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171 黄金の弓


 あまりに凄まじい痛みが走り、何が起きたのか分からない。頭を叩き割られているかのような、反対に内側から頭蓋をこじ開けられているかのような、そんな激痛だ。それを見て、ナイラが叫ぶ。


「お、お願いだ、剣を抜いてやってくれ!! アシュバルの治癒をしたい、どうか……!!」

(どういうことだ!? 今日は満月だ。雲もない、月光は……)


 顔を上げた瞬間に、クラウディアによる結界が音を立てて破れる。

 球体状の結界の向こうに輝いていたはずの白い満月が、見るも無惨に砕け散った。


「な……」


 アシュバルが先ほどまで見ていたのは、魔法による偽物の月だったのだ。

 本物の月だって空にある。けれどもその色彩や輝きは、アシュバルに必要なものではない。



「あれは、月食……?」



 不穏な赤橙色に変色した月が、黒く開いた穴に侵食されようとしていた。


(月光が、消える)


 その瞬間、凄まじい呪力が体の中から湧き上がってくるのを感じた。


「っく、あ、が……!!」

「アシュバル!!」

「来るな!!」


 叫んだアシュバルの頭の中に、遠い日の母の声がする。


『憎き黄金の鷹。私はあの呪いを、憎み続ける……』


 眠っているアシュバルの横で、母はそう繰り返した。微睡みの中で耳にした記憶に、アシュバルは必死で返事をする。


(分かっている。……分かっている、壊すから、そのための道具である俺が)


 我を失うほどの激痛の中、母が何かを囁く声が聞こえた気がした。


『でなければ、お前は――……』

(……あれ)


 その言葉の先を耳にしていたことを、アシュバルは初めて思い出す。


(あのとき、俺は何を聞いたんだっけ……)


 意識が薄れたその刹那に、ひときわ強い呪いの力が体内で脈打つ。危険を察知したらしきノアが、アシュバルの肩から剣を抜いて後ろに回避した。


 次の瞬間、背中に燃えるような熱を感じる。

 そしてアシュバルは、自らの意識を手放したのだった。




***




「っ、う、ああ……!」

「アシュバル……!!」


 ナイラの悲痛な叫び声が、クラウディアのすぐ近くで響き渡った。物見塔の手摺りに腰掛けていたクラウディアは、想像通りの事態に息を吐く。


(おおむね、予想通りの流れになったわね)


 アシュバルから離れたノアが、クラウディアを背にして剣を構える。

 その剣先、蹲ったアシュバルの背中には、黄金の両翼が生えているのだ。


 鳥の翼のようなものではない。いくつもの弓が背から生え、連なっていて、まるで黄金の翅のようだった。


(アシュバルの母君サミーラさまは、王の子を授かってなどいなかった。……優れた魔術師であることを利用し、後宮に強力な結界を張る役割を担ったのも、自分が不貞の子を宿すことは困難だったと主張するためかしら)


 そして王との接触を果たしたあと、嫁ぎ先から持ち込んだ呪いの首飾りを用いて、赤子を模した魔法道具を作り出したのだろう。


(人ではなく、黄金の鷹を壊すための道具。父とされる王に瓜二つの容姿を持つのも、それが血を分けた息子だからでは無く、血縁を疑われないよう意図的に同じ姿に造ったから……アシュバルはそんな自分の正体を、幼い頃から理解していた)


 けれどもそれは失敗したのだ。


「黄金の鷹を壊すための道具でありながら、あなたはそれに失敗して、黄金の鷹と融合したのね」


 クラウディアの言葉に、ナイラが絶望して目を見開く。


「いまのアシュバルこそが、黄金の鷹。……その成れの果て、と言うべきかしら」

「っく、あ、ああ……!!」


 黄金の光が迸り、弓の折り重なった翼が肥大化する。その光はじわじわと、アシュバルの姿を変貌させていった。


「アシュバルのお父さまが亡くなって、黄金の鷹が変貌したからか。あるいは、アシュバルを生んだお母さまが亡くなって、黄金の鷹を破壊する機能を持つアシュバルに変貌が生じた所為かしら」


