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169 黄金の鷹

「お前、どうしてここに……っく!」


 まるで体当たりでもするかのように、ナイラがアシュバルに抱き付いた。その衝撃で地面に倒れるが、こんな華奢な女の子が、大の男であるアシュバルを突き飛ばせるはずもない。


「私はずっと怖かった! 次の満月が来たら、お前が消えてしまうような気がして……!!」

(まずい)


 黄金の矢は、アシュバルに覆い被さったナイラの背を目掛けて落ちてくる。


「退け、ナイラ!!」

「嫌だ!!」


 ナイラを抱き込んで反転すれば、身を挺して彼女を守れるはずだった。

 それなのにナイラの抵抗が凄まじく、思うように動けない。


「アシュバル、やはりお前は死ぬ気だったな!? この馬鹿、何故こんなことを……!!」

「馬鹿は、どっちだ……!!」


 無理やりにでもナイラを引き剥がそうとした、そのときだった。


「!!」


 きんっと高い音がして、黄金の矢が弾かれる。

 顔を上げた先にいたのは、王としての装束に身を包んだ青年だ。


「ノア……」


 アシュバルを見下ろしたノアが、黙ってその腰に剣を納めた。ノアの剣によって飛ばされた矢が、女神像の近くの壁に突き刺さる。


「久し振りね、アシュバル。やっと会えたわ」

「クラウディア」


 ノアの後ろから現れたのは、目を見張るほどに美しい女性だ。そして彼女が視線で示した先には、父の古い友人である臣下が立っている。


「はは。……ファラズまで」


 アシュバルは目を瞑り、観念して深く息を吐いた。


「ついに見抜かれたか。俺の、本性が」


 こうなってはもう、仕方がない。


「アシュバル……! お前、一体何を考えて」

「ごめんな、ナイラ」

「……っ!」


 冷静に頭が回るようになったアシュバルは、ナイラの額に口付けた。彼女の力が抜けた一瞬の隙に、彼女の下から容易に抜け出す。


「悪いが話している時間が無い。転移を封じる結界まで張られて、逃げ場がなさそうだ」


 クラウディアが現れた瞬間から、辺りが妙な緊張感で張り詰めている。それなのにクラウディアは、なんでもないことのように微笑んで言うのだ。


「アシュバルだけを逃さない、専用の結界よ。結界に拒まれる体験、あなたには新鮮なのではないかしら?」

「ははっ。まったくだ」


 軽口を叩きながら同意して、剣と弓矢を出現させる。ナイラを巻き込まないように戦うのは、魔法を使っては難しそうだった。


「結界の主であるあんたを倒せば出られるか? クラウディア」

「やめろ、アシュバル!!」


 泣きそうな顔で止めるナイラを、ファラズが無言で引き離してくれた。クラウディアはくすっと笑い、小首を傾げる。


「そう言ってもらえるとノアが強くなるわ。だからノアに任せずに、私が結界を張ったの」


 クラウディアの言葉通り、ノアから放たれる殺気が色濃いものになる。

 砂漠の夜は凍えるほどにも寒くなるものだが、肌がぴりつくのは低温の所為ではない。


「悪い。退いてくれ、ノア」


 対峙するノアの手には、真っ直ぐな刀身の剣が握られている。


「ご冗談を」


 短く言い切ったノアが、跳躍して一気に間合いを詰めてきた。アシュバルは半歩後ろに下がり、ノアの剣を受け止める。


「アシュバル!!」


 辺りに高らかな剣の音が響き、ナイラが辛そうに顔を顰めたのが分かった。


「どうして分かったんだ? 俺の目的」


 問い掛けてもノアは答えない。代わりに口を開くのは、クラウディアだ。


「あなたのお母さまのこと。輿入れ時の月食と、お母さまが所有者らしき呪いの魔法道具。火竜と月光、幼いあなたが王宮に忍び込んでから後宮に逃げ込むまでの思い出話と黄金の弓――総合的に判断して、アシュバルの目的は黄金の鷹を探すことではないと感じたの」

