、どうしようもないな」

「っ、お願いだ……!!」


 ナイラが泣きそうな顔をして、ノアとクラウディアに懇願した。


「何か打破する方法はないか!? 教えてくれればなんでもする、命だってかけて構わない……!! 国とアシュバル、両方を救える方法を」

「お、おい、ナイラ殿!」

「私に出来ることであれば! いいや私に出来ないことだって、果たしてみせるから……」


 ナイラの両目に涙が浮かぶ。凛とした普段の振る舞いを消し、必死に願いを繰り返した。


「なんでもするから。……あいつを、助けて……!」

「――ノア」


 クラウディアはくちびるに微笑みを宿したまま、アシュバルに剣を構えたノアに告げた。


「もういいわ。剣を下ろして」

「……はい。姫殿下」

「待ってくれ!!」


 ナイラが大きく身を捩り、ファラズの拘束から逃れようとする。あまりにも激しく暴れる所為で、ファラズが支えきれずにふたりで膝をついた。


「どうか、願いを……!!」

「生憎ね」


 クラウディアはこつりとヒールの音を鳴らし、下がらせたノアと入れ違いに歩み出た。


「私は、やりたいことしかしないの」

「……っ」

「だから」


 絶望に歪んだナイラの表情が、驚きに変わる。

 クラウディアが翳した右手から、一気に光が広がったからだ。


「これは……!?」


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