 あるいはその両方かもしれない。

 確かなのは、アシュバルと黄金の鷹がひとつに溶けて、新しい異形になろうとしていることだ。


「だ、だがディア殿……! アシュバルはつい先ほどまで、いつもと変わらなかった! あんな様子は」

「呪いは人の願いによって作られるもの。だから、主人の想いの影響を受けるの」


 ナイラに告げると、びくりと彼女の肩が跳ねる。次期正妃となる彼女の耳には、月を模した耳飾りが揺れていた。


「太陽は王を、月は妃を表す国。輿入れの夜の月食によって虐げられた妃サミーラさまには、尚更それが強く印象付いていたのでしょうね」

「……だから太陽と月、なのか」


 ファラズが納得したように呟き、ナイラに告げる。


「恐らく太陽が出ているあいだ……そして月の光が届くうちは、サミーラさまの方の力が強まるんだ。太陽は王となったアシュバル陛下そのものの、月はサミーラさまの象徴」

「そう。だから日光や月光がある間だけ、アシュバルは平常でいられる」


 そしてアシュバルが呪いによって生み出された魔法道具であることは、彼の母親の結界によって巧妙に覆い隠され、守られていた。


 だからこそ、最初の接触で気が付けなかったのだ。


「太陽は雲に隠れても、その光を完全に遮られることはないわ。陽の光が一切届かないという状態は、夜の闇を指すもの」


 曇りであろうと雨であろうとも、日が昇っているあいだは雲越しに、直接ではなくたって陽光が降り注いでいることになるのだ。


「けれども月の光は弱く、満月の夜でもない限り、たやすく雲に遮られてしまう。お父君が亡くなった直後ならまだしも、それから時間が経つごとに、黄金の鷹の力は暴走を強めていったのでしょう」

「……っ」

「大切な人に会う夜が満月だったのも、月の力が強い日でなければ怖かったから」


 そう告げると、見開かれたナイラの瞳が揺れる。


「けれどもいよいよ抑えきれなくなったのを感じて、アシュバルは王宮から姿を消すことにしたのね。臣下に引き止められない理由……国の宝が盗まれたと、そんな事情を偽った」


 完全な嘘ではないのかもしれない。純粋な黄金の鷹と呼べる代物はもう、この世界からは無くなっているのだ。


「本当なら今夜は満月で、アシュバルは月光によって黄金の鷹の力を抑えたまま、自分を『壊せる』はずだった。けれど」


 クラウディアは、月食によって赤い三日月と変貌した空の月を見上げる。

 ナイラはそれを見て、全てを察したかのように目を眇めた。


「月食が今夜起こることを、貴殿たちは知っていたのか……!」


 不吉な現象の発生については、記録に残すこと自体を厭うことも多い。


 そのためこの地域では口伝ばかりが存在し、月食が一定の年数で起こることや、次の発生がいつになるかといった分析が禁忌とされていたのだろう。


「どうして月が欠けるのを待った!? いまの話が事実であれば、陽光も月光も届かなくなった今のアシュバルは……」


 ナイラが叫び、ファラズから逃れようともがく。アシュバルは自らの頭を両手で押さえ、朦朧とした様子で声を振り絞った。


「……俺に、課せられた役割は、黄金の鷹を壊すこと……」

「アシュバル……!」

「黄金の鷹と『混ざった』俺に、生まれたときのような力は、もう無い。……だから、ナイラに渡したあの弓を、使わないと……」


 ナイラがはっとして、床に落ちた黄金の弓を見る。


「ノア。戦ってみて、どう感じたかしら?」

「……あの黄金の弓と矢も、呪われてはいませんが魔法道具です。力はそれほど強くないものの、黄金の鷹を壊す魔力を宿しているかと」


 アシュバルに剣先を向けたままのノアが、淡々と的確にそう答えた。

 アシュバルはかつて、その弓を自分の分身だと言って渡したそうだが、それは比喩でもなんでもなかったのだろう。


「分かった? ナイラ。あなたの弓は、黄金の鷹を壊す性質を持ったアシュバルの分身。だからアシュバルは今夜それを盗み、この弓矢によって自分を貫くことで、終わらせようとしたの」

「……そんな……」


 あの弓矢を幼いナイラに贈ったのは、万が一のためだろうか。それから、弓の扱いを教えたのも。


「ひどい男だわ。本当に」


 ナイラに心から同情して、クラウディアは呟く。


「自分を殺すための武器と力を、恋しい女の子に与えるなんて」

「…………っ!」


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