「っ、はは!」


 クラウディアたちは見抜いたのだ。それがはったりや嘘でないことは、いまの話を聞くだけでよく分かる。アシュバルはそのままノアの剣を弾き、三度の突きを繰り出した。


 眼前、喉元、そして鳩尾。すべての狙いは完璧だったはずなのに、ノアはそれを躱しきる。

 その上でアシュバルの剣を弾き、すかさず脇腹に叩き込んできたノアの一撃を、アシュバルも瞬時に避けた。


「よく調べたな。ナイラもファラズも、口が軽い方じゃあないはずなんだが」


 責めたつもりはないのだが、これは皮肉に聞こえたかもしれない。


「あなたの目的は、黄金の鷹を完全に破壊することでしょう? 誰にもその目的を明かさず、秘密裏にそれを片付けるつもりで、親しい人すべてを欺いてきたのね。お母さまの言い付けだったのかしら」

「参ったな。その口ぶりじゃあ、本当に何もかも見抜いて……っと!!」


 クラウディアを一瞥しただけで、ノアによる壮絶なまでの一撃が繰り出される。アシュバルは口元の笑みを引き攣らせ、剣を合わせたノアと真っ向から対峙した。


「……っ、おふくろに言われたからってだけじゃあ、無いんだ」

「あら。そうなの?」

「餓鬼の頃はそれもあったがな。親父が死んで俺が王になり、黄金の鷹を手元に置いて、自分のやるべきことがよく分かった」


 互いに流儀の違う剣術で相見えると、こうも戦いにくいらしい。砂を巻き上げるように足を振ると、ノアが即座に対応して後ろに跳ぶ。


 その隙を使って弓に持ち替え、アシュバルは敏速に矢をつがえた。真っ直ぐノアに向けて放った矢は、ノアの魔法によって当然防がれる。


「願いの主が死んだあとの『呪い』が、どんな風に変貌するか知ってるか?」


 アシュバルの投げ掛けに、ノアが眉根を寄せた。


「最初は正常に機能していたんだ。だが時間が経つごとに、『黄金の鷹』は醜く溶けて、禍々しい形に変貌していった。表面に無数の穴が空き、寄生虫でも巣食っているかのような、血管状の膨らみが浮いて」


 そう口にすると、ファラズが戸惑った声を上げる。


「し、しかし陛下。その女神像の首飾りは、美しいままです!」

「何を言っているファラズ。『黄金の鷹』は呪いの魔法道具だが、そこにある首飾りじゃない」


 再びアシュバルが放った矢も、こちらに向かってくるノアの剣が落とす。彼の持つ剣の刀身は、浮かんでいる満月の光を強く反射していた。


「黄金の鷹の正体は、矢で射抜いたものを黄金に変える、呪いの道具」


 魔法の腕はノアの方が上だ。アシュバルが放った炎に対し、すぐさま氷の盾を展開する。噴き上がる蒸気を他人事のように見据えて、アシュバルは目を眇めた。


「――あれは、金色の弓の形をしているんだ」

「……!」


 ファラズとナイラが息を呑む。

 彼らの視線がアシュバルの手元に集中したのを感じ、戦いながら笑みを浮かべた。


「ふはっ、ナイラに渡したこの弓は違うよ。言っただろ、これは俺の分身」

「だ、だがアシュバル。それなら何故お前は、わざわざ後宮からその弓を持ち出したんだ!?」

「……そうか。ノア、クラウディア」


 ナイラの疑問に答えることなく、アシュバルは独り言のような心境で呟く。


「本当のことを、ナイラたちには話さないでいてくれたのか」

「……!?」


 動揺するナイラに反して、ノアもクラウディアも表情を変えない。

 そのことが、何よりも雄弁な肯定だ。

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