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166 月下の計略



「――さあ。どういうことなの? ノア」

「っ、姫殿下……」


 ノアに抱えられ、王宮内のさまざまな視線を浴びながら寝所に辿り着いたクラウディアは、ノアを壁際に追い詰めて笑みを浮かべた。


 壁とクラウディアの間に挟まれたノアは、眉根を寄せて困った顔をしている。けれどもクラウディアは構うことなく、ぐいぐいと距離を詰めた。


「お前から呪いの気配がするわ。一体何が起きているのかしら?」

「すべてお話しいたします。ですのでどうか、ご容赦を」

「……ここね」


 ノアの手を捕まえて、指同士をするりと繋ぐ。呪いが侵食したような事態ではなさそうだが、ノアが触れてしまったのは間違いないようだ。


 痛みも怪我も無いはずだが、可愛い従僕が忌まわしき呪いに接触したのはいただけない。


「呪いの魔法道具が王宮内に。結界で厳重に秘匿されており、触れるまで気付くことが出来ませんでした」

「聞かせてちょうだい。私もノアに伝えたいことや、お願いしたいことがあるのだけれど……」


 寝所の扉を一瞥すると、ノアが溜め息をつく。そして魔法で扉を開けたので、そこに立っていた人物が「おっと」と声を上げる。


「どうぞ入っていらして。おじさま」

「……気配遮断の魔法を使っても、お見通しって訳か」


 中に入ってきた人物は、アシュバルの臣下であるファラズだった。クラウディアがノアを壁に押し付け、迫っている様子を見て、彼はひょいと肩を竦める。


「失礼。お邪魔でしたか?」

「ファラズ殿。早く扉を閉めていただけますか」


 ノアがここまで露骨に嫌そうな顔をするのは、随分と久し振りのことだ。

 くすっと笑ったクラウディアは、ノアの鼻先にちょんと指で触れて窘める。


「期待した通り、おじさまがこの子の味方になってくださったようで嬉しいです。それでは早速、作戦会議といたしましょう」


 寝所の中に魔法でテーブルと椅子を作り出し、クラウディアとファラズは席につく。ノアはクラウディアを守れる位置に立ったまま、互いの状況を話し合った。


「アシュバルの母君であるサミーラさまが大切にしていた女神像。その首には結界によって隠された呪いの魔法道具……」


 クラウディアがノアから聞いたことを反芻すれば、ノアも同じく情報の整理に努めてくれる。


「姫殿下のご推察通り、後宮の結界を張ったのがサミーラさまであるとすれば。その結界魔法の技術は確かなものですし、呪いを隠蔽するだけの結界を張れる可能性は十分かと……ファラズ殿」

「サミーラ殿は、由緒正しい血筋の王女だ。優秀な魔術師だったとも聞く」


 クラウディアに呪いを察知させないほどの結界は、非常に強固だ。この能力は、かつてクラウディアたちが出会ったことのある国の王太子スチュアートにも匹敵するだろう。


 クラウディアはううんと首を傾げ、考える。


「サミーラさまが、呪いの痕跡を隠すための結界を張る理由があるとしたら……」

「待ってくれおふたりさん。あんた方が呪いの魔法道具と話しているのは、つまりは『黄金の鷹』のことか?」


 ファラズが苦い顔をして、顎の髭をざらりと撫でる。


「あの女神像の首飾りが『黄金の鷹』? だとしたら何故、サミーラさまが結界でそれを隠す」

(……いま私が浮かべている想像は、安易に口にするべきものではないわね)


 クラウディアはファラズの疑問には答えず、続いての事柄を問い掛けた。


「おじさま。アシュバルは後宮に、どのくらいの頻度で足を運んでいたかしら」

「後宮? それが生憎、アシュバル陛下はあまり後宮にご興味を示されず」

「……頻繁に、婚約者の元を尋ねていたという訳ではないの?」

「一度だけですよ。正妃の元に渡らないのは父君に似てしまったかと、大臣たちは口さがない噂を立てております」


 これはまた、後宮の中と随分認識が違うものだ。


『ここ一年ほど、満月の夜にばかり会いに来るから。……もしかしたら今日もと、そう思って』


 ナイラの言葉に疑う余地はない。後宮の女性たちはみんな、アシュバルとナイラが仲睦まじいことを前提に話していた。

 アシュバルが一度しかナイラに会いに来ていないのであれば、周囲はその寵愛を疑い、後宮にナイラの味方はいなかっただろう。


(後宮の外側では、誰もそれを知らない。アシュバルがナイラに会いに来るときに、後宮の正門は開いていないのだわ)


 クラウディアが何故そんなことを確認したがっているのか、ファラズにはいまひとつ分からないようだ。クラウディアはノアを見上げ、こう命じた。


「ノア。念のためお前も後宮の結界を分析して、私の判断と相違ないかを確かめてくれる?」

「恐れ多いことではありますが、承知いたしました。――姫殿下、先ほどお話しした月食の件ですが」

「ええ。太陽と月が何かしらに作用しているのは、恐らく間違いがないわね」


 ファラズが怪訝そうにしたのは、まだあの夜の話題が出ていないからだ。クラウディアとノアが同時に目にしていた出来事のため、確認が最後に回ってしまった。


「あのね、おじさま。ノアが火竜と戦ったときは、月の出ていた晩だったの」


 窓の外を見たノアの瞳が、月明かりに照らされて透き通っていたことを思い出す。けれども黒曜石の色をした双眸の輝きは、その直前までは見えていなかった。


 月が、雲に隠されていたからだ。


「黄金化の光が迸ったのは、月が雲に隠れているときよ。それからすぐに雲が晴れて、火竜は月明かりに照らされた」

「変化が生じたのは、俺が火竜を倒したあとです。あのときも再び月が翳り、雲に遮られました」


 そして砂漠には、再び呪いの光が走ったのである。


「月明かりの下で、『黄金化』の呪いは侵食しなかったわ。逆に月光が届かなくなったあと、火竜は純金に変貌してしまったの」

「……なる、ほどねえ……」


 そしてファラズには、まだ告げていないことがある。


「時間はそれほど残されていない。黄金化の呪いが及ぶ範囲は、日々確実に広がっているわ」

「広がっている、だって?」


 クラウディアは頷き、それが現在強く懸念していることのひとつであることを説明する。


「このままでは黄金化の呪いが、この世界にいるすべての生き物を襲うわ。事態はこの国だけの問題ではなく、世界存亡の危機にまで及んでいるのよ」

「……っ!?」


 呆然とした様子のファラズに、クラウディアは少しだけ同情した。しかし、時間とは常に進んでゆくものだ。


「……ふたりと話せたお陰で、当たって欲しくない予想が確信に近付いたわ。残念だけれど、考えなくてはならないわね」

「姫殿下」


 クラウディアはテーブルに頬杖をつくと、物憂い気持ちで目を伏せる。


「この国の本物の王さま。――アシュバルを捕らえるための、作戦を」




***